*22 背けられた視線から甦(よみがえ)る古い記憶と古い傷

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*22 背けられた視線から甦(よみがえ)る古い記憶と古い傷

 いつからだろうか、ハルがひとりでも寝られるようになったのって。  メゾンに正式に引き取られてからも、ハルは結構長い間俺と一緒に同じベッドで寝ていた。  最初は、またあの親のところに引き戻されるのを怖がっているのかと思っていた。  最初はメゾンの中でもひとりではいたがらなかったし、もしかしたらいきなり連れ去られるみたいなことが起こるかもしれないと思っていたみたいだから。  小学校に入る頃には、近所の公園とか商店街にも友達や一人でも行けるようになっていたし、高学年になる頃には一人で留守番にもできるくらいにはなっていた。  でも、夜寝る時だけは、どうしても俺と一緒でないとダメみたいで、少なくとも俺が就職して遅番の勤務が始まるくらいまでは、一緒寝るようにしていたんじゃないかと思う。それが、たぶんちょうど一人で留守番ができるようになった頃だったんじゃないだろうか。  それぐらいまでは、ハルも特にいまみたいに、俺が見ているだけでにらんでくるようなことはなかったし、たぶん、風呂も一緒に入っていた記憶がある。  休みの日も、タイミングが合えば一緒に出掛けていたし、特に避けられている感じはなかったと思う。  でも最近は、目も合わせてくれないし、話もあいさつ程度しかしていない。  同じ部屋にいるのに、すれ違いばかりで、もう何日もろくに顔を見ていない気がした。 「……遅いなぁ」  同じ部屋に住んでいるのに、このところすれ違いばかりで顔を合わせることも会話をすることもなかったから、仕事が休みである今日はちょっと頑張って俺がハルと俺の二人分の夕食を作ってみた。  普段は管理人室で大ちゃんやユキナさんの作ってくれた料理を食べることが多いんだけど、俺らの部屋でも調理はできなくはないので、就職してからは時間が不規則になりがちなのもあって、時々自分で料理することが増えた。  昔に比べて料理の腕もわずかながらに上がったので、それなりのものが作れるようになったとは思う。  ちなみに今日作ったのは、ハルが好きな鶏の照り焼き、マッシュポテト、きゅうりのサラダにブロッコリーのミルクスープだ。  今日はリュセルでのバイトはない日だとユキナさんに確認済みだから、夕方の六時も過ぎてもう帰って来てもいい頃なのに、ハルはまだ帰ってくる気配がなかった。  一応、夕食を作る前と、出来上がってからとメッセージを送ったんだけれど……どれにも返事がない。既読はついているんだけれど。  もう一度、いまどこにいるかどうか連絡してみるか? とか、あんまりしつこくしたらウザがられるかな? とか、もんもんとしながら俺は冷めていく夕食を前にハルを待ち続けていた。  待っている間に、そう言えばもうずっとハルと一緒に寝ていないな……ということを思い出して、改めて最近のハルの素っ気なさ……というか、俺の避けられぶりを思った。  避けられている……素っ気ない、とかじゃないんだよな、ハルの最近の態度って。いまだって返信もないし。  聡太さんや賢さんは、ハルがそういう年頃なんだよとか、いままでがいい子過ぎただけだろうとか、言っていたけれど……それで片づけられるほどに俺とハルは浅い関係じゃない。  ハルは、たしかに人の顔色を見るところがあったけれど、気分とか周りの雰囲気とかに流されてむやみやたらに反抗的な態度をとるようなやつじゃないと思うんだ。  現に、大ちゃんやユキナさんには今までと変わりなく、素直な態度みたいだし。  ……俺にだけ素っ気ないというか、俺だけ避けられているというか。その点が、不可解だった。 「俺、何かやっちゃったのかな……」  兄貴面して、何かお節介すぎることやらかしちゃったのかな、知らない間に。  俺とハルって、血の繋がりはなくても、戸籍上は一応兄弟だけど、歳が離れているからか、それとも俺がハルに何とも言えない気持ちを持っているからか、距離感が普通じゃないって言われたことがなくはないんだ。  それが、聡太さん達が言う、“過保護”ということに繋がるんだと思うんだけれど、そういう近すぎる距離感でずっときていたから、俺だけが突っ走ってハルの気持ちを置き去りにするようなことをしてしまったんじゃないか、と。  ハルは聞き分けの良い、いい子だから、相手の顔色をうかがうところがあるから、俺のことイヤとか言えなかったんじゃないだろうか――そう、考えもした。  そういうのが積もりに積もって……避けるようになったんじゃないか? と、考えが至ったところで、部屋のドアが開いてハルが帰ってきた。 「おかえり。メシ、出来て――」 「あ、食べてきた」 「え? 食べてきた?」  ダイニングテーブルから立ち上がってハルのそばに歩み寄りながら声をかけたら、思ってもいない言葉が返ってきて俺は立ち止まる。  ハルは、テーブルの上を見てバツが悪そうに俯いて、「……友達と食べてきた、ごめん」とだけ言って、勉強部屋にもしている寝室に荷物を置きに行ってしまった。  え? さっきから俺ずっと連絡していたのに……食べてきた、って…… 返信も連絡もなかったことも、ハルのためにと思って作ったものが無意味になってしまったのもショックで、腹が立つよりも俺はぼうっと立ち尽くしかけて、慌てて顔をあげる。 「そっ、か……じゃあ、明日の朝にでも食べなよ。冷蔵庫入れとくから」  ショックを受けたことを隠すように、打ち消すように明るい声を寝室の方にかけたけれど、小さい声で「うん」とだけ返ってきたのが聞こえたような気がしただけだった。  手を付けられることもなかった料理たちにラップをかけて、俺は一皿ずつそっと丁寧に冷蔵庫へしまう。  それからひとりで夕食をとったけれど、あんなに上出来だと思っていた料理は、どれもなんの味もしなかった。  食べてもらえなかったショックもあるけれど、ハルに忘れられていたことが何よりショックだった。  メゾンの部屋は基本、1DKだから、ダイニングの隣の部屋である洋間が寝室と勉強部屋を兼ねることになる。  そのため、ハルと相部屋である俺の部屋は、片方が寝ていると必然的に自分も寝なくてはいけなくなる。  まだ起きていたい場合何かは引き戸を閉めて、ダイニングでテレビを見たり、酒飲んだり、スマホをいじったりするんだけれど、大して用事がない場合はたいてい寝てしまう。  とは言え、俺もハルもまあまあ夜更かしする方なので、二人とも起きていることがほとんどだ。  でも今日は、俺が風呂から上がったら、もうハルは明かりを消してベッドに潜り込んでいた。  よっぽど学校が疲れたのか、ハルは頭まで布団を被って背を向けているようにも見える。  本当は、寝る前に今日なんで連絡に答えなかったのかとか、勝手に夕食食べてきちゃったのかとか聞きたかったんだけれど――後ろ姿すら見せてくれていないハルの姿は、俺を拒んでいるようだった。 「――ハル、あのさ……」 「…………」  そっと、薄暗がりに名前を呼んでみても、丸く膨らんだ影は応えてはくれない。  聞こえなかっただけかもしれないのだけれど……俺は、それ以上声をかけられなかった。もう一度声をかけてもまた応えてもらえなかったらと思うと、できなかった。  たかが一度や二度の夕食のすっぽかしや、呼びかけに応じないで背を向けるような態度をとられただけなのに、何をそんなに怖気づいてしまうんだろう。  頭ではそうわかっているのに、俺は、結局また声をかけることなく自分のベッドに潜り込んだ。  ベッドに潜り込んでハルの方を見たけれど、ハルは顔が出すことはなく、そのままその日はお互い眠りについた。  暗いまぶたの裏に焼き付いた、背を向けて無言のままでいるハルの姿が、俺の古い記憶を呼び起こすことになるだなんて。  ――そしてその晩、俺はとても重苦しい夢を見た。
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