*11 花火のようにはじけ始めた本当の想い

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*11 花火のようにはじけ始めた本当の想い

 俺の学校が夏休みに入って、バイトが朝から夕方までのシフトが多少入ったりすることはあっても、いつもに比べれば朝がゆっくり目で時間に余裕があるせいか、最近かなりハルの機嫌がいい。  熱が治ってすぐの先日のおかしな電話騒動で機嫌と情緒が安定していなかったから、俺がいることでハルが少しでも安心してくれるなら本望だ。  学校からの課題をこなしたり、カフェの仕事で忙しいユキナさんや管理人業で忙しいダイちゃんに代わって簡単な食事を用意したり、食品とかの買い出しに行ったりしていて何気に忙しい毎日を送っている。  ハルはそんな俺の後ろをついて回って、時々手伝ってくれたりする。それだけのことなんだけれど、やっぱり嬉しそうだ。 「ハル、今日の夜ごはん素麺とカレー、どっちがいい?」  梅雨が明けてから連日三十五度前後の猛暑日が続いているせいか、作ろうかと思い浮かぶ料理がさっぱりするものか、カレーみたいなスタミナ系に偏りがちになってしまう。  もっと野菜とか魚とかバランスよくしたほうがいいよなぁ……とは思いつつも、俺自身がそんなにまだ作ることができる料理がないので、結局この二択になりがちだ。 「んー、えっとねぇ、ハル、カレーがいい。ソーセージのってるやつ!」 「お、いいねぇ、じゃあ、ゆで卵も載せちゃおうか」  二択になりがちな俺の提案にも、ハルは一生懸命考えて選んでくれて、その上、俺の案にプラスしたことも言ったりしてくれる。  こういう時、ハルは本当に賢くて、気遣いができる子だなと思う。わずか四歳なのにこんなに相手の気持ちを汲み取ろうとしてくるハルの対応力にいつも驚かされる。  そして同時に、そんな風に相手――ほとんどの場合は大人、それも、彼の親なんかに対して気を遣わなければいけなかったであろうハルの置かれていた環境を思うと、居た堪れなくて切なくなる。  甘えていいはずの存在がない子どもの暮らしは、すごく辛いのを俺はよく知っているから。  べつに何か大きな相談をしたいわけじゃないし、人生のかかった悩みへの的確なアドバイスをしてもらいたいわけでもない。  ただちょっとした愚痴を聞いてくれたり、慰めてくれたり、自分だけを無条件で受け止めてくれる大人の存在がたまらなく欲しくなる時がたまにある。でもそれは、願ったからってそう簡単に手に入らない。  俺はたまたま、大ちゃんとユキナさんに出会えたし、その前は一応施設の先生とかもいた。  でもハルは今も、その前にも、そういう存在がいないんじゃないかという気がしてならなかった。  カレーの材料になる野菜と肉を商店街の八百屋と肉屋で買って、カレールーとラッキョウを買いにスーパーのナミキに寄ったついでにハルにアイスを買ってやった。  夏の昼下がりの商店街のアーケードは、通りの店から漏れてくるエアコンの冷気が汗ばんだ肌に心地いい。  アイスを舐めながら商店街を歩いていると、ふと、BGMが途切れて商店街のお知らせが流れてきた。 『――日、土曜日。午後七時半より、日井(ひい)川にて花火大会を開催いたします――』  日井川とは、商店街から一番近い少し大きな川で、メゾンからも近くて、時々聡太さんがチョコを連れて川原の広場に散歩に出かける。  どうやらそこで、来週末に花火大会が行われるらしく、そのお知らせの放送だった。  ハルも散歩についていくことがあるので、どこのことを言っているのかはわかっているみたいだ。 「日井川って、チョコのおさんぽで行くとこだよね。そこではなび? っていうのするの?」 「うん、そうみたいだね。ハル、花火知らないの?」  俺が訊くと、ハルはアイスを舐めながらうなずいて、「お花をどうするの?」と、質問を返してきた。  俺もそんなに花火をやったり見に行ったりという経験はないので、ハルからの質問にちゃんと答えられる自信がなかった。  じゃあ、その花火大会に行ってみようか! と、ハルを気軽に誘える自信もなかった。花火大会がどれぐらいの混みぐあいで、迷子になりやすい場所であるかぐらいは一応知ってはいるからだ。  とは言え、俺の自信のなさでハルに夏の醍醐味を体験させないのも可哀想な気がして、俺は立ち止まってしばし考えこむ。  立ち止まったのは、昔ながらの小さな文房具屋の前で、店先には色とりどりな花火が何本もパッケージされたいわゆる花火セットがいくつか並べられていた。 「これだ! ハル、今日、花火しよう!」 「はなび、メゾンでもできるの? 帰ったらするの?」 「えーっとね、帰って、夜ごはん食べて、夜になって暗くなったらやるんだよ」 「夜にやるの?!」  夜、という、ハルにとって暗くてほとんど眠りの時間でしかない未知の時間帯に、何やら楽しげなことをすると聞いて、ハルはたちまち目を輝かせる。  俺がそうだよとうなずくと、ハルは飛び上がって喜んだ。その姿を見られただけで、俺はもう充分に嬉しかった。  早速文具店で花火セットを三つほど買って、俺とハルは唄うように夜の計画を話し合いながらメゾンに帰った。  メゾンに帰ってから、ハルは夜に備えてお昼寝をする、と言い出して、管理人室の掃き出しの窓を開け放った寝室のラグの上にごろりと横になる。  最初の方こそ、「どーしようー、ねれないよぉ!」なんて言いながら歌を唄ったりしていたのに、次第にその声も小さくなっていって、いつの間にか寝息に代わっていた。  俺はその様子を、買ってきた食材を片付けたり、炊飯器にセットする米を研いだりしながら眺めていた。  寝室に覗きに行ったら、ハルはにっこりと微笑んだままの寝顔で眠っている。その寝顔がかわいくて、俺はそっと、指先で頬に触れる。  この感情をなんて言えばいいんだろう。時々、ハルを、弟のように……いや、それ以上に、見てしまっている気がするんだ。まるで、すごく大切な存在――例えば、好きな人のように、見てしまっている自分がいる。  いつだったか、親友の坂神に“そういう目で見ているんじゃないか”と、冗談交じりに言われて、否定する言葉を返しつつも、どこかでひやりとしていたのも確かだった。 「……俺、なんかおかしいのかな……」  ハルはかわいいし、大切にしたい守りたい存在で、それは事実だ。  でも……その気持ちに、時々何かほのかに甘いものを混ぜてしまいたくなるのはどうしてなんだろう。守りたい気持ちと同じくらい、なんて言ったらいいのか、より大切にしたくなるんだ。  大切にしたくなる、っていうのじゃな足りない気がするな……それよりも、もう少し甘いと言うのか、なんて言うのか……やっぱり、好き、という気持ちが一番しっくりくる気がする。  こんな小さな子に、そんな、“好き”っていう、恋愛感情みたいなものなんて、許されないに決まっている。それは頭ではわかっているのに、完全に打ち消せないのも事実だった。  もやもやとした答えのすんなり出ない想いを抱えながら、俺は早めの夕食の準備に取り掛かる。  米は炊飯器にセットしたので、まずはサラダを作ることにした。  トマトをスライスして、玉ねぎのみじん切りをレンジにかけてドレッシングにする。この前作ったらハルが大好きだと言ってくれたトマトのサラダだ。  これはよく冷やした方が美味いから、カレーより前に作って冷蔵庫で冷やしておく。  カレー用の玉ねぎを刻んで炒めつつ、ジャガイモの皮を剥いたりニンジンを刻んだりしていたら、管理人室のベルが鳴った。  ベルに応えるように返事をすると、「俺だ、俺」と、いわゆるオレオレ詐欺か? と言いたくなるような言葉が返ってきて笑ってしまう。  苦笑してドアを開けると、賢さんが、「よぉ、」と片手をあげて立っていた。 「家賃持ってきたんだけど、あいつらは?」 「今日はリュセルでワークショップだから。ふたりともリュセルにいるよ」 「あーそっか……あれ? あのチビは?」 「ハルはね、夜に備えて昼寝中」 「そろそろ起こそうかな」と、言いながら俺は野菜をいためていた鍋の火を少し弱めて、寝室に向かう。 賢さんは、ごく当たり前のように管理人室に上がり込みながら、「夜? なんかすんのか?」と、訊いてきた。 賢さんも聡太さんも俺よりずっと長くメゾンに住んでいる。それこそ、大ちゃんがユキナさんと結婚するよりも前から。 だから、管理人室には割と勝手知ったるな感じで上がってくるし、大ちゃんたちもそれに対してイヤな顔はしない。  アパート全体が家族みたいな付き合い方をしているから、ハルが突然迷い込んできても、まるで昔からいたみたいに面倒を見てくれるのかもしれない。  賢さん達は家賃滞納を理由にしたりしているけれど、それを差し引いても、かなりお世話になりっぱなしな気がする。 (……こういうのを、“持ちつ持たれつ”っていうのかな……)  そんなことを思いながら、ハルを起こしてやると、ハルはゆったりと目をこすりながら起き上がって、「もうはなび?」とつぶやく。 「花火はまだだよ。カレー作るから、手伝ってくれる?」 「んぅ……あれ? カジイ?」 「おう、よく寝てたな」賢さんが笑って言うと、ハルも笑ってうなずいた。  寝覚めのお茶をハルの飲ませながら、「あ、そうだ、賢さんも花火しない?」と、思いついて誘ってみる。  俺の提案にハルはまだ賢さんの返事も聞いていないのにはしゃいだ声をあげ、それに押されるように、賢さんがうなずいてくれた。 「どうせなら斎藤も誘おうぜ。今日は昼のバイトだけだったはずだから、もう少ししたら帰ってくるだろうよ」 「わぁい! みんなではなびだぁ!」  思いがけないイベントになりそうな夜の約束に、ハルは喜びを隠せないで飛び跳ねる。その姿が本当にかわいくて仕方なくて、俺は胸に刻み込むように見つめる。  メゾンの庭でその夜みんなでやった花火は、満天の星空よりも煌めいていた。  火薬のにおいのする鮮やかな記憶が、ハルの中に残っていることを祈りながら、俺はハルとみんなと、はしゃぎながら何本も花火を楽しんだ。
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