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「あー、オホン。お兄さん、それ触らない方がいいよ」
女性の、メゾソプラノの声に俺はハッと現実に引き戻された。
突然の第三者に、俺は声のした背後へと勢いよく振り向く。そこにはスーツに身を包んだ三つ編みの若い女性が立っていた。防寒着を着込んでいないけど、寒くないのだろうか。
コツコツと革靴を鳴らしてその女性はこちらへ近づいてくる。
「ていうか今からここ立ち入り禁止だし」
部外者は悪いけど出てってもらうよ、と人のいい営業スマイルを貼り付けて女性は残酷なことを言い放った。
「いや……部外者も何も……ここ俺の家なんだけど……」
「あらま、そいつは災難ね」
口ではそう言っているものの、あまり興味ないと言った感じだった。その証拠に女性は俺の横を素通りする。そして目玉を前にして止まった。彼女はその巨大な球体を見上げるも、大して驚く様子を見せない。これに触れない方がいいと注意喚起をしたあたり、彼女はこれが何なのかわかっているのかもしれない。
スーツパンツのポケットからスマホが浮遊して飛び出す。彼女の前に陣取ったそれは、まるでスマホそのものが自我を持っているようで、俺は目を疑った。巨大な目玉で混乱しているというのに、追い打ちをかけられた気分。
「Hey, PG. Found it」
『'Kay, wanna take contact with your bro? 』
女性はフヨフヨと浮遊しているスマホ相手に何やら通話をしている。距離はそれほど離れていないので会話はバッチリ聞こえるのだが、明らかに日本語ではなかった。恐らく英語だろうか。だが悲しいことに俺の英語の成績は下から数えた方が圧倒的に早かったので自信はてんで無い。しかしその光景はまるで地球外生命体を監督している某SF映画みたいだ、と感想を抱く。
俺は浮遊しているスマホにひたすら釘付けだった。元々情けなく開いていた口が一層閉じなくなっていた。
しばらく互いに言葉を交わしていたが、通話が終わったのだろう。スマホは自らポケットに戻っていった。俺は思わずそれの軌道を追ってしまう。
「……何見てんの」
「え、あ……いや……」
「てか立ち入り禁止って言ったのわからない? なる早でここから離れて」
ジト目で睨まれる。彼女が不機嫌なのは明らかだった。別に凄まれたわけでもないし、睨みそのものに迫力はない。だがどちらかと言えば冷ややかさを感じるその視線はより一層この場の空気を冷たくしていた。
「あの……」
「……何」
呆れからやってくるため息を吐かれる。常に職場でパワハラを受けている俺は思わず身構えてしまい、硬直してしまう。しかし固まったところで事態が改善しないのもわかってはいるので、勇気を振り絞って質問を続けた。
「俺……記憶消されるんですか? ほら、あの映画みたいに……」
ほら、ピカッと光りを放つ……と補足すれば、彼女も合点が行ったのか「ああ、」と声を上げてくれた。
「もちろん消すに決まってるでしょ。やり方は違うけど」
何を当然なことを、と再び呆れられる。
その言葉に俺は何故か言いようのない落胆を胸に抱いていた。何故消されることにここまでがっかりしているのだろう。思考と感情が違いすぎて、何もかもがぐちゃぐちゃになっていた。
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