王位奪還の王子と精霊に隠れし孤児の姫(下)

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5 アメリア仕官  3月のうららかなある日の午後、ペリクレス辺境伯の城のダイニングルームでは、使用人たちが晩餐の準備で忙しく動きまわっていた。ダイニングテーブルには、ペリクレス領の山間で群生している八重の水仙とその花の黄色を引き立てるスミレの花がふんだんに飾られている。ダイニングルームの大きな窓からはプハラ山脈がよく見えた。  プハラの山稜に日が傾くころ、その窓の近くでダルトンともう一人、理知的な顔つきの男性が立って雑談をしていた。彼は、銀糸で重厚な刺繍を施した黒色の長いベストを身に着けていた。首元にスカーフを品よく巻いている。彼は、アメリアを王宮に連れて行く任を任された次席王宮魔法使いのマリウス・アクィナスであった。  今夜の晩餐は、アメリアが王宮に出仕する門出の宴であった。 一年前、王都はついに陥落し、アークは王宮に入ることができた。アークの宿敵であるブライアンは、混乱に紛れて逃げ延びていて現在所在は分かっていない。ドゥランテ海峡挟んで向き合っている隣国ガラティアに逃げたと思われるがはっきりしていなかった。  数カ月前にアークは戴冠式を終え、ついにアナトリア半島はアーク王のもとに統一されたのだった。 そんな戦乱から落ち着きを取り戻しつつあるころ、アメリアはその能力から王宮魔法使いになることを打診されたのだった。ほとんど王命に近く、断ることなどできなかった。  日が傾くにつれ、次々とダイニングルームにペリクレス家の人々が集まってきた。ダルトンの弟ケインや、妹のサリアとその夫アダム、そして老いてもなお勢いの衰えないブルーノとその息子トニ・ペリクレス辺境伯が部屋に入ってきた。  皆がテーブルについて軽い談笑をしていると、静かにダイニングルームの扉が開いた。トニの妻、コーネリアがアメリアの手を引いて部屋に入ってきた。 (まるで、婚礼衣装だな)  そのアメリアの姿を見て、マリウスは思った。純白のレースを肩にあしらったドレスはその裾に向かって淡いレモンイエローのグラデーションになっている。その水仙を思わせるイエローも、アメリアの工夫が生み出した色だった。 明日の門出を控えた少女は、ドレスの華やかさとは打って変わって暗い表情をしている。家族から話かけられると笑顔で何か答えているが、その笑顔がときどき泣いているようにさえ思える。 (やはり少女には荷が重いのか…)    マリウスは、来客としてトニの隣に座り、今の王宮の様子や親戚のアクィナス公爵の近況など話しながら興味深くアメリアを観察していた。  明日アメリアは、王宮魔法使いとして出仕するという名目で王都アナトゥスに向かう。本当は16歳の成人を迎えたアメリアを、王になったアークがどうしてもそばに置きたいと言い出し、まだ妃を置きたくない王宮側とペリクレス家が協議してアメリアに王宮魔法使いの地位を与えて王都に迎えることにしたのだった。そうやって時間を稼いでアーク王が飽きるのを待つか、アメリアが全ての諸侯を納得させる功績を上げて妃の座に収まるか、どっちに転んでも王家の損にならない道が選ばれたのだった。  かの「氷の賢者」と言われるサジュームの秘蔵っ子にして、ときには「ペリクレス家の魔女」と恐れられ、ときには「希代の天才少女」と絶賛されるアメリア。何より第13代アナトリア王国国王の意中の人である。興味を引かないわけがなかった。  翌日の朝、出発のときが来た。馬車の隊列に向かうまでの間に、昨夜の晩餐の出席者が並び、アメリアは一人一人と言葉を交わし抱擁して別れを惜しんだ。転移魔法が出来るアメリアだったが、ペリクレス家から連れてゆく護衛や使用人そして多数の荷物を全て転移で運ぶわけにもいかず、馬車を使っての移動であった。  城の前には使用人や農民や工房の人間などありとあらゆる人々が集まっていた。皆、アメリアを象徴する草木染のスカーフを手に持って揺らしている。アメリアも窓を開けて、それぞれの名前を呼び掛けて、握手をしたり気安く言葉を交わしたりしている。 「彼女はいつも、ああなのか?」  マリウスは兄のダルトンに訊くと、 「人気者なんだ、うちの妹は」 と笑いながら答えた。  おおらかなペリクレス家の人々なら許せても、様式を重んじる王宮では苦労するのではとマリウスは思った。そういう意味でも、すぐに王宮に入るのではなく、一度王宮魔法使いになるのも良いかもしれないと思えた。 (それにしても噂とはあてにならないものだ…) とマリウスは考え込んだ。孤児のアメリアをペリクレス家が家名を上げるため駒として使っているという噂が王宮では主流だった。しかし、マリウスが目にしたのは、家族から末娘が大切にされているという光景だけだった。  王都に着くと、一行は休むことなくすぐに王宮に向かった。  まず、ガイウスに挨拶に行くとガイウスは将軍の執務室で山のような書類にサインをしているところだった。ガイウスは、今や軍部全て掌握する立場になっていた。  それから別棟にある主席王宮魔法使いの執務室に行くと、サジュームが年配の女性と待っていた。 「ただいま戻りました」  マリウスが挨拶すると、サジュームは素っ気なく「ご苦労様でした」と返した。が、しかしマリウスの陰からアメリアが姿を現すと、 「リア、無事によく来たね」 と目尻を下げるので、マリウスもサジュームのそばに控える女性も目を丸くしたのだった。 「リア。あなたの指導役となる上司を紹介します。彼女は、三席王宮魔法使いのシンシア・クラークス殿。あなたは彼女の率いる部隊に所属します。女性同士、遠慮なく相談できると思います」  サジュームはそばの年配の女性を示して言った。 「じじさま、いえサジューム様の部下ではないのでしょうか?」  アメリアが訊くと「いいえ。違います」とサジュームは言った。アメリアの表情が曇ったのをマリウスは見逃さなかった。  そこへ、王からの使者がサジュームの執務室に入ってきた。アーク王がアメリアの到着を知り、王の執務室に呼ぶよう使者をよこしたのだった。  サジュームは強い口調で、「明日の謁見のときにお会いします。お引き取りを」と言うので、使者も困った様子だった。そばにいたダルトンが「私が行って、謝っておこう」と使者と部屋を出た。  マリウスとシンシアもセジュームから退室を指示され、執務室にはセジュームとアメリアだけになった。  セジュームはアメリアを座らせると彼もその向かいに座り、待ち焦がれたように「ミウ」と呼びかけてきた。  アメリアは、意を決してセジュームを見つめた。そして、わざと「きょとん」とした表情を作ってみせた。アメリアは、王宮へ来るにあたり、もう精霊に憑依されているフリは止めようと心に決めいていた。 「え?ああ、いや。なんでもない」  セジュームはその狼狽を隠すように顔を背けた。 「セジューム様、疲れているので館に下がらせていただきたいのですが」  アメリアは、出来るだけ平静を装って言った。本当はすぐにでも部屋を飛び出してしまいたかった。 「ああ、そうだね。もうすぐダルトンが戻ってくるだろうから、そうしたら帰るといい」  セジュームは落ち着かないように、椅子から立ち上がり部屋の中をウロウロしていた。ちらちらアメリアを見ているので、ミウの姿を探しているのだろうとアメリアはうつろな気持ちで考えていた。  セジュームはアメリアの考えているとおり、ミウを見ようとしていた。ミウがいるのは確かに見えるのだが、アメリアと重なって見えるミウはこちらを向いてはくれなかった。 (なぜだ…)  そこにダルトンが帰ってきた。 「それでは、失礼いたします」  サジュームには、こちらを向いて挨拶をしたアメリアがまるでミウが喋っているように見えた。  王都にあるペリクレス家の館に戻ると、リリーたちが室内を整えてくれていた。夜になって、アメリアとダルトンがサロンで寛いでいると、なにやら玄関のほうが騒がしくなった。  ドタドタという足音が聞こえてきたと思ったら、サロンの扉が勢いよく開き、そこにはアークが立っていた。  アメリアとダルトンが驚きで茫然としていると、アークはすぐにアメリアに近づき強く抱きしめた。 「リア、会いたかった」 「陛下!」  アメリアとダルトンの声が重なった。    アメリアは「少しお待ちください」と腕でぐいっとアークを体から離した。アークは「待たない」と言ってまたアメリアを抱きしめようとするので、ダルトンがすかさず二人の間に身を入れた。その隙にアメリアは一番遠くのソファの後ろに避難した。 「なぜだ!」  アークは怒っていた。「昼もダメ、夜もダメとはどういうことだ!」 「陛下、伏して申し上げます。アメリアは本日王都に着いたばかり。休養が必要な身であり、明日から王宮魔法使いとして登城いたします故、どうかどうか今日ばかりはご容赦を」  ダルトンはアークの足元にひざまずいて懇願している。 「リア…」  アークはとても傷ついた表情をしていた。そうしてふらっとアメリアに近づくとそのまま壁までアメリアを追い込み、勢いよくキスをした。  アメリアは、混乱してアークの腕の中でもがいていたが、大人になったアークはびくともしなかった。数カ月前に戴冠式を済ませ、王位を揺るがないものにした自信が彼を強く出させていたのかもしれなかった。  そのとき荒々しい足音とともに数人が部屋に入ってきた。 「アーク陛下!」 という叫び声とともにアメリアは解放された。  アークはガイウスともう一人の騎士に抱きかかえられている。アークが髪を振り乱して「なぜだぁ!なぜなんだぁ」と叫んでいるのを見て、アメリアの中にも何かがこみ上げてきた。アメリアはそれをもう止めることはしなかった。 「うわーん!」    アメリアはその場にへたり込むと、まるで赤ん坊のように泣き出してしまった。    その耳をつんざくような鳴き声でアークは我に返り、「リア、リア、泣くな。済まない」とガイウスの腕の隙間からアメリアに手を伸ばした。  すぐさまリリーがアメリアに駆け寄り、優しく抱きしめた。アメリアは沸き起こった自分の感情に身を任せ、リリーにしがみつき泣き続けた。  その様子を見た一同は潮が引くように部屋から出て行き、残されたアメリアはリリーが背をさすってくれることに甘えて、自分の悲しみを吐き出していた。 6 ヘレ島決戦  シンシアの部下になった新入りの王宮魔法使いが、アーク王のお気に入りだという噂はあっという間に広まった。  王宮で役職を得ている諸侯の中には、王都が陥落する直前までアメリアがアークのそばにいたことを知っている者もいた。「ペリクレスの魔女が王宮にいる」というだけで彼女に会いにくる貴族もいた。  アメリアをよく知らない先輩の王宮魔法使いは、16歳のアメリアを侮ったり謗ったりするものもいたが、アメリアはもう猫を被るのを止めていた。彼らを上回る魔法を見せつけて黙らせてしまった。  上司のシンシアも、そんなアメリアをどう扱えばよいのか困惑し、サジュームに相談するも以前とまるで変ってしまったアメリアにサジュームさえも困惑していた。  王都に着いた夜の出来事は、ガイウスからサジュームの耳に入っていた。 「あんなに泣くアメリアを始めて見た」  ガイウスもアメリアの悲痛とも言える泣き声に相当ショックを受けていた。サジュームもその話を聞いただけで胸が痛くなった。振り返ってみれば、サジュームはアメリアの笑顔しか思い出せない。 (あの子が泣くなんて…)  サジュームもガイウスも、知恵と魔力に恵まれた天才少女アメリアのことを強靭な人なのだと思っていた。その思いが少女に重荷を背負わせてしまったと今更ながら痛感していた。 今では、フレンドリーで意欲に溢れたアメリアはすっかり陰をひそめ、彼女は自分の殻に籠ってしまっていた。あえて孤独の道を行くアメリアにサジュームは心底困惑していた。 (いったい、どうしてしまったんだ。リア)  サジュームは遠くからアメリアを見るしかない。ここのところ、すっかりアメリアから避けられてしまっているのだ。  アークも、即位したばかりで仕事が山積な上にガイウスとサジュームからアメリアを泣かせてしまったことをきつく叱られたので、公式の場以外で二人が会うことはなかった。  この頃、アークの宿敵であるブライアンの居場所が判明してアナトリア王国の王位継承の最終的な決着のため準備が進められているところだった。 アナトリア王国は、ドゥランテ海峡を挟んでガラティア王国と向き合っている。その海峡に浮かぶ島、ヘレ島にブライアンは潜伏しているとの情報であった。  ヘレ島の支配権は、現在ガラティア側にあった。  ヘレ島に最も近く、アナトリア王国で最大の港セデスにアークは軍備を集約し、ヘレ島に侵攻するタイミングを見ていた。そして、兵士や騎士だけでなく魔法使いの配備を行う段階に入っていた。アナトリア王国の王宮魔法使いは大きく3つの隊に分けられて稼働している。主席であるサジュームと次席であるマリウスが率いる2隊が攻撃部隊として国軍とともに前衛に立ち、三席のシンシア率いる隊は後衛に配置される。 アメリアもシンシアとともに、セデスに移った。  セデスは、切り立った断崖絶壁が港を囲うように聳えている。その断崖の上に沿って石壁が張り巡らされ、もっとも突き出た岬の上は要塞としての城が築かれている。セデス城であり、かつての城主はブライアンであった。  そこを拠点として、アーク率いるアナトリア軍はガラティア軍と向き合うことになる。海に面したセデス城の城壁からヘレ島が良く見えた。  ヘレ島もセデス周辺と似たような地形で、海に切り立った崖に取り囲まれていて船が取りつく位置が限られている島だった。 小雨が降る中、アメリアはセデス城の城壁に立ってヘレ島を眺めた。あそこに、アークたちの最終目標がいる、と思うとぞわぞわする思いがあった。 「リアか?」  アメリアの背後から声がした。ガイウスだった。 「濡れるからこっちへ来なさい」 庇の下から呼ぶので、アメリアは駆け寄ってお辞儀をした。ガイウス将軍は今回の作戦の指揮を執る。誰が見ているか分からないので、配下として振舞った。 「明日の夜だ。今しがた決まった。よく休んでおけ」  ガイウスがヘレ島に目を向けて言った。 「サジューム様は?」とアメリア。 「まだ陛下とぐちゃぐちゃ話している」  アメリアは、ガイウスの飾り気のない話し方が懐かしく、ふっと笑ってしまった。    それを見てガイウスは、 「リア。お前はそう笑っているのがいい。仏頂面はいかんぞ」 と顔をしわくちゃにして笑ってみせた。  アメリアの王宮に来てからの変化を心配しているのが分かる。自分を個人として見てくれるガイウスの気持ちは、本当にありがたいと思った。 「はい」  アメリアは、大好きな人に感謝を込めて、精一杯の笑顔を見せた。  翌朝、もうすぐ夜が明けようかというとき、セデス城に敵襲を知らせるドラの音が鳴り響いた。起き掛けの城の中は上へ下への大騒ぎだった。  アメリアが城壁に出てみると、濃霧が立ち込めていて視界が悪かった。すでに城壁は鈴なりの人で、銘々に「見えない」「どこだ」と叫んでいる。  埒が明かないと思ったアメリアは、独断で魔法を使うことにした。サジュームから勝手に魔法を使うなと釘を刺されていたのだが、(まぁいいや)とアメリアは岬の先の岩に跳ぶとそこから詠唱しながら頭の後ろ側から両手を前に押しやった。すると強い陸風が吹き出し、ゆっくりと霧を海から遠くに流し始めた。  すると、徐々に敵船の全貌が見えてきた。敵船は、背後に朝日を背負って無数の影を海に落としていた。目に映る全ての船にガラティア王国の国旗がはためいていた。 「なんて数…」  思わず口から言葉が漏れた。アナトリア軍の船団の倍の数はありそうだった。敵の船団も発見されたことで攻撃準備を知らせるドラを鳴らし合っている。  船団の先頭を走る数隻が速度を上げて近づいてきていた。アメリアが港の様子を見ると、アナトリア軍の船はまだ出港していない。味方の魔法使いたちも攻撃もこれほど遠ければ届くはずもなかった。  アメリアは一瞬下唇を噛んでから、大きく息を吸い込むといつもより大きな声で詠唱を始めた。アメリアが初めて人前で見せる全力の魔法だった。  アメリアは狙いの船を定めて意識を集中する。強い意思を込めて詠唱し発動の合図を送ると狙いの船の周りの海水が凍り付きみるみる盛り上がると、その船を押し潰した。アメリアは詠唱を止めずにそれを繰り返して数隻の船を沈めた。魔法で作った氷山が後続の船の障害物になって、敵船の陸への接近の速度が緩まった。  岬の先で立つアメリアに気が付いた兵士たちが騒いでいるが、そんなことを気にしてはいられない。  アナトリアの船もいくつか海に出始めたが、大急ぎで出港したせいか隊形を組むこともままならないようだった。  そうしているうちに、氷山をすり抜けてまた幾つかの船が接近してきた。その船がアナトリア軍の船に向けて投石を開始した。アメリアは破裂音を含む詠唱を短く繰り返すと、投石機から投げられた巨石が次々と空中で爆ぜた。  その時、アメリアのそばにサジュームが跳んできた。 「リアー!リアー!」  強風の中、サジュームは吠えるように叫んだ。その目は、とても悲しげでまるで泣いているように見える。 「私は、ここから叩けるだけ叩きます!サジは早く火力のある人を船に送って!」  アメリアも髪を風で逆巻くに任せて、大声でサジュームに叫んだ。  サジュームは、このような形でアメリアの本当の力が人の目に触れることを恐れていた。アメリアの実力は、この世の人が生み出せるレベルではないと分かっていたサジュームは、できるだけアメリアを管理下に置いて彼女が強い魔法を使わなくてもよいようにしてきた。 「ダメだ!リア!ダメだ!」 「ダメじゃない!今が正念場でしょう?早く行って!」  アメリアは集中が途切れることを嫌い、サジュームの声の届かない位置に跳んでいった。  サジュームはアメリアを説得することを諦めると、その場から港の魔法使いたちに集合をかけたところに移動していった。今は一刻の猶予も無かった。  アメリアは横目でサジュームが行ったのを見ると、すぐに視線を海に戻してガラティアの船団を沖に押し戻すよう潮の流れを作ることに集中した。  アメリアが妨害しているせいで、ガラティアの船は陸地になかなか近づけなかった。イライラしたように、その船隊が崩れていくのがアメリアの位置から確認できた。船団から外れた船をアナトリアの船隊が囲んで攻撃をしている。 (そう。その調子)  アメリアは、アナトリア軍の背後に入ろうとする船を氷で攻撃しつつ、その反対側に展開しようとしているガラティア軍の船に強いダウンバーストの風を当てて転覆させていった。  ガラティア軍の船隊を上から眺めていると、陸に近い船隊は戦うため必死で潮の流れに反して前進しようともがいているが、後方の船団は、ブロック状の形態を維持したまま戦いの様子を静観しているようだった。 (ということは…)  アメリアは、前方の船団が壊滅的な打撃を受ければ後方の船団は退却するだろうと予想した。ただし、ブライアンの船は壊してはいけない。アメリアは詠唱しながら、目を凝らしてブライアンの紋章を探していた。  そこに、一部の敵船で火が起こった。次々と火が付いてゆく。混戦になったときは、火矢だけでなく火炎魔法の補助で船舶に火災を起こしていく作戦だった。アメリアは、火炎を遮らないように風を調節してゆく。アメリアの目の届かないところでは、アナトリアの船にガラティアの兵士が乗り移って沈められたりしている。双方が引かない激戦が繰り広げられていた。  ある敵船の一部にアナトリア軍が集まっていくのが見えた。その先にブライアンの紋章が見えた。 (サジ、急いで!)  アメリアは祈るような気持ちで、敵船がその海域に集まらないように近寄る敵船を転覆させるべく局所的な強風を起こしていた。 アメリアの額と背中は汗でびっしょりだった。体がどんどん冷えていくのが分かった。 (あ、これはちょっとやばいかも…)  アメリアはこれほどまでの長時間、フルパワーで魔法を使い続けたことがなかった。目の前の景色が歪んで見えてきた。  ふいに幼い頃の記憶が蘇る。  セジュームから魔法の詠唱を教わっていた時、力を使い過ぎたときの症状も説明してくれていた。 (そういえば、こういう症状だったわね) と思った瞬間、アナトリア軍の勝鬨が聞こえてきた。アナトリア側はラッパを吹きならしている。それに応じるように敵側の船団がドラを鳴らして退却していく様子が見て取れた。  アメリアはその様子を見て、ゆっくりと手を下ろしていった。気絶する一歩手前だった。 7 アメリアの手紙  セデス沖の海上は激しいアナトリア軍とガラティア軍の船が入り乱れ、混戦になっていた。しかし、数で勝るガラティアの船が集まらないようにアメリアが魔法でコントロールしていたので、アナトリア軍は順調にガラティア船を減らしてゆき、無数の船の中から、ブライアンの乗っている船を見つけることができた。  盛んに吹き鳴らされるラッパの音で、サジュームはブライアンがアナトリア兵たちによって討ち取られたことを知った。味方の船に喜びが伝染してゆくのが分かった。 (アメリアは!)  セジュームは真っ先に岬の方を見やったが、そこにはもう人影はなかった。 「リア!」  セジュームは最後の力を振り絞って、岬の先に跳んだ。  そこは、先ほどまでアメリアが両手を空に上げて神のごとく風と水を操っていた場所だった。今やその姿はどこにもなく、ただ海風が吹きすさぶに任せる草木と岩石があるだけだった。 「どこだ、リア。どこだー!」  サジュームの咆哮は風にかき消され、ますます高まるラッパの音が足元から響くのだった。  その日の夜、セデスの港は勝利に沸いていた。港町は店だけでなく道にも下級兵士や漕ぎ手たちが溢れて酒盛りをしている。そこでもあぶれたものは、船の上で飲んでいた。  この日の戦いは、ペリクレスの魔女の守護のもとアナトリア兵が一丸となって敵を打ち破った日として後世まで語り継がれることになる。  セデス城の広間では、アーク王の前で貴族の上級武官だけでなく大勢の一般兵士が入り乱れて祝杯を上げていた。  しかし、その場には戦果に多大な貢献をしたペリクレスの魔女はいなかった。それだけでなく、魔法使いのほとんどが祝宴に参加していなかった。マリウスとシンシアだけが体裁を整えるためその場にいたが、その表情は他の者たちに比べ晴れやかではなかった。  そしてもう一人浮かない顔をしている者がいた。ガイウスだった。 「何か分かったか?」  ガイウスがマリウスに近づき訊いてきたが、マリウスは顔を横に小さく振るだけだった。  セデスの海上戦が決着したとき、アメリアが忽然といなくなってしまったのを知っているのは、この場ではこの3人だけだった。サジュームは魔法使い全員にセデス中を探す命令を出し、セジューム自身も船を出して岬周辺を半狂乱で探している。 「リアが落ちたのを見た者はいないのだろう?」  小声でガイウスがマリウスに言うと、マリウスは小さく「はい」とだけ答えた。 「だったら、もう連中を引き上げさせろ。俺が言ったと言えばいい。リアが本気を出したら誰にも捕まえられん」  ガイウスはマリウスにそう言って、大きくため息をついた。 「陛下には?」 「まだだ」  ガイウスはそう言い捨てると、再び人の輪の中に戻って行った。  夜が明けて、やっとサジュームが帰ってきたと知らせが来たのでガイウスが会いに行くと、彼は真っ青な幽鬼のような顔をしていた。 「ひどい顔だぞ。これを飲んで寝ろ」  ガイウスは、暗い執務室でふさぎ込んでいるサジュームにワインを差し出した。 「私は…、私はどうすれば良かったのでしょうか」  机の上で頭を抱えるサジュームからすすり泣く声がした。ガイウスは、その痛ましさに (見てられんな) と目を背けた。  サジュームがこれほどまでに狼狽して憔悴しているのをガイウスは見たことがなかった。15年前森に逃げ込んだときも、望んだように味方が増えないときも、いつも落ち着いていた彼がまるで捨てられた子どものようにすすり泣いていた。 (そうだ。我々は捨てられたのだ)  ガイウスはサジュームのために注いだワインを一気に飲み干した。  その翌日だった。セデスの町はずれの漁村から若い娘に小屋を貸していたという情報がもたらされた。その漁村の村長が言うには、小屋の借り賃にこの辺りの寒村ではありえない額を一度に支払ったことからどこか裕福な家の娘が駆け落ちの準備のために使っていると思っていたそうだった。そして、不思議なことに娘の髪色は濃い茶色だったにも関わらず、部屋に残された髪束は明るい小麦色をしていたと。髪束と一緒に複数の手紙が置かれていたことから、その娘が自殺を図ったのではないかと村で大騒ぎになったのだった。  その髪こそ、アメリアの柔らかなハニーブラウンの巻き毛であり、手紙はアークとガイウスとサジュームにそれぞれ宛てて用意されていた。  それらを、セデス城の一室でアークとガイウスとサジュームが囲んでいた。 「陛下、読みますか?」とガイウス。 「お前たちは読んだのか?」  アークも青い顔をしていた。アメリアがいなくなったと聞いてから寝ていなかった。 「…はい」 とガイウスが代表して答えた。  アークは自分宛の封筒を掴むと、明るい窓際まで持って行きそこで開いて読んだ。  部屋の中の重苦しい沈黙を破るように、くしゃという音がした。その方を見るとアークが手紙を握りつぶしていた。 「なんと?」  ガイウスが逆光の影の中のアークに訊いた。 「まずは悲願達成おめでとう、と。そして、アメリアの名を付けてくれてありがとう、と…」  アークの表情は分からないが、かすれた声は絶望で満ちていた。 「なんで名を捨てるんだ!なにが、おめでとうだ!」 急に激高したアークが壁を殴った。ガイウスがそっと近づきアークを壁から離した。そのガイウスに寄り添うようにアークは泣き出してしまった。  ガイウスの手紙にもサジュームの手紙にも同じようなことが書いてあった。勝利のお祝い、育ててくれたお礼、そして名を捨てることを。 「なんでなんだ…リア。これからじゃないか…」  アークの絞り出すような声に、ガイウスも全く同意であった。  ガイウスは、アークをゆっくりと椅子に座らせると自分も隣の椅子に座った。  そうして男3人、暗い部屋で沈黙してどれだけ経っただろうか。  冷静になったアークが口を開いた。 「サジューム。リアが行く先に心当たりはないか?」 「…分かりません。申し訳ありません」 「よい。謝るな」  項垂れるサジュームに、アークはその膝を叩いた。 「私が悪かったのだろう」  アークは独り言のように漏らした。「あれをひどく泣かせてしまった」と自嘲気味に言った。 「誰が悪いということではないかと」 とガイウスは否定したが、アークは 「あんなことをして。私はどうかしていた」 と言った。    そして、「あんなに泣くなんて…。あんなに弱々しい存在だったのだな、リアは」と続けた。 「そもそも赤子のときから風格がありましたからな」 とガイウスが漏らした言葉に「そうだよな」とアークが同意するので、3人とも思わず含み笑いをしてしまった。  それも一瞬で、皆すぐにアメリアを失った悲しみに沈んだ。  それから誰が言うともなく、隠れ家にいたころの話になり、3人ともそれぞれのアメリアの思い出を噛みしめていた。  その場にいなくとも、3人の心を繋ぐのがアメリアの力であることを彼女は知らなかった。   8 新しい名前  森の隠れ家を一人の旅人風の人物が眺めていた。男物の服を身に着け、短く切ったダークブラウンの髪が少年のように見えるが、ほっそりとした首と華奢な顎は乙女のものだった。 その乙女こそアメリアであり、彼女は旅立つ前に「我が家」に別れを告げにきたのだった。  アメリアはゆっくりと家に近づき壁に触った。丸太を組んだときの苦労が蘇る。家の周りをゆっくり回って、入口に立つと戸口に修繕した後があった。よく見ると、窓枠や庇など新しい木材が入っている。そっと家に入ると、思った以上に綺麗だった。 (サジってば。こっそり一人で来てたのね…)  この家を最後にしたのが、6年前だった。素人の作ったあばら家なのだから、人がいなくなればすぐに朽ちてもおかしくなかった。それが今も家の姿でたたずんでいるということは、だれかが手入れを続けていたのだ。  家の中に入いると、部屋の中央に置かれた手作りのテーブルが目に入った。足の高さが揃わずに、後で継ぎ足したヤツだ。出来上がったテーブルがガタガタ揺れるのが面白くて、アークと揺らして遊んでいたのにガイウスが直したのだった。  ゆっくり奥に行くと、粗末なベッド4台並んでいる。一番小さなベッドには柵がついている。アメリアが落ちないように、ガイウスが付けてくれたのだった。  アメリアは部屋を見渡してから、ガイウスとサジュームの苦労をしみじみと感じた。二人とも「お貴族のお坊ちゃま」だったのだ。ガイウスは軍人として多少は屋外生活の訓練をしていたが、サジュームにいたっては将来は聖職者か学者になるつもりの人だった。その人たちが、こうやって一から森の中で大工作業をしたのだ。 (本当に、よくやったわ…)  彼らは、小さなアークとアメリアを守るために家を作った。彼らの愛情を疑う余地などどこにも無かった。  アメリアは奥からまた入口の方へと戻ってきた。寝るだけの小屋を作ったあと、屋外の竈にも屋根を付けたのだ。竈として組んだ石を指でなぞる。この石を採るとき、サジュームから土の破砕の魔法を教えてもらったばかりで、加減が分からずその辺一帯をクレーターのようにえぐってしまったことを思い出した。半分生き埋めになりかけたアメリアをサジュームが必死で助けてくれたのだ。 (あのときの顔ったら…)  アメリアを見つけて、土まみれの顔で心底ほっとしたサジュームの顔はなかなか拝めるものではない。  屋外に出ると、物干しの支柱を見つけた。洗濯物も干すが、太い枝を通して獣の毛皮を洗って干したりもした。隠れ家生活の当初、日銭の稼ぐため仕留めた獣の毛皮を町に売りに出たサジュームが二束三文で買いたたかれ、それで帰ってきたことにガイウスが本気で怒って、二人で大喧嘩を始めたことを思い出した。 「くふふふ」  アメリアは、思い出し笑いを堪えられなかった。  支柱の足元に視線を移すと、木桶が草の陰から見えていた。彼らは時々、アメリアとアークをお風呂にも入れてくれた。ありったけの鍋で湯を沸かすのだ。風呂は一大イベントだった。  アメリアの笑顔が次第に曇っていく。視界が悪くなった、と思ったら泣いていることに気が付いた。  どこを見ても思い出だらけだった。  かけがえのない今世の記憶。  (だから、いいのよ)とアメリアは自分に言い聞かせる。  美しい思い出を、美しいままに。これが悲しいものになる前に、彼らと別れたら良いのだと言い聞かせた。  すでに政治の中枢にいる彼らは、もはやアメリアを一人の人間として扱うことはできないだろうと思っていた。アメリアは、ヘレ島の作戦に決着がついたら彼らの前から消えることにしていたのだった。  先日の戦いで、ついに自分の力の全貌を晒すことになった。  国益と称してアメリアの力の行使を望む諸侯の声とアークたちとの気持ちがいつ同調するか分からないのだ。いままでは「家族」のために他者を傷つけることも仕方ないと思っていたが、現代日本の記憶のあるアメリアには、戦争は避けたい仕事だった。 (好きな人は、とんちんかんだしね)  アメリアが頑張るわけを分かっていないサジュームとは、距離を置いて無関係の存在にならねばならないと思った。  そうしなければ、アメリアの心がもたなかった。 (なんで精霊だと思うかなぁ。しかも、なんでその精霊に惚れちゃうかなぁ)  ある意味ピュアなサジュームのことは憎めないのだが、ウマイヤ王国との和平の陰の立役者であり「氷の賢者」と言われるほど頭が良いのに、ここまで気がつかないのはやっぱり彼とは縁がないのだろうとアメリアは思うのだった。     何より、アメリアは生まれたときからアナトリア半島から出たことがない。いっそのこと行けるところまで行ってみよう、せっかくの2度目の人生、この世の見聞を深めるのも悪くないと思うのだった。  アメリアは隠れ家の周りの野花をいくつが引きちぎると、一度、隠れ家を振り返り転移をした。  移った場所は、王領の森の端、街道近くの茂みの中だった。 「この辺だったと思うんだけど…」  アメリアは一度街道に出て、再び茂みに入って獣道を辿った。少し広くなっている場所に出て見渡すと、隅に大きな石が2つ並んでいた。 (ここだわ)  アメリアはその石に正対すると、ゆっくりしゃがみ手の花束を2つに分けるとそれぞれの石の前に置いた。 (今世のお父さん、お母さん。私を生んでくれてありがとう。私はこの世界を見るため旅に出ます)  アメリアは、無念の死を遂げた二人を思い出していた。  ほんの1年弱の間だったが、惜しみなく愛情を注いでくれた人たちだった。彼らもお互いを愛しみ合っていた素敵な夫婦だった。今の幸せをかみしめるように生きていた善良な人たちだった。  今世の親が歌うように呼び掛けてくれた名、それは「レイナ」という。 (今日から、私はレイナとして生きます。ただのレイナです。天国から見守っていてください)  アメリアもといレイナは、しばらく石に頭を垂れていたが、思い切るように立ち上がると空を見上げてどこかに転移していった。  地面に残された野花の花弁が風もないのに揺れている。すでに遠く離れた場所に着地しているレイナがそれを知ることはなかった。  
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