意外な真実

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意外な真実

 夕食をすませて部屋に戻ったとき、璃子ちゃんからスマホにメッセージが入っていた。 『話があるので、電話できるときに連絡ください』  なんだろう?  向こうもいまぐらいの時間なら、都合がいいはず。私は彼女に電話をかけた。相手が応答する。 「璃子ちゃん、話って?」 『あのね……ちょっと聞いたんだけど、仁美ちゃんが最近、柿崎くんと仲良くしてるってほんと?』 「あ、それは――」  彼と親しくなると、場合によっては噂になるということを忘れていた。クラスにいるときはもちろん、一緒に下校するところを誰かに見られてもおかしくない。  私は彼に愛想よく接することで精一杯だったが、周囲の女子から恨みがましい目を向けられていた可能性がある。  璃子ちゃんが柿崎くんの本性を教えてくれたのに、私が引っかかってしまったのでは、元も子もない。  私は、仲良くなったフリをしているだけだと説明した。間違っても、好きになんてなっていない。もし彼がアプローチをかけてきたら、きっぱり断ってやるつもりだと。 「私はあんな人、嫌いだもの。さっさと別のクラスになって、無関係になりたいぐらい」  すると璃子ちゃんが黙り込んだ。  柿崎くんがひどい人とはいえ、一度は好きになった相手だから、嘘でも私が距離を縮めるのは複雑なんだろうか? 噂を耳にしたとき彼女がどう感じるか、考えていなかった自分を反省する。 「本当だよ? これまで何回、『嫌い』って口にしそうになったか。彼を騙したけど、こういうの私には向いてないって分かったから、終わりにしようと思うの。もう、委員以外では関わりたくないし」 『……仁美ちゃん、私――』 「なに?」  スマホの向こうから、取り乱す息遣いが聞こえた。そして、璃子ちゃんが絞り出すような声で言う。 『ごめん、ごめんね……。ひどい嘘をついたの』 「えっ?」  予想外の言葉に、私は戸惑う。彼女が弱々しく訴えた。 『私が柿崎くんに告白したのは本当。でも、彼がいろんな女子をもてあそんでいるなんて、嘘なの! 気持ちを伝えたとき、『ありがとう。ごめん、僕は好きな人がいるから』って誠実に答えてくれた。悪いことなんて、なにひとつしてない』 「そ、そんな……」 『柿崎くんは、仁美ちゃんがクラスで見てるとおりの人なの。なのに、私はひどい悪口を……』 「じゃ、じゃあ、あの人の言動は罠でもなんでもなくて、気遣いも真心から?」 『うん、そう』  私は混乱に陥った。  ずっと疑いの目で見て、表向きの態度はニセモノだと決めつけていたから、じつは違ったとすぐに切り替えることができない。  どうして璃子ちゃんはそんな嘘を? ためらいながら尋ねる。 「……彼のことが好きすぎて、あんなふうに言ったの?」 『私、事実を受け入れられなくて』  彼女はわずかな沈黙を挟んで、告げた。 『柿崎くんが、好きな人は図書委員を一緒にやってる女子だって言うから……。彼に振られるのはともかく、自分の友だちと付き合うところなんて見たくなかった。仁美ちゃんは向こうが苦手みたいだから、悪く言っておけばくっつかないだろうって』  私は絶句した。  柿崎くんが好きなのは私? 騙すための演技じゃなくて、本当に? とても信じられない。  でも振り返ってみると、その事実は説得力を持つ。  家まで送ったり、DVDを借りてドラマを見たり。数学で分からないところを聞いてきたのも、会話する取っ掛かりがほしかったのかもしれない。  愛想のないころの私にも、一生懸命に話しかけてくれた。委員の当番のときだって、大変な仕事は進んでこなしてくれた。  誰に対しても平等に接する彼だから、と思ったけれど、そこには特別な気持ちがあった……?  ふと、先日、雨宿りしたことを思い出す。 『やらずの雨、って知ってる?』 『知らないなら、いいんだ』  柿崎くんはどんな気持ちでああ言ったのだろう。私の家に着いたとき、なにを言葉にするつもりだったのか。  それは、もしかして――。  私は、相手のなにもかもが嘘だと信じ込んでしまった。彼が笑顔ばかり浮かべるのも、楽しそうに喋るのも、すべて罠だと。  柿崎くんはまっすぐ向き合っていたのに、私は冷ややかな視線を注いだ。  それだけでなく、こちらからも騙してやろうと愛想よく受け答えした。「嬉しい」だの「楽しい」だの、口先の嘘をいくつも投げた。  特別な存在にそう言われたら、どんなに心が躍っただろう。  こちらが仲のいいフリをしたせいで、相手はすこしずつ歩み寄った。きっと向こうは期待したはずだ。もっと親しい間柄になれるかもしれない、と。  私が特別な気持ちを抱くかどうかは別問題だが、いい方向に変わりたいに決まっている。  でも肝心の私は、彼のことをまったく見ていなかったのだ。  呆然としていると、璃子ちゃんの弱々しい声が聞こえた。 『ごめんなさい。つまらない嘘で惑わせて』 「う、ううん……」  彼女が自分を責めているようなので、私はとりなした。 「私だって同じ立場なら、嫌な気持ちになると思うし。本当に好きだったら、しょうがないよ」 『柿崎くんは、何人もの女子と同時に付き合ったりする人じゃないの。それだけは』 「……うん、分かった」  璃子ちゃんはもういちど謝ってから、『じゃあ』と電話を切った。私はスマホを下ろして、気が抜けた。  柿崎くんの笑顔も優しさもニセモノじゃなかった。なのに私は、ひとつも信じようとしなかった。  それだけじゃなく、一緒に過ごす時間が楽しいフリをした。ただのクラスメイトや、単なる委員仲間なら、問題にはならない。  でも彼は特別な目で私のことを……。  なんて残酷なことをしてしまったんだろう。その気がないのに思わせぶりな態度を取るなんて、最低だ。相手にどれだけぬか喜びさせたのか。  ぜんぶ取り返しがつかない。もし、本当のことを話して謝ったら……? 彼はひどく傷つく。  私はバカだ。いろんな働きかけを受けながら、ひとつも見つめようとしなかった。璃子ちゃんの嘘を信じてしまったのは、柿崎くんときちんと向き合うより、疑うほうが『楽』だからだ。  もし、彼の言動をまっすぐ受け止めていたら……。  柿崎くんの想いに応えることはできなかったかもしれない。でも、誠実に対応したはず。彼の気持ちを尊重したはず。  なのに私は疑心暗鬼に陥って、相手の心を踏みにじった。  償いたい。だが、なにもできない。謝罪することさえ……。  心の中で『ごめんなさい』とくりかえしても、自分の行いは軽くならない。いっそ、ひどく傷つけてほしい。  柿崎くんの前から消えてしまいたい。私のことは忘れてほしい。初めからいなかったものとして。  自分の行為に、罪名がつけられればいいのに。ふさわしい罰があればいいのに。  底のない穴に落ちていく。  私は、救いようのない人間だ。
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