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男はそれ以上は勧めず、だろうなと納得して頷いた。
そのまま月音から離れて奥の部屋に、ひょこひょこと歩いて行く。
背中を眺めつつ月音はもう一度注意深く、観察した。
そこは。何もなかった。
真っ白な壁に、フローリング。使用の痕跡が見当たらないキッチン。それだけだ。
テレビも料理器具、椅子、テーブルなど必要なものがまるで揃えられていない。新居、誰も住んでいないと言われれば納得できる。
靴を脱いで、男の後を追う。
扉を開ければ、救急箱を持って月音を待ち構えていた。
「おいで、手当をしよう」
手招きされ、狐に化かされた心地でふらふらと、彼が座る隣へと腰を下ろした。
開いたままの扉から覗くのは、新品とおぼしきシングルベッドがひとつ。ぽつねんと置かれていた。
シーツもぴしっと整えられて、何もない空間では浮いて見えて不自然に存在している。
生活臭が全くしない。本当にここが、彼の住まう家なのか。
「さて、名前は教えてくれるか」
手際よく消毒し包帯を巻く彼に、月音は警戒心は忘れず答える。
名など何の意味も持たない。
男が、施設に連れて行くような性格ではないのは、服の下に咲き誇る華から明白だ。
「陽野月音。一応、未成年」
「そうか。ちなみに帰る家は」
「ないです」
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