微妙な距離

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微妙な距離

 夏休みが明けて、しばらくたった。  いつものように登校してクラスに入る。教室内を見回したが、相手はまだ来ていない。席について、かすかなため息をつく。  一時間目が現国なので、予習でもしようかと教科書を広げたものの、内容がまったく頭に入ってこない。ダメだなぁとページを閉じたとき、男子が声を上げるのが聞こえた。 「おー柿崎、おはよ。借りてたマンガ持ってきた。今回も展開ヤバいよな」 「おはよう。僕も何度も読み返したよ。主人公がさ――」  私はチラッと振り返った。  柿崎くんが友だちと楽しそうに話をしている。ほかの男子も加わって、五人ほどで盛り上がる。  やはり彼は目を引く。端正な顔立ち、身長は平均よりすこし高いぐらいで、スラッとして足が長い。地毛だという、茶がかったふんわりした髪も、優しい雰囲気を引き立てる。  玲奈ちゃんが『王子さま系』と評したように、キラキラした空気をまとってアイドルみたいだ。  その容姿を鼻にかけることはなく、誰とでも平等に接する。勉強も運動もできて、非の打ち所がない。何人もの女子が好きになってしまうのは当然だ。  よく告白されているみたいだが、彼女はいないという。表向きは。私も璃子ちゃんの話を聞くまでは、それを信じていた。  でも裏では違ったのだ。  私はああいう華やかな男子が苦手で、興味もなかった。それでも、いろんな女子をもてあそんでいると知ると、裏切られたような気分になった。  一介の高校生でも、そんなホストじみた人いるんだな。嫌悪感が湧き上がる。もともと関わりたくない相手だが、私まで、彼の顔を見たくないと思った。  だが、残念ながらそれは難しい。ただのクラスメイトなら、できるかぎり距離を取ったのだけれど……。  にぎやかな男子たちを見ていると、柿崎くんと目が合ってしまった。彼がいつものように、にっこり笑いかけてくる。私はどういう顔をすればいいか分からず、思わず視線を逸らした。  机を見つめて動揺していると、相手がそばまでやってきた。 「若狭さん、今日は当番だね」 「そ、そうだったね……」 「新しい本が入ったらしいよ。どんなラインナップか、いまからソワソワしてる」 「柿崎くんは守備範囲が広いから、またぜんぶ読んじゃうんじゃない?」 「若狭さんも楽しめる本があるよ」 「うん、期待してる」  会話しつつも、私はうまく相手の目が見られない。前々からそうだったので、彼はべつに気にしない。そうこうしているうちに予鈴が鳴った。柿崎くんが言う。 「先生が来るね。また放課後」 「う、うん」  彼が戻っていったので、私は肩の力を抜いた。ふと気付くと、こちらを羨ましそうに見る女子と目が合い、いたたまれず、机に視線を落とした。  そんな視線を向けないでほしい。私は彼とは関わりたくないのだ。  二年になって委員を決めるくじ引きの際、ものの見事に当たってしまった。図書委員に。そして同じくじを手にしたのが、よりによって柿崎くん。  私にとっては、神社で大凶を引いたに等しい。だが、何人かの女子からすれば大当たり。こればかりは運なので、嫌がらせを受けるようなことはないが、やっかまれているのは間違いない。  この状況だけでひどく気が重いのに、委員の相方が女子の敵だったなんて。ああ、もう登校拒否したい。  と、できるはずのないことを思った。 * * *  放課後になった。  当番へ向かうにあたって、柿崎くんが声をかけてくれる。同じクラスで逃げられるはずもない。しぶしぶ、一緒に図書室へ向かう。  彼は話題が豊富だから、話をすること自体は面白かった。でも璃子ちゃんの件を聞いたいまは、気乗りしない。複雑な気持ちを抑え、なんとか相槌を打つ。  図書室に行って新しい本をチェックする。そのうち生徒が入ってきたので、相手にカウンターを任せて、私は棚を回ることにした。離れられてホッとする。  当番は頻繁にあるわけではないが、あと何回だろう、と絶望的な気分になった。  彼がいると聞きつけた女子が、本を読むふりをしてこっそり眺めたり、直接に話しかけたりする。柿崎くんは、委員の仕事中だからと適当にあしらっている。  これまでは「やっぱりモテるんだ」と思うぐらいだったが、いまはそういう女子にハラハラした。彼女らも騙されてしまうのではと。  だからといって、私が「彼は危険人物だよ」と耳打ちしたところで、怪訝な顔をされるだろう。  璃子ちゃんを励ますことはできても、片想いするほかの女子に対しては無力だ。  その日の当番は、彼とできるだけ接しないようにした。  下校の十五分前になると、生徒たちに出て行くよう促し、片付けでは二人きりになる。たまに確認事項で言葉を交わしながら、本や図書カードをさばいた。  作業を終え、職員室で鍵を返して下足室に向かう。愛想のない私に、柿崎くんはいろいろと言葉をかけてくる。  そして靴を履き替えたあと、提案する。 「遅いし、送らせてくれないかな?」 「……やっぱり悪いよ。すごく暗いわけじゃないのに、遠回りしてもらうなんて。一人で平気だから」  彼はやや沈んだ表情になる。 「僕が送っていくの、若狭さんにとって迷惑?」 「そんな……ことは」  迷惑だからやめて、とキッパリ断れない自分が情けない。  前回の当番のときに、相手の押しに負けてしまったのだ。ここで拒むには、納得のいく理由が必要だろう。でもそれが思いつかない。  私が困っていると、柿崎くんはすこし軽い口調で言った。 「若狭さんと、本について語るのが楽しいんだ。クラスではなかなか話す機会がなくて。あと、僕の苦手な数学でアドバイスしてくれて助かった。でも、こっちにメリットあるばかりか。下校のときまでつきまとわれたら、うっとうしいね」 「うっとうしいなんて……思ってないよ」  ついフォローしてから、失言だと気付く。彼が、邪気のない(ように見える)笑みを浮かべた。 「昨日の授業でよく呑み込めなかったところがあって。聞いてもいい?」 「え、えぇと……」  そのとき、校内を回っていた先生に見つかった。 「もう下校時間だから、早く帰れよ」  二人で下足室を出る。そのまま流されるように、帰り道を行くことになった。  諦めて、相手の質問に分かる範囲で答える。すると彼は「なるほどね」と満足そうにうなずいた。  私は、なにをやっているんだろう。友だちを哀しませた人に対して……。  高校から徒歩十五分だが、家が見えるころには内心ぐったりした。さすがに「それじゃ」だけで別れるわけにはいかない。 「送ってくれてありがとう。気をつけて帰って」 「こっちこそ、教えてくれてありがとう。また明日」  柿崎くんは、まぶしい笑顔を見せてから去っていった。  帰宅して自分の部屋に入った私は、ベッドに突っ伏した。 「疲れた……」  次の当番は先のことだが、委員会でまた一緒に行動しなければならない。どうして同じくじを引いてしまったのだろう。  彼に苦手意識がなかったら、私もうっかり惹かれたかもしれない。そう思うとゾッとした。だって、告白なんてしたら……。  彼はほどよく歩み寄って、押しつけがましくない親切をする。でもそれはあくまで、女子を喜ばせるテクニック。  前に送ってもらったときは、どうしてここまで、と戸惑うばかりだった。今回は、私の前にもエサを垂らしているのだろうか、とモヤモヤした。  付き合うことになれば、きっと理想的な彼氏を演じてくれる。それが真実なら幸せだけど、あちこちで同じ顔をするなら、女子の気持ちを踏みにじっているのだ。  深々とため息をつく。  図書委員を誰かに代わってもらうなんてできない。柿崎くんと接することは避けられない。いまぐらいの距離ならともかく、もっと近づかれたら……?  もちろん、彼女の一人になるなんて選択肢はない。優しくされても、嫌悪感が増すばかりだ。  いっそ、嫌いだと言ってしまいたい。なのに自分の性格上、それも難しくて、頭の中で堂々巡りする。 「もうやだ。無関係になりたい……」  彼のつまらない遊びのせいで悩まされる。だんだん腹が立ってきた。  おあいにくさま。私は引っかからない。  相手の本性を知っていることは、アドバンテージになるはずだ。もっと親切にされても、仮に甘い言葉を囁かれても。  柿崎くんは、あちこちに粉をかけているのだろう。私が釣れなくても、きっと気にしない。彼女にバレて責められようと、さっさと次に切り替える人だし。  私にできるのは、誘導に惑わされないことだけ。璃子ちゃんが警告してくれたのだから、それをムダにしない。  彼と対決する気持ちになる。たまには空振りすればいいんだ。  そう考えることで、憂鬱な気持ちを追い払った。
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