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5.華の名前
男の案内は、的確だった。
家屋との間、道とは呼べぬ狭さを通り抜けて。じぐざぐに進めば、鉢合わせの危険など皆無だった。罵声は遠くなり、次第に耳には届かなくなる。
地形を完璧に覚えているのか、迷わず歩くこと十分以上が過ぎた頃。
月音とは無縁の高層マンションに、たどり着いた。
自動扉をくぐり、清掃が行き届いたエントランスで月音は物珍しさから辺りを見渡した。
男は慣れた手つきで設置された液晶を操作し、様々な認証を解除する。
「安心してくれ。ここに入れるのは解除できる俺か、俺の身内だけだ」
「身内?」
「限られた部下ってやつ」
発言に沈黙を返す。想像は確かな輪郭を持ち、確信へと変わっていく。
エレベーターが来ると乗り込み、彼の住居へと転がり込んだ。
「……ここが、あなたの部屋なんですか」
困惑気味に問えば男は、清らかで涼しげな声を転がした。
「そうだ」
「それにしては」
「寝泊まりするだけの家だからな。あぁ、水道などは大丈夫だ、風呂で温まってくるか? 服は用意しよう」
「いえ、遠慮します」
雨に濡れている上、汚れが目立つ。
傷のためにも清潔になるべきだろうが、限界は近い。それに無防備になるのは避けなければ。
風呂場で倒れるなど、とんだ笑い種である。
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