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キッチンに、ひょこりと顔を出せば気がついた彼がとろけるような笑みを浮かべる。
はちみつを垂らしたような甘やかな瞳に、少々居心地が悪くなりつつも近づく。
恋をする乙女のようにら頬をほのかに染める姿は無垢で何処か扇情的だ。
見るものを狂わせる魅力に、濃厚な花の芳香が誘惑し、月音を飲み込んだ。
くるくると目が回るような、目眩を振り払う。
「ただいま」
繰り返された挨拶。
泰華の指が月音の髪を撫でた。寝癖を手櫛で柔らかく直しつつも期待に満ちた視線を注ぐ。
有無を言わさない、強要。
何を求められているのかと暫しの逡巡の後、ぐっと眉をよせた。
ここは月音の家ではない。
だから思いついた言葉を伝えるのは躊躇われた。
小さな反抗で一歩下がったが、その分、いや二歩詰められた。ぴっとりと密着した身体に彼が前屈みになり顔を寄せる。
さらりと滑らかな髪が降り注ぎ月音の頬を柔く撫でた。
――かすかに、異臭がした。
鉄錆の、昨日に嫌というほど嗅いだそれ。
だが、それもすぐに掻き消えて、彼の花の香に覆い隠されてしまう。
気のせい、だろうか。
「……月音」
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