関係の変化

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関係の変化

 しばらくのちの放課後。 「若狭さん、委員会に行こうか」  私は振り返り、柿崎くんに対してニコッと笑いかけた。 「うん。最後の授業が長引いたから、急がないと」 「そんなにあわてることないと思うよ」 「副委員長が時間に厳しいから、ゆとりを持っておきたいよね」 「たしかにあの人には睨まれたくないなぁ」  喋りながら教室を出て、廊下を歩いていく。以前、私が面白いと感じたドラマの話をしたら、彼は興味を持ってDVDを借りたらしく、その内容について盛り上がった。  委員会をこなし、教室へ戻るときも同じ話題がつづく。クラスメイトは部活か帰宅かで、誰もいなかった。  この日は当番でないため、夕方にはほど遠い。けれど柿崎くんは言った。 「今日も送っていいかな? もっとドラマの話をしたいっていうか……」  私は笑顔でうなずいた。 「私も語りたい。遠回りだけど大丈夫?」 「もちろん。ただ、これだと送るのがついでだね。僕、図々しいな」 「好きなことの話が合うってすごく楽しいもの。わざわざレンタルしてくれて嬉しい」  すると彼は照れ笑いした。 「教えてもらったとき、面白そうだと思って。でも残念だな。リアタイで見てたら、毎週ああでもないこうでもない、って二人でやきもきしたのに」 「最終回の前なんて、『黒幕は誰!?』で一緒にソワソワしたよね」 「僕と若狭さんで予想が違ったから、もしかするとケンカしたかも」 「どうかなぁ。柿崎くんは相手の意見を尊重してくれそう」 「君が理論立てて考える人だから」  学校を出ても、ひたすらドラマの話をした。十五分があっという間だ。私は家の前で、名残惜しい顔をした。 「もう着いちゃった。もっと喋りたかったけど、あとすこししたら家族で出かけるから……。送ってくれてありがとう」 「どういたしまして。ドラマについてはまた改めて。それじゃあ」 「気をつけて帰ってね」  柿崎くんは嬉しそうにうなずいて、自分の家の方角へ去っていった。  その姿が見えなくなってから、私はふう、とため息をついた。 「これはこれで疲れるなぁ……」  思わず独り言を口にして、家に入った。自分の部屋で、制服のままゴロンとベッドに寝転がる。  初めは、柿崎くんからできるだけ遠ざかろうと考えた。でも同じ委員である以上、それは難しい。どうしたって、あるていどは関わらないといけない。  だから、あえて逆の行動を取ることにした。  こちらからも話題を提供して、会話を弾ませる。親切にしてもらったら、素直に喜ぶ。彼の目を見て笑いかけることが多くなった。  柿崎くんは私の態度が変わったことに、当初は戸惑っていた。だが愛想よく対応されて喜んだ。  以前にも増して、積極的に声をかけてくる。私はそのたび、にこやかに応じた。  もちろん、ぜんぶ演技だ。  璃子ちゃんの話を思い出すたび、腹が立つ。厳しく非難できたらいいのに。  でも自分には無理だ。だから、嘘の顔で接することにした。  ちょっとした仕返しのつもりだったけれど、そのうち、イヤイヤ対応するよりストレスがたまらないと気付いた。  私だって、人を騙すような真似はしたくない。けれど、彼は自業自得だ。  私は笑顔で柿崎くんに噛みつく。こちらの言葉で相手が嬉しそうな表情になると、演技を疑いながら、すこしせいせいする。  向こうからすれば、素っ気なかった私が、心を開きはじめたように見えるかもしれない。  まったくもって、そんなことはないのに。  この女子もちょろいな、とか、告白してきたら付き合ってやってもいい、とか考えているんだろうか? バカバカしい。  あなたの手には乗らない。好きになんてならない。  せっせと親切にしてくれるのが滑稽だ。わざわざドラマを見て話を合わせ、遠回りして送り、楽しい会話を提供する。  ほんとうにご苦労さま。これで私が騙されれば、報われるのにね。  もう一度、ため息をついた。  こんなことをするのは、あなたが悪いんだからね? * * *  また別の日。  柿崎くんとあれこれ喋るうちに、いつの間にか話が試験対策へ及び、時間が過ぎていた。下校のチャイムが鳴るまで間があるけれど、彼がふと窓の外を見上げて、懸念の表情になった。 「雲行きが怪しいね。帰ったほうがよさそうだ」  さらにスマホで天気予報を確認する。 「急ごう」  当たり前のように私を送ってくれる。  だが途中で強い雨が降り出し、二人でコンビニの軒下に避難した。柿崎くんが空を見上げる。 「傘があっても意味ないね。長くつづかないみたいだから、ゆるむのを待とうか」 「うん。朝は傘マークついてなかったのに」 「ごめんね。教室で話し込まなければ、とっくに帰ってた時間だ」 「柿崎くんのせいじゃないよ。まぁ、こういうこともあるね」 「若狭さん、ちょっと肩が濡れてる。寒くない?」 「平気。冬じゃないし」 「風邪ひかないで」  心配そうな相手に、私はうなずいて笑いかけた。  なんとなく会話が途切れ、揃って雨を眺める。喋っていれば気が紛れるけれど、こうして黙ると、すこし二人きりを意識してしまう。  同じ委員で、ちょっと仲のいいクラスメイト。でも最近、一緒にいる機会が多すぎる。  何人もの女子がてのひらで転がされるぐらいだから、共に過ごせば楽しいに決まっている。演技だと分かっていても、まぶしい笑顔を向けられて優しくされれば、嫌な気はしない。  そう感じるたび、私は自分を戒めた。  知らずに騙されたら、その子はかわいそうだけれど、私がうっかりほだされたら、どうしようもないバカだ。  彼には人を魅了する力があるから、親しいフリもほどほどにしなければ。  男子慣れしているならともかく、私では柿崎くんに太刀打ちできない。ただし、深入りしたわけではない。いまならなんとかなる。  不自然じゃない程度に距離を置こう。  一人で居心地の悪い思いをしていると、雨が徐々にゆるんできた。さほど待たずにやみそうだ。そのことにホッとする。  でも、柿崎くんが小さなため息をついた。チラッと様子をうかがうと、彼はどこか淋しげに笑った。 「もうすぐ帰れそうだね」 「うん、それほど濡れずにすんだ」 「よかった。でも……」  言葉を切って、細かい雨粒が跳ねるアスファルトを見つめる。そして、消え入りそうな声で尋ねてきた。 「『やらずの雨』って知ってる?」  私は思わずドキッとした。動揺を必死に隠し、普通の口調で答える。 「言葉は聞いたことあるかな。意味は忘れちゃった」 「……そう」  彼はいったん黙り込んでから、つぶやいた。 「知らないなら、いいんだ」  また静寂があたりを包む。  私は、相手が次になにを言い出すか、ビクビクした。けれど彼は、ただ雨がやむのを待つ。  空が明るくなったあと、私たちはコンビニの軒下から出た。  柿崎くんが家まで送ってくれたものの、いつもの朗らかさは鳴りを潜めていた。なんだか気まずい。だが、お礼はきちんと言った。 「送ってくれてありがとう。気をつけて」 「うん……」  彼はなにか言いたげな様子でその場に留まる。私は内心、逃げ出したくてたまらなかった。緊張の中、相手が口を開く。 「若狭さん、あのさ」 「う、うん」  柿崎くんは不意に参ったような表情になり、自身の口元を片手で覆った。 「あれ、なにが言いたかったんだっけ。頭の中が混乱して、うまくまとまらないな」  そして苦笑いする。気を取り直して、こちらを見た。 「いつも送らせてくれてありがとう。じゃあ帰るね。また明日、学校で」 「……また明日」  なんとか一言だけ返すと、彼はふんわり笑ってから、背を向けて遠ざかった。  私は呪縛をとかれたように息をつく。  今日の柿崎くんはいつもと違った。私が『やらずの雨』の意味を知っていると答えたら、どんな話をするつもりだったんだろう。  歩み寄りすぎたのかもしれない。こちらから告白しなければ大丈夫、と勝手に決めつけていた。でも、彼が女子とどんなふうに親しくなるか、知っているわけではない。  場合によっては、柿崎くんからアプローチをかけることだってあるかもしれない。そうすれば、内気な女子だってノーとは言えないはずだ。  もし働きかけてきたら……。  私はかぶりを振る。  落ち着いて。簡単なこと。言い寄られたら、振ってしまえばいい。  彼みたいな人にとって、私が告白してこないことより、断られるほうがダメージは大きいだろう。仲良くしていたのに、と食い下がられたら、あくまで友人として、と答えればいい。  柿崎くんに対して、心を偽って接してきた。なのに、キッパリ切り捨てることを思うと、わずかに罪悪感をおぼえた。  一緒にいすぎたんだ。あんなに腹を立て、『好きになんてぜったいならない』と決めていたのに。  どうして同情してしまうんだろう。彼の優しさを思い出せば胸が痛む。私を騙すためなら、それは優しさじゃない。そう頭では分かっているのに。  こんなこと、やめておけばよかった。私には向いていなかったんだ。玲奈ちゃんなら、きっちり最後までやり遂げただろう。  私は強くない。彼と接して、迷いを生じさせている。  自分だって相手を騙した。同じことをした時点で、責める資格はなくなったのかもしれない。すくなくとも、私はいまの私が嫌いだ。  極力、関わらずにいればよかった。でも、やり直すことはできない。  もう一度、頭の中で繰り返す。  もし柿崎くんがアプローチをかけてきたら、私の返事は定まっている。
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