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一瞬、彼の表情が見えなくなった。明るい部屋だというのに、逆光ぐらい関係ないはずなのに。
それが酷く不気味で、身震いをした。
短く息を吐いて凝視すれば、彼は変わらない笑顔があった。
「簡単なものだが、朝食を用意した。一緒に食べよう。お腹が空いただろう」
昨日の殺伐さなど霧散され皆無だ。
泰華は優雅な仕草で、月音へと手を差し出す。ダンスを誘うかのような動きにキザで大袈裟だが、やけに似合っていた。
細い手と顔を見比べて、月音はおそるおそる手を乗せた。
ゆるく掴まれてひかれる。されるがまま立ち上がって、そこでようやく気が付いた。
己が着ている服が寝る前と異なる。
着古した白いシャツにジーンズという軽装が、滑らかな生地で仕立てられた、紺色のパジャマに変化している。
ボタンを指の腹でなぞり、確認すべく彼へと目を向けた。
「サイズがあっていて良かった」
考えなど見通しなのか、さらりと応える。
彼が着替えさせたのか。だとすれば、意識のない人間相手では苦労しただろう。それも新品を用意して。
月音は警戒を解くわけにいかない。
だが己を律しても、世話になって、礼のひとつも言わないのは躊躇われる。
逡巡のうち、潔く頭を下げた。
「色々してくださり、ありがとうございます」
嫌な沈黙が流れた。
聞こえていないのかと、そろそろ顔を上げれば。
目を見開いた彼がいた。戸惑い、だろうか。
笑顔とは別の、初めての表情に、月音もキョトンとした。
「きみ……いや……」
言い淀む彼は、諦めたようにため息をつく。
呆れもまざっており月音は居心地が悪くなる。
「きみには色々教え込まなければいけないな」
不穏な呟きに反応する暇もなく、導かれて寝室を出た。
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