4人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
それであたしも思い出す。
知ってる、そいつ。
今じゃもう、古代や神話の時代とおなじ、
とっくに忘れたポストプレップ時代の同期の男だ。
名前はもう、でも、今じゃ忘れたけど。
そいつのクシャクシャした海藻みたいなダークな髪とか。
そいつの声―― 不思議と何だか心が落ち着く、そいつの声が。
あたしの記憶を揺り起こす。
あんた。なんで、こんなとこまで来ちゃったの。
あんたは、こんなとこまで落ちてきちゃダメだから。
ここは世界の底なのよ。
あんたは、こんなとこ、来るタイプじゃないでしょう。
来ちゃダメだ、こんな街。
ここはヤバいよ。ここは底だよ。
あんはここには―― 来てはいけないはずなのに。
じゃ、やっぱり―― 本当におまえは、おまえなのか…?
そうよ。あたしよ。本物よ。
まあでも、できたら、あんたに、ここでのあたしは見せたくなかったな。あんたも見たくは、なかったでしょう。あんたは記憶の街にいて。あんたは外の、外のどこかで。ずっと空見て、飛んでいてほしかった。あたしのことなんか、全部忘れて。明るい空気を吸っている。そのはずでしょう。なんできちゃったのよ? なんであんたが?
……。
そいつはあたしの名前を呼んで、
あたしをふたつの腕で抱き寄せて。
そのまま、あれさ。ぎゅっとね。ぎゅっと。ただそこで。腕の中で抱いている。そいつの荒いアルコール交じりの息遣いと。あたしの、自分の胸の音とが。外を降る雨の音とシンクロして、ずっとそこの暗がりの中で、ひたすら響いているんだよ。その時間。その時間。
それはたぶん、永遠だ。それがたぶん永遠だ。そこで世界は止まれ。そこであたしの命は終われ。そこで全部が終わっていいんだ。
最初のコメントを投稿しよう!