14.華は月を見守る

3/7
前へ
/239ページ
次へ
 短い黒髪が濡れて、艶やかに靡く様を、泰華は呼吸すら忘れて魅入っていた。言葉通り、全てを奪われたのだ。  あの頼りなさげで無防備な首筋に噛みつきたい。  鈴の声を発する果実の唇を塞ぎたい。  滑らかで美しい髪を梳いて口づけて。全部。  ――全部、奪いたい。 「……やっぱり、お前、王子様じゃねぇよ」  姫をさらう悪役だよ。  泰華は瞼をあげた。  顔に触れれば笑みを象っている、彼女は驚くだろう。自分が笑うのは、敵か彼女相手だけだと教えれば。    心に渦巻く欲望が身体を呑み込み、思考を麻痺させる。こぼれた嗤いは狂気にまみれ、店内に響いた。  できた手下は表情ひとつ変えやしない。そこだけは好感が持てたがすぐに、その感情は彼女へと塗り替えられた。 「一応、忠告するけれど。彼女を手に入れて、飽きたらぽいっとかないよな」 「ありえないな」 「……いっそ捨ててくれよ。だるいから」  泰華は自分に執着心とは無縁だと思っていた。昔から周りにあるものが灰色に醜くうつった。一度だけ、自分の中で何かが起きそうだったときも、それも不発に終わってしまった。    彼女だけなのだ。
/239ページ

最初のコメントを投稿しよう!

88人が本棚に入れています
本棚に追加