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幸人くんは照れくさそうな顔で鍵盤を見ている。
指は止まらない。音は鳴り続けている。
隼が幸人くんの朗読を聴きながら寝落ちする状況っていうのも、想像すると変っていうか。
そもそも隼は隙を見せるタイプじゃなさそうだから。
ていうか、何? 一緒に寝てるってこと?
「いまリチャード・ニクソンまでいってます」
幸人くんがふいに口を開いた。
えーと。
「ごめん。幸人くん。もいっかい言って」
ダメだ。脳内が情報処理に追いつかない。
「アメリカ大統領の演説です。初代がジョージ・ワシントンから始まって」
ダメだ。日本の歴代総理大臣だって知らない。俺は隼の方に問いかけた。
「隼は分かるの? っていうか理解してんの? 大統領の演説」
ぜーんぜん、と悪びれもせず答えて、隼は大きく伸びをした。
「分かるわけない。俺、英語なんか苦手だし。高校の歴史の授業はこっそりサッカーの戦術動画見てた」
隼はすたすたと俺の隣までやってきて、一緒にストレッチを始めた。
隼はストレッチや筋トレが好きだ。スポーツ解剖学の時間は楽しそうにしている。
「隼はニクソンって誰か知らないってわけ?」
俺は背骨を意識しながら上半身を後ろに倒す。
幸人くんのピアノは上ったり下がったり、空中に見えない階段を作り続けている。
「ニクソンは共和党だってさ。正直、俺には関係ない」
隼はばっさりと切り捨てた。
「共和党も民主党も、右も左も、正直、全然関係ない。ユキが演説を朗読すると、全部すごく良く聞こえる。耳ざわりがすごくいい」
隼は悪だくみするみたいに俺に顔を近付けた。
俺の目がスタジオの天井をとらえる。
絞ったダウンライトと吸音ボード。
首から下の筋肉を意識する。
背筋より腹直筋。深部が重要だ。反らせた首を支えるには体幹の筋肉がいる。
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