消えた主人公

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消えた主人公

「香坂ちゃん。一緒に本棚整理してたはずの安里がいなんだけど、こっちに来てない?」 社員の乃木さんが、心配そうな顔でレジカウンターへやって来た。 乃木さんは優しすぎると、香坂は常々思っていた。仕事をほったらかしてサボっているアルバイト店員がいるとしたら、それは怒ってしかるべきだ。 「あたしが探してきます。乃木さん、レジのほう頼めますか」 香坂はまず、安里のケータイへ連絡した。 発信音のあと『電波の届かないところにいる』と言われたので、あいかわ書房の一階から三階までを見てまわった。 彼がよく行く牛丼屋ものぞきに行ったが、そこにも安里の姿はなかった。 「安里くん、どこに行っちゃったのよ。まったく、かくれんぼしてるんじゃないんだから。……あら? これって」 書店の一階、洋書コーナーの床に、一冊の本が落ちていた。 えんじ色の表紙に、金色のタイトルが刻まれている。 香坂はその本のタイトルを心の中で読みあげて、「あっ」と声をあげた。 「この本……知ってる。あたしが子どもの頃、お母さんが日本語に訳してくれた本だ」 確か三、四歳頃の記憶だけど、不思議と覚えている。 母親が読み聞かせしてくれた洋書の挿絵を、クレヨンでぐちゃぐちゃにした。 母にはそのあとこっぴどく叱られた。 でもそのときは、主人公の男の子が憎らしくて仕方なかった。 この本のせいで、お母さんは自分に構ってくれない。挿絵の男の子にお母さんをとられたような気がしたのだ。 「もう絶版になったんだと思ったけど、まだ生きてたのね。ふふ」 香坂は懐かしそうに目を細めた。 「あのときはごめんね。また会えて嬉しい」
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