『あなたの道、教えます』

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 その週末、家族旅行をしていた夢花は唐突にあの狐面を思い出すことになった。山奥のペンションに向かって走らせていた車のカーナビが故障し、画面に赤文字で『道がありません』と表示されたのだ。家族は皆ただの故障だと言っていたが、夢花の脳裏にはあの裏路地で会った狐面が浮かんでいた。  「まぁ……この先は一本道だしもう迷わんだろ。このまま行こう」  誰も気に留めず車がまた走り出す。夢花は必死に偶々だと思い込むことにして、上がっていく心拍数を抑え込むように胸元の服を握りしめ、後部座席で息を殺していた。  「うわっ、なにこれ」  けれど、母親の呟きに恐る恐る顔を上げた夢花は、カーナビに表示された『道がありません』がどんどん増えていく光景を目にした途端、恐怖に耐えられなくなった。  「いやぁああああああ」  「夢花!?」  「待ちなさい夢花!危ないから!」  さすがに気味が悪いから引き返そうかと父親が一度停車させた瞬間、夢花は悲鳴を上げながら車から転がり出た。制止する両親の声も無視して山道を駆け上がる。否、無視をしたというよりは聞こえていなかった。夢花の頭の中ではあの歪んだ声で「道がありません」と繰り返されていて、外の音など入る隙はなかった。  夢花はひたすら走る。そのうち山道から外れ、獣道ですらない草木の中を逃げ惑う。茂みを掻き分け、木の根を飛び越え、何度も足を滑らせて転びながら走り続ける。息が上がっているはずなのに、頭の中は絶え間なく狐面の不気味な声が響いていて、自分の呼吸の音さえ聞こえない。  逃げる宛もなくどれだけ走り回っただろう。夢花の体感では酷く長く感じた時間の後、急に頭の中の声が止んだ。徐々に自分の速すぎる鼓動と乱れた呼吸の音が聞こえてくる。夢花はその場に崩れ落ち、呼吸を整える。  (助かった……?)  遠くから自分を探す両親の声が聞こえて安堵した夢花は、その安心感から涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、覚束ない足取りで声のする方へと歩いて行く。ああよかった。このまま両親と合流できればきっと無事に帰れる。  そんな希望を抱いたのも束の間、両親に居場所を伝えようと息を吸い込んで顔を上げた瞬間、夢花の目の前にはあの狐面がいた。  「道がありません」  「やだ……来ないで……」  殺される。本能的にそう思った。夢花は震える足で後退る。だが狐面は彼女が逃げたのと同じだけ近づく。  「道がありません」  「やめて!もう聞きたくない!」  夢花は泣きながら耳を塞いだ。しかし、狐面の不気味に歪んだ声はどれだけ耳を強く塞いでも聞こえる。  「道がありません道がありません道がありません道がありません道がありません」  「やめてぇええっ!」  泣き叫びながら再び走り出した夢花は、微かな望みをかけて先ほど両親の声がしていた方へと向かっていく。道になっていない斜面を登り、草木を掻き分け、転んで膝や腕から血が滲んでも、木の皮で手のひらを擦りむいても、夢花は走っていく。両親との合流だけが希望だった。
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