道は見えたね

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「じゃあ『道』はなんとか見えたわけだね」 上司のその口癖は、心無しか私の心を落ち着かせた。 彼は仕事上解決の糸口を掴む才に秀でていた。私を含め部内の同僚たちはみんな、どれだけ彼に頼っていたことか知れない。まさに上司の鏡だった。「道が見えることによる安心感」、それは仕事を進める上でかなりの重要ポイントに違いなかったから、彼は私たちの中で精神的支柱だった。先の見えぬまま進める仕事のストレスったらない。 そうしていつしか我が部内では「道は見えたね」、その言葉がよく飛び交うようになった。私もご多分に漏れず多用するようになっていた。まるで一つの流行語みたいに。 ーー ふと思う ーー それは人生という壮大な視点での『道』だった。私の”未来への道”が途切れ始めたのはいつからだろう。昔は一本筋の通った道が真ん中にあって、幾つも枝分かれし、可能性は無限にあるようにも思えていたはずなのに。 いつの間にかもう明日さえはっきりとは見えなくて、まずは今日を精一杯に生きなければならないと、それ自体が強迫観念のようになりそうだった。だからある時から未来への道に関しては、はなから諦めることに決めたのだ。その”ある時”はいったいいつのことだったろう。今ではもう完全に不鮮明になってしまっている。きっと段々と、でも確実に夢のある領域が、諦めの領域に占領されていったのだろう。とにかくぼやけた未来に期待すること自体がストレスになっていたのだ。   だけど……   「一日の中にも小さな道がある」、そのことを上司の流行語は物語っている。相変わらず未来への道は途切れたままではあったが、一日一日の『小さな道』を積み重ねることで、未来へとつながる道となるのかもしれない。そんな風に思える瞬間が、仕事を通して日常に増えていったのだ。 ある時、部内の飲み会で上司に聞いてみた。 「仕事上道が見えるのと同じように、人生の道が見えたらどんなに素敵なことか、考えたことないですか?」 するとどんな質問にもいつも即答する上司が、珍しく神妙な表情をしてこう言ったのだ。 「それは俺も模索中なんだ。仕事での道が見えても、人生の道はどこかで途切れたままになってる。しかも行き着く先には誰しも必ず『死』が控えてるから、ますますわからなくなるんだよな……」 まさかの歯切れの悪い返答だった。上司から何かヒントが得られるかもしれないと思っていたのに、私以上に悩んでいる雰囲気……。飲み会の場には相応しくない話の流れになってしまったので、会話はそのままフェイドアウト。他のたわいない話題へと移っていったのだった。 それでも私は思う、きっと一日の中にある『小さな道』にヒントが隠されているはずだと。「神は細部に宿る」とも言われる。幾つも積み重なる小さな道のどこか奥深く、未来へとつながる細道が脈々と潜んでいるに違いないと。そしてそれはたぶん、死をも超越するようなものであるはずだと。   上司のように私も、これから模索し続けなければならない。 そんな、一度きりの人生途上。 私はいつか、「(未来への)道は見えたね」そう上司に言いたい。   【完】
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