3人が本棚に入れています
本棚に追加
「おはようございます。また会えましたね」
「……? おはよう、ございます」
いつも通りの駅のホーム。通勤ラッシュの電車待ちで、たまたま隣に並んだ黒いスーツ姿の眼鏡の男性。
そんな風に自然に挨拶されたので反射的に返してしまったけれど、よくよく見てもその男性は見知らぬ顔だった。
私もその人も、どこにでもありふれた特徴のない顔だ。
人違い、別の部署の人、はたまた取引先の人。コンビニ店員や美容室、学生時代の同級生。色んな可能性を考えるけれど、思い出すことが出来ない。
「……」
「……」
挨拶以降、お互い無言で笑顔を返すのみで、それ以外は特に会話もなかったので正直助かった。こちらが一方的に忘れているなんて、気まず過ぎる。
やがて予定時刻に電車がやって来て、そのままそのスーツ姿の男性は、同じような服装をした人波の中に紛れて消えていった。
*******
そんな朝の出来事を、仕事に忙殺されてすっかり忘れていたお昼休み。
スマホに届いていたメッセージに返信をしつつ、今日は社食にしようか外でランチにしようか悩んでいるところで、ふと予測変換に出てきた単語に、先月新しく出来たお店のことを思い出す。
会社の近所に出来た、有名店。地元初出店だからと、同僚達が次々行ってきた報告をしていたのは、記憶に新しい。
私も前々から気になってはいたけれど、飲食店というのは開店当初は混雑するものだ。少し空いた頃に行こうと思っていたのを、すっかり忘れていた。
そして一度思い浮かんだら、それしか考えられない。私のお昼はこれで決まりだ。
早速制服にカーディガンを羽織って、お気に入りの赤い鞄に財布やスマホ等の最低限を入れて職場を出る。
お昼休みは短い。もう混んでいないといいな、なんて、仕事の邪魔にならない秒針の静かな腕時計で時間を確認しながら、横断歩道の信号待ちをしている時だった。
ふと、たまたま隣に並んだ人から、声をかけられる。
「こんにちは。また会えましたね」
「……へ?」
何の変哲もない挨拶。けれどデジャブを感じるその台詞に、私は一瞬固まって、恐る恐る顔を上げる。
隣に立っていたのは、今朝と同じ、特に特徴のない顔立ちをした、黒いスーツ姿の眼鏡の男性だった。
「……え、あ……どうも……?」
「向こうの通りに出来た店、オムライスが美味しいらしいですよ」
「は……?」
さすがに今朝に続いて二度目の遭遇ともなると、思い出せない申し訳なさよりも、戸惑いの方が勝る。
これが少女漫画なら、いわゆる『運命の出会い』だとかなのだろうけれど。現実的に考えて、タイミングやら行動範囲やらの被りに若干の恐怖すら感じてしまう。
それに、男が独り言のように口にした店は、私が今しがた行こうとした場所だった。
不安や恐怖とは裏腹に、やはり男性は会話を続けることなく、信号が変わるなり笑顔のみ残してさっさと行ってしまった。
その背が人混みに紛れて見えなくなっても、私はその場で立ち尽くしてしまう。
「誰なの、あれ……」
とりあえずスマホの連絡先一覧を確認したり、必死に頭の中の引き出しを手当たり次第に開けるけれど、やっぱりその男性のことは思い出せなかった。
*******
最初のコメントを投稿しよう!