嘘と真実

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嘘と真実

 ある日の放課後、教科書などをのろのろカバンにしまっていると、不意に柿崎くんから声をかけられた。 「若狭さん、今日は……」 「えっ、な、なに?」 「委員会があるんだけど」  すっかり忘れていた。うっかり下校してしまうところだった。 「ご、ごめんなさい。完全に頭から抜けてた」  あわてて、連絡事項をメモするためのレポート用紙を机から取り出す。相手が気遣うように言った。 「もし体調が悪いなら、僕が出席するから大丈夫だよ」  思わず、ペンケースを持った手を止める。  体調は悪くない。二人で委員なのに、彼だけ出てもらうなんて申し訳ない。  でも、私といることが相手にとってつらいなら、一緒にいないほうがいいんだろうか?  私は悩んだが、正解を見出せないまま答えた。 「……ちゃんと行くね」  委員会が行われる教室まで、私たちのあいだに会話はなかった。彼を苦手だと思っていたころより、いたたまれない。でも、こんな思いをするのは自業自得。  柿崎くんが歩調を合わせてくれていることに気付く。  ずっと、そうだった。私は未だに甘えている。相手の優しさが切ない。  委員会が終わったあと、教室に戻るのも一緒。今日の仕事は済んだけれど、図書室の当番が回ってきたら、また共にこなすことになる。  事あるごとに私と関わらなければいけない柿崎くんが、かわいそうだ。これは今年度いっぱいつづく。そのたびに、彼は胸を痛めるのかもしれない。  教室に着くと、誰も残っていなかった。二人きりなんてすごく気まずい。私は相手の顔を見られないまま言った。 「お疲れさま。委員会のこと、うっかりしててごめんなさい」 「ううん、気にしないで。お疲れさま」  自分の席に戻って、机にレポート用紙を、カバンにペンケースをしまう。同じように自らの机に向き合う彼の背中へ、短く声をかけた。 「それじゃ」  立ち去ろうとすると、相手の振り返る気配がした。 「待って、若狭さん」  その言葉に足を止める。でも彼のほうを見ることができない。カバンの持ち手をギュッと握る。  いっそなじられたい。だがそれは自己満足。ここから逃げ出しても、過去をなかったことにはできない。  観念して相手のほうを向いた。柿崎くんは私を見て、なぜか申し訳なさそうな表情になる。ちょっと考え込む顔をしてから、ためらいがちに口を開いた。 「君に謝らないといけないことがあるんだ」  予想外の言葉に、私は驚いた。  こちらからならともかく、柿崎くんが私に謝る? 意味が分からなくて混乱する。そんなこと、ひとつもないと思うのだけれど。  尋ねる視線を向けると、彼は反省の表情を浮かべた。 「じつは、若狭さんを騙していたんだ」 「……えっ?」 「だから、僕に対して罪悪感をおぼえる必要なんてないんだよ」 「柿崎くんが、私を?」 「うん。僕は、君が思っているような人間じゃない」 「え、えぇと……」  ふっと璃子ちゃんの言葉を思い出す。 『告白してくる子を丸め込んで、何人も彼女いたんだ』  あれは、彼女が私に言った嘘だよね? ほんとうは違う、と教えてくれた。  まさか事実だった? 混乱して、状況が整理できない。  柿崎くんはひどい人? そうじゃない?  ああ、分からない。 「あなたは、女子に嘘をついて、もてあそぶような人なの?」 「ある意味では正しくて、そういう結果を招いた。ごめん。謝っても許されることじゃないけど」  世界がひっくり返る。  誠実な人だと思っていたのに、裏の顔があった? 当人の口から聞かされても、信じられない。  かろうじて尋ねる。 「璃子ちゃんを騙したの?」  柿崎くんが戸惑った様子で瞬きする。 「璃子ちゃん? ――ああ、牧内さんのことか。彼女はぜんぶ知ってるよ。なんせ、協力してもらったから。君が、僕を嫌いになるように」 「え……?」  ますます理解不能なことを言われてしまった。 『好きになるように』璃子ちゃんに協力してもらった、ならともかく。私に嫌われるメリットでもあるのだろうか? 「どうして?」  すると柿崎くんは、自嘲めいた笑みを浮かべた。 「『好きの反対は無関心』って聞いたことあるよね? そんな状態じゃ、こちらが働きかけてもすり抜けていくだけ。若狭さんの目に僕は映らない。だから、発想を逆転させたんだ。すこしでも興味を持ってもらうために、いっそ嫌われようと」  私は言葉を失った。  誰だって、できれば人に好印象を与えたいはず。なのに、自ら進んで悪いイメージを作るなんて。 「……つまり、璃子ちゃんが最初に言ったことは、やっぱり嘘?」 「僕が何人もの女子と同時に付き合った、って話だよね。うん、そんな事実はない。元カノとは去年に別れたし、二年になってからはずっと片想いしてるから」  じっと見つめられて、私は反射的に肩を縮めた。彼がやりきれない面持ちで苦笑する。 「もし僕が、一学期の終わりに告白したら、その言葉を信じられた?」  痛いところを突かれて、ドキッとする。  柿崎くんみたいなキラキラした人が私のことを好きだなんて、ありえない。からかってる、とか、こちらが動揺するのを見て面白がってる、とか疑っただろう。  彼は遠い目で窓の外を眺めた。 「それでも、まっすぐ気持ちを伝えるべきだったんだ。でも僕は、どうしても君の心を揺らしたかった。たとえマイナスの方向でも。クラスが分かれたとたん、忘れられる存在になりたくなかった」  なにも言えずにいると、柿崎くんが視線をこちらへ戻した。 「だから若狭さんを翻弄した。嫌いにさせておいて、ひっくり返した。君が混乱しているときに、あえて告白した。受け入れてもらえないと分かっていたけど、断りの返事は聞きたくなかったな」  私は唇を噛む。それを見て、彼がキッパリ告げた。 「気にしなくていいんだ。これで分かったよね? 僕は、若狭さんの心をもてあそんだ。告白だって、君が忘れられないタイミングを見計らって。そのせいで、しばらく僕のことばかり考えただろう? 君の良心の呵責を突いたからね」  だが、柿崎くんは自責の表情になった。 「若狭さんが罪の意識にさいなまれるのを見て、自分がどんなにひどいことをしたか気付いたんだ。これなら、ただ嫌われればよかった。僕は最低だよ。本当は、君に笑顔をもたらしたかった。それが無理だと分かった時点で、諦めるべきだったんだ。なのに、どうにか関わりたいと願ったばかりに……」  彼が苦しそうに目を細めた。 「僕は許されないことをした。償いたいけれど、若狭さんはこんな人間の顔も見たくないよね。でも、すこしホッとしているんだ。僕は、やっと本当に嫌われる」 「柿崎……くん」 「同じ委員なのはどうしようもないけれど、僕のことなんか忘れてほしい。それが、いちばんの制裁だから」 「…………」 「もし殴りたいなら、甘んじて受けるよ。手だと君が怪我をするかもしれないから、そのカバンででも」  私はブンブンと首を左右に振った。 「そんなこと、できるわけない」 「そうだね。僕はいますぐ、君の前から消えたいよ」 「柿崎くん……」  彼が、痛みをこらえて絞り出すように言った。 「……ごめん。好きになったりして」  私は息を呑む。  柿崎くんがいったん床に視線を落とし、一瞬だけ泣きそうな顔をした。なにかを断ち切るように背を向け、遠ざかっていく。  私はどうすればいいのか分からない。でも、彼がドアに手をかけたとき、思わず声を上げた。 「また、私を騙すの?」  柿崎くんが足を止め、「……え?」と振り返る。戸惑う相手に、私はつづけた。 「『嫌われたい、忘れてほしい、消えたい』。どれも――嘘でしょ?」  彼は目を見開いて言葉を失った。私はたたみかける。 「本当は嫌われたくない、忘れられたくない、同じ場所にいたい。違う?」 「それは……でも」 「私はもう、なにがホンモノでなにがニセモノか、分からなくなっちゃった。でも、どうしてだろう。いま、柿崎くんは真逆のことを口にしたのに、気持ちが伝わってきた。私を想ってくれてる、って」 「若狭さん……」 「……ごめんなさい。あなたがここまでしないと汲み取れないなんて」  柿崎くんが気遣う表情でかぶりを振った。 「君が謝る必要はないよ。僕の気持ちなんて、分からなくていいんだ」 「私が分かりたくても?」  彼が驚いて、こちらをさらに見つめる。  私は気付く。ずいぶんこの人に関わってしまった。たやすく幕引きできないくらい。 「柿崎くんは、嘘をついた。でも、私だって騙した。一方的に責められない」 「それは、僕がそういう状況に追い込んだからで」 「同じ立場になったとき、全員がこの選択をすると思う? あなたにひどいことをしようと決めたのは、私。その事実は動かせないの」 「僕のせいだよ」 「半分ぐらいはね」  柿崎くんが沈痛な面持ちになった。  たしかに、彼が仕掛けなければこんなことにはならなかった。けれど私の前には、『なにもやり返さない』という道もあった。そこを歩まなかった。  お互いさま、は結果論。状況が違えば、潔白な柿崎くんに対して、残酷な仕打ちをしたかもしれない。  私は相手に確かめた。 「柿崎くんは、どうして私が急に愛想よくなったのか、分かってたんだよね?」 「うん。だから僕は君に騙されていない」  私はちょっと考えてから、たとえ話をした。 「最近、『詐欺の話に乗ったフリをして、警察の犯人逮捕に協力』って聞くよね?」 「そうだね」 「この場合、被害者は騙されてない。でも仕掛けたほうは犯罪者。私は法を犯したわけじゃないけど……きっと構図は同じ」 「若狭さん……」  私は小さなため息をついた。 「ひどいことをする女子だと知って……ガッカリしたでしょ?」 「ううん。変な表現だけど、若狭さんの嘘はとてもまっすぐだった。人を騙すコツは、ニセモノとホンモノを混ぜること。全部を偽れば、本当の自分をさらすんだよ」  柿崎くんの言葉が、私の過ちを肯定する。  相手だって後ろ暗いところがあるから。それでも、すくい上げてもらったみたいで、泣きたくなる。 「……どうして嫌いにならないの?」 「僕と向き合ってくれたから。それに告白を断ったあと、あんなに気に病んでた。君は騙したつもりかもしれないけど、僕は『ああ、若狭さんは嘘のつけない人だな』と思ったよ」  私は首をブンブンと左右に振った。 「私は、あなたが思うようないい子じゃない」  すると柿崎くんはうなずいてから、柔らかく微笑した。 「そんなところも含めて、君が好きだよ」  私は顔が熱くなるのを感じて視線をさまよわせ、なんだか悔しくて、相手に非難の目を向けた。 「柿崎くんは、ずるい」 「うん。僕はそういう人間だから」 「『好き』って言葉も、罠じゃないの?」 「捕まってほしい、という意味では罠だね」 「いちど嘘をついたら、事あるごとに疑われるんだよ」 「若狭さんになら疑われたい」  困惑する私に対し、彼は吹っ切れた表情になる。 「信用できない相手からは、目が離せないよね?」 「あなたの感覚がズレてるのか、ものすごいポジティブなのかよく分からない」  柿崎くんが改めてまっすぐな視線を向けた。 「若狭さんは僕のことが嫌い?」 「この流れでそう答えたら喜ぶんじゃ……?」 「ご名答」  私は大きくため息をついた。 「簡単には分類できません」 「『どうでもいいです』じゃないんだ」 「厄介な人に関わっちゃったなぁ、って思う」 「ご愁傷さま」  キラキラしている彼とは、距離を保ちたかった。けれど、嘘をつくようなところを身近に感じ、意外と面白い人だと思ってしまう。  私の感覚も、たいがいおかしい。 「いつか、本当に柿崎くんを騙すかもしれないよ?」 「そのためには、僕をよく知らないといけないし――」  相手の顔が期待に満ちる。 「ある意味、夢中になってくれるわけで――」  そして、朗らかに結論づける。 「それは恋に似てるよね」  私は彼の発想にポカンとしたあと、脱力する。 「あなたの感性についていけない」 「あるていどの距離を保ったほうが、安全かも」 「残念だけど、深入りしすぎたみたい」  私は柿崎くんに釘を刺す。 「好きになるかどうか分からないよ?」 「そう言ってくれるだけで、すごい前進だ」  私の気持ちが変化していくのか、自分たちの未来がどうなるのか、まったく想像できない。けれど、なんとなく粘り負けしそうな気がした。  柿崎くんが確認してくる。 「下校するんだよね。送っていい?」 「もう数学の質問には答えないから」 「ひょっとしてバレた?」 「去年、柿崎くんと同じクラスの人が噂してた。飛びぬけて数学が得意だって」 「ごめん」  ばつの悪い顔をする彼に、私はふっと笑った。 「あといくつ嘘をついてるのかな」 「ほとんど発覚したよ」  不意に、さっき耳にした言葉を思い出す。 『若狭さんの嘘はまっすぐだった』 「柿崎くんの嘘は――」  彼が緊張した表情で待っている。私はからかうような気持ちで、ポンと投げた。 「かわいい」  柿崎くんはビックリしたあと、いたたまれない様子で赤面した。  嘘をつくのはいけないこと。でも正直に接していたら、偽りのない姿や本当の気持ちを見せ合えなかった。  ずるい私たち。一筋縄ではいかないから、ねじれた鍵が必要だ。  これからも、ときどき嘘をつくのかもしれない。そんなふうにして、本心を伝える。  帰り道、晴れた空を見上げながら、私はそっと白状した。 「私、『やらずの雨』の意味、知ってた」 「うん。見てれば分かった」  即答する相手に、苦笑する。 「結局、ひとつも嘘が通用してないよね?」 「どうかな。君が騙しても、僕が信じたら、それはニセモノじゃなくなる」 「……疑わないの?」 「どっちでも同じだよ。言葉の向こうに、若狭さんがいる」  彼がまっすぐ見つめていれば、表か裏かというのは、ささいな違いなのかもしれない。  私はホッと肩の力を抜いた。 「敵わない、あなたには」  すると柿崎くんは目元を和らげ、これまででいちばんまぶしく、笑った。
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