12.抱えるは月の思い出

3/4
前へ
/239ページ
次へ
 随分と昔なのに、味も、母の些細な動作も、鮮明に焼き付いていた。ずきりと痛む頭にそっと手を添えたが、和らぐことはない。 「どうでもいい話です。忘れてください」  逃げるために、早口で告げた。  これ以上、踏み込むのが恐ろしい。  自分の中にある揺れを認識し、解析するのが嫌で仕方ない。何もわからないまま、耳を塞いでいたい気持ちが大きく膨れ上がる。 「大切だろう」  彼は、そんな弱気を許しはしなかった。  のろりと目線をあげれば、泰華がいる。けっして強引ではなく、しかし聞くもの惹き付ける声は力強い。月音の記憶を宝物のように繊細かつ丁寧に言葉を紡いだ。 「そうやって感情を揺さぶられるほど覚えているのは、きみにとって特別な記憶で、味だということなんじゃないか」  それが良かれ悪かれ。  何度か彼の教えを復唱して、母の微笑みと丸焦げの玉子焼きを描く。締め付けられる胸の痛みに、肺に溜まる重い息を吐き出した。気だるさから、机に手をつく。  彼は窓からこぼれる朝日に照らされ、慈しみを瞳に宿していた。春を連想させる柔らかな眼差しで見守る姿に、月音は、つい、本音を吐露した。 「でも、思い出せば、苦しい」
/239ページ

最初のコメントを投稿しよう!

88人が本棚に入れています
本棚に追加