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「耳がさ。気持ちいいって今まで知らなかった」
隼は幸人くんの耳に息を注ぎ込むようにしながら、ささやいた。
視線はこちらに向けていた。
心なしか幸人くんの右耳が赤い。
「俺、多分、今まで、目が中心で生きてきたんだ。目と足が生きることの中心っていう感じ」
隼はサッカー部だ。
目と足っていうのは何となく分かる気がした。
じゃあ自分は何だろう。
やっぱり目と、俺の場合は体幹だろうか。
「柏田も耳を使って、寝てみなよ」
ぶわっと自分の頬が熱を持つのが分かった。
「すげーいいよ」
俺の動揺を知ってか知らずか、隼が続けた。
幸人くんの髪をさらさらとかき回しながら、うっとりした調子で言葉を続ける。
上ったり下ったりするピアノの旋律が鳴り続ける。
「寝る前には、ユキにピアノを弾いてもらうことが出来ないから」
隼は幸人くんのことをユキ、と呼ぶ。
どことなく少女っぽい響きだけど幸人くんもそれを嫌がっているふうじゃないから、だからまあ、いいんだろうな。
幸人くんがどこに住んでいるか知らないけど、学生向けの賃貸アパートにピアノは置けないはず。
「ユキに、ピアノの代わりに朗読してもらうんだ、この間は、歴代アメリカ大統領の演説集にした」
「もいっかい言って」
俺は思わずバーから手を離した。
隼の短い言葉の中に情報が詰まりすぎてた気がする。
寝る前にアメリカ大統領の演説を聴くって?
「眠れるの? それ?」
素朴な疑問だ。
「すげーよく眠れる。いつも途中で寝落ちする。ユキは英語が上手いんだよ。なんか。頭の中を撫でられてるみたいな発音でさ」
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