*15 ほしいもの、ほしかったもの、てにいれられるかもしれないもの

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*15 ほしいもの、ほしかったもの、てにいれられるかもしれないもの

 ハルを正式に、俺みたいにメゾンに迎えると決めてから、大ちゃんもユキナさんもかなり忙しくなった。  大ちゃんユキナさんと、ハルには血縁関係がないから、俺のように普通養子縁組ではなくて、特別養子縁組にすることにしたらしい。  特にハルの場合はネグレクトが疑われるので、特別養子縁組は元の親の親権を放棄させるパターンを取るとのことだ。  ちょっと考えられない行動をするようなあの親に親権が残っていたら、無理矢理に連れ戻されるんじゃないかというのが大ちゃんたちの考えだったからだ。  特別養子縁組を結ぶには結婚している夫婦でないといけないとか、親になる人の年齢とか、養子にする子と六カ月以上一緒に暮らしているかとか、いろいろ条件がある。もちろん元の親達にも連絡を取らないといけない。  そのひとつひとつを、調べて確認して、まずは弁護士のところ、それから家庭裁判所などで相談をする日々が続いた。  ユキナさんはリュセルの営業をベテランのバイトのひとに任せて、大ちゃんとふたり、ハルを連れて家裁に行ったりもしていた。  俺は、少しでも大ちゃんたちの疲れが取れるように、学校とバイトの合間に家のことを出来る限り手伝うしかできない。  俺の時と勝手が違うのもあって、大ちゃんもユキナさんも帰ってくるたびに疲れた顔をしていたし、ハルも大ちゃんに負ぶわれて寝ちゃったりするほど疲れていたけれど、少しずつ、ハルを迎えられる環境は整いつつあった。 「ねえねえ、かてーさいばんしょ、って、明日もハル行くの?」  何度目かの家裁での話合いの前の晩、ハルはベッドの中でふと訊いてきた。  季節は十一月の半ばで、部屋にはそろそろ電気ストーブを出そうか、ベッドには毛布を足そうかという頃だ。  俺は寒いのが苦手だから、いつも冬は憂鬱なんだけれど、今年はハルという天然湯たんぽ的な高い体温の存在がいるから、かなり助かっていた。  眠る前恒例の絵本読みをしてやっている最中にそう訊かれた俺は、大ちゃんとユキナさんが話していたことを思い出しながら答える。 「いや、もうそろそろ最後じゃないかな?」 「ホントに?! じゃあ、もうすぐハル、メゾンの子になるの?」 「そうだねぇ、たぶん」 「楽しみだなぁ。ハル、潤くんが行ってた小学校行けるんだね」 「俺が行ってた? それって、商店街ぬけたとこにあるやつ?」 「うん。違うの?」  俺は小学生の頃はここではない、もっと遠い地方の街にいた。  親戚の家から、その家の子どもと一緒に近所の小学校に通っていて、そこには二年くらい通っていたと思う。一つ目の小学校だった。もう、憶えてないけれど。  俺は保育園みたいなところに少しだけ通って、小学校は五回変わって、中学は三回変わった。住むところは……憶えているだけで、五~六回は変わったんじゃないだろうか。  北は山形の田舎町、南は大阪の下町など、あちこちを転々として、最後に都内の施設に入った。  ハルは、てっきり俺はずっとメゾンに住んでいたとばかり思っていたらしく、それはつまり、大ちゃんが俺の本当の親だとも思っていたのかもしれない。  俺と大ちゃんは従兄弟同士で、大ちゃん、ユキナさん、と呼ぶのが当たり前になっていたし、そんな風にふたりを呼んでいれば親だとは思っていないだろうと思い込んでいたから、ハルに俺の身の上をきちんと話していなかったのだ。  だから俺は、ハルにわかり易く、俺の親は大ちゃんとユキナさんではないこと、本当の親はいないこと、この近所の小学校には通っていなかったことを話した。  ハルは、毛布と布団に埋もれるようにしながら、俺の話をじっと真剣な面持ちで聞いていた。 「潤くん、ホントのパパとママ、いないの?」 「うん、そうなんだよね。ママは俺を産んでからすぐ死んじゃったか別れたかなんかで顔も名前も知らないし、パパは……俺を置いて、どこかに行っちゃった」 「ハルと、おんなじだ」 「そうだね、おんなじだね。だから、俺、ハルのことメゾンに連れてきちゃったんだ。ひとりぼっちなのが、ちいさい頃の、俺みたいで」  そっと俺がハルの前髪を撫でながら言うと、ハルはそっと目を瞑って受け止めている。まるで、俺の気持ちごと受け止めるように。  それから、ハルは布団から腕を出してきて、前髪に触れていた俺の手をぎゅっと抱きしめてきた。 「ハルも、潤くんのかぞくになってあげる。もうちょっとだから、まっててね」  ハルぐらいの時から、ずっと俺のクリスマスや誕生日や七夕の願い事は、「大好きな家族ができますように」だった。  どんな家に行っても、どこの家でも気に入られようと手伝いとか勉強とかどんなに頑張っても……なんか、いつもうまくいかなくて俺は浮いていたから。  だからと言って、家のひとを試すように家を出て悪いことをして回るような度胸もなかった。  そうして誰にも心を許せず開けないまま、気づけば預けられる親戚も知人もなくなっていて、施設に送られた。  そんなとき、最後に見つかったのが大ちゃんとユキナさんの家だ。正確には、じいちゃんの家だったんだけど。  俺の父親って人は、じいちゃんの末の弟だったかなんかで、素行が悪くて、十代の時に家を飛び出して、それきり音信不通だったんだそうだ。  勝手に家を出て、子ども――俺のことなんだけど――作って、育てきれなくなって、当時近くに住んでいたらしい大ちゃんのおばあちゃんの家の前に置去りにしてどこかへ行って、それきり行方知れず。  だから、俺の父親って人は大ちゃんの親戚からは良いように思われてなくて、その子どもである俺がよく思われてないのも当然なわけで。  そういうこともあって、連絡が着いたのはじいちゃんだったのに、俺を引取ることに反対だった親戚との折衷案で、俺はじいちゃんの息子であって、俺にとっては従兄である大ちゃんに引き取られることになって今に至っている。  大ちゃんもユキナさんも、俺を引取ってくれたけれど、きっとすぐにまた余所に行かされるんだって思っていた。それかまた施設に戻されるんだろうな、って。  なのに――大ちゃんたちは、俺を本当の家族にすると言ってくれて、養子に迎えてくれて、今までに一度だって俺に追い出すようなことは言わないし、していない。  それどころか、俺の無茶なわがままを叶えてくれようと手続きに奔走して、その上その子どもを俺みたいに家族にしようとしてくれている。  これ以上に、俺を愛してくれている人たちを、家族と呼ばなくて何と言うんだろうか? 「潤くん? 泣いてるの? だいじょぶ?」  これまでのことを思い返していたら、いつの間にか俺は泣いていた。  悲しいわけでも、今までが惨めなわけでももちろんない。ただ、いま俺の濡れた頬に触れてくる小さな指先のぬくもりが痛いくらいに嬉しくて、愛しくて……ああ、好きだなって思えたからだ。  その好きの意味が何なのかは、いまは考えないでおこうと思った。考えてしまったら、きっとこの小さな彼を困らせてしまうから。  だからいまは、甘いあまい喜びの中に浸ることだけを考えておこう。 「大丈夫だよ、ハル。ありがとね」  俺が泣き笑いして言うと、ハルは嬉しそうにうなずいて、そして俺の手を握って眠りについた。  やっと、ハルと家族になれる――そう思うと、心が嬉しさで飛んでいきそうなほどふわふわした気分だった。夢を見ているような、まったく現実味がない景色を見ているみたいだ。  嘘じゃないよな、夢だって言われて醒めないよな……そんなことを祈るように思いながら、俺もまたハルの隣で目を閉じる。  しあわせだって思っていいんだ、俺も、ハルも――  そんな当たり前を噛み締めながら迎えた眠りは、なによりもあたたかで甘かった。  この日、手を繋いだまま眠りに落ちたのは、なにか(むし)の知らせみたいなものを、本能のどこかで察していたからなのかもしれない。離れないように、引き剥がされないように、と。  そんなことを後になって振り返って思ったりするんだけれど……どれも、後付けにしか過ぎないとも言える。  だってまさか、翌朝目が覚めたらあんなことになるなんて――俺も、ハルも……いや、きっと大ちゃんもユキナさんも誰も思っていなかったんじゃないだろうか。  ――メゾン・ド・モカの誰も予想もしていなかった人物が、翌朝になって突然現れるなんて。
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