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できる、とわたしは即答した。
もちろんできる。そもそも、他の誰かにそれを言う理由もない。意味もない。
じゃ、いいわ。だったら言うけど。
夢、だよ。あくまで夢ね。
現実的とか、そういう話は忘れて聞いてね。
ある日、ある夜、だね。
酒によったどうしようのない男が、そこであたしを指名する。
で、あたしはさ、けっこう酔ってて、もういいかげん今夜も指名多くて、いいかげんキツくて。クスリも入って倒れる一歩手前なんだけど。
まあでも、あと1人くらいなら、なんとかなるかってさ。
アイラインの引き直しもそこそこに、そこの部屋に入る。そこはたぶん―― クラッシュスペースの、安めのとこね。最低ランクじゃないけど。その1個上か、せいぜい2個上。
だからあたしも、まあ、どうせ金払い悪いどうしようもない男なんだろうけど。せめて酔ってて、あたしを適当に抱いたらすぐに眠り込むとかさ。そういう、どうしようもないけどちょっとはマシな部類だといいなって。変なヒート系のクスリとかやらない、まだしも無害なヤツだといいなと思ってさ。適当にそこ、ドアのロックをオープンさせる。
そしたら、そこには、雨のにおいを体にまとった痩せた男が、ひとり、ベッドの上に座ってる。疲れた顔だ。やつれた顔だ。そしてなんかね、目が、悲しいの。深いマットブラックの、すごく悲しい瞳でね。
よしてよ、いいのよ。これはぜんぶ夢なんだから。ぜんぶあたしの妄想だからね。ちょっとは細部も、こだわらせて欲しいわよ。しょせんは夢よ。だから、あんたも黙ってそこで聴いてなさい。
でね、あたしが最初のあいさつもそこそこ適当に、ドレスの肩のストリップを、無造作にそこで下げようとしたとき。
呼ぶのよ。名前。
そいつが言うの。その男が。
なぜだかそいつ、知ってるの。
シルクじゃない、
ここ来るまえに、もう1つあったはずの別の名前を。
そいつは言うのよ。その、消えたはずの名前。
それから言うの。
おまえか。ほんとに、おまえなのか、って。
…そうよ。あたしはあたし。あんたの言ったその名前。
それは確かに、知ってるわ。
でも誰?あんた?って。あたしは訊いた。
おれはおまえを、知っている。昔のお前を知っている。
覚えてないか。覚えてないか?
おれは海鳴りの響くあの街で――
おれとおまえは、一緒だった。
もうぜんぶ、忘れたか? もうおれのことは、忘れてしまったか?って。
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