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2023年2月。
世界でただひとり、最愛の娘がこの世を去った。
月本家へ嫁いだ娘、奈央と最後に顔を合わせたのは一体いつだっただろうか。
もうずっと、電話越しで声を聞く以外に彼女と関わることができていない。
帰省は嫁ぎ先優先で、実家に顔を出せないと嘆く彼女に「結婚したら実家より義実家優先になるのは仕方がない」と伝えたのは間違いだった――滝沢隼は後悔の念に駆られる。
仕方がないなどと本心から思ったことはなかった。ただ、奈央が罪悪感を覚えないよう告げただけだった。
だが、別の言葉を掛けていれば、彼女の顔を見る機会はもっとあっただろうか。
思えば、奈央が子どもの頃から、あまり我が儘を聞いてあげることができなかった。
それなのに、彼女の訃報を聞いた時、隼は元々体を悪くしていたせいもあったのかショックのあまり寝込んでしまった。
彼女の死を、それほど悲しむ資格が自分にあっただろうかと、お経を聞きながら隼は考える。
隼は高卒で働き始めた自身への劣等感が強かった。だから、奈央には同じ思いをさせたくないとずっと思ってきた。
彼女の進路は決めつけたくなかったから、彼女が大学への進学を希望しても快諾してあげられるようにお金を多く残したかった。自身の学歴のために、娘の将来の選択肢を狭めることだけはしたくなかったのだ。
貯蓄の為と、教育方針の為に、奈央には努力するよう言い聞かせて育てた。
家の手伝いを頑張ったご褒美、テストでいい点を取ったご褒美と称して彼女が欲しがるものを買い与えた。代わりに、誕生日やクリスマスには無条件に欲しがるものをプレゼントした。
その一方で、奈央の親友という理由で家に入り浸る莉子の我が儘を拒絶することができなかった。決して甘やかしたかった訳ではなく、親に放っておかれる彼女に、甘えられる場所を作ってあげなければいけないと思ってしまった。
否、それはただの言い訳だろう。甘えられる場所を作ってあげたかったのは本心でも、行き過ぎた我が儘を拒絶できなかったのは、他所の子にどこまで厳しくしていいのかわからなかっただけだ。
今になってわかる。隼が本当にしなければならなかったのは莉子の我が儘を聞くことではなく、彼女の母親と話し合うことだったのだと。他所の家に入り浸るのはその場しのぎでしかないのだとしっかり伝えることだったのだ。
そんな環境で育ったから、奈央はしっかりせざるを得なかったのだと当時は思い至ることができなかった。しっかりした子に育ってくれたのだと、安心して見ていた。
「ごめん。ごめんな、奈央。ダメな父さんでごめんな」隼は呟く。
奈央を殺したのは、彼女の夫だった。そしてその場には、かつて甘やかしてしまった莉子もいたのだと警察から聞いた。
後悔してもしきれなかった。どこまで厳しくしていいかわからなかったなど言い訳でしかない。
あの時、莉子に嫌われてでもある程度の厳しさを持ち合わせるべきだったのだ。
奈央の死が、自分のせいではないと思う気持ちと、自分のせいだと思う気持ちがせめぎ合っていた。
そして、余命が僅かな自分が生きていて、まだまだ生きていたかったであろう彼女がこの世を去った現実が、どうしようもなく理不尽に思えた。
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