狼と羊 ☆第198回妄想コンテスト「追いかける」入賞

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「すみません。前の車、追いかけてもらえますか」 「え?」 「あそこの青のセダンです」 「あ、はい」  言葉の意図を察した俺は、ドアを閉めると車を走らせた。個人タクシー初日で最初の客から、こんなドラマみたいなセリフを聞くことになるなんて夢にも思わなかった。ましてや、ここは東京の新宿でも原宿でもない。平日の海浜幕張だ。わざわざ客の少ない国際展示場周辺を流していたっていうのに。だからなおさら興味が湧いた。この女性客がどんな人間なのかと。  気づかれないよう、チラチラとバックミラーで女性客に視線をおくった。揃えられた前髪からは、しっかりとした眉毛が覗き、目尻はやや上がり気味。それは俺が思っている沖縄出身女性の特徴だった。そして目の下にホクロがあれば、完璧な俺の好みだった。  サラサラのショートヘアーに白のワンピース。やわらかく香る柑橘系の匂い。そんなにアクティブなタイプには見えなかった。刑事にも探偵にも見えない清楚な彼女に、いま車を追わせているものは何なのか。旦那もしくは恋人の浮気による嫉妬心か、それとも憎しみか。  なんにせよ。臨海部埋め立て地の中でも、イベントがなければ車の往来が少ない土地だ。追跡に気づかれるのも時間の問題だと思えた。前方に視線を戻せば、間隔をあけて走っていたピカピカなメタリックの青いセダンが赤信号で停車した。 ――まずいな。真後ろに止まるしかない  
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