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「え……それ、彩歌のストーカーとかじゃなく?」
仕事を終えて、今日は学生の頃からの友達、友莉との食事だった。
結局、昼はもし男が先回りしていたらと思うとそのまま外食する気になれず、コンビニおにぎりで済ませてしまった。その分余計にお酒が美味しく感じる。
「まさかぁ。ストーカーならもっとこう、隠れて何かするとか、逆にぐいぐい来るとかしない? 挨拶だけって……」
「だって、朝も昼もとかさ……やばくない?」
「んー、あっちもスーツだったし、通勤時間も昼休みも偶々被ってただけだって。ほら、会社近いのかもだし」
心配そうな顔をしてくれる友莉に、私はへらりと笑みを返す。お酒の力を借りて誰かに伝えることで、この何とも言えないもやもやとした気持ちも、一人で抱え込まなくていいのだと何と無く安心できた。
「うーん……そういうもの、なの? わたしは在宅勤務だからよくわかんないけど……まあ何にせよ、二度あることは三度あるって言うし、次また会ったら何か対処考えよう」
「ん……そうだね。でもまあ、我ながら大袈裟だったかも。聞いてくれてありがとう、友莉」
大したことじゃない。偶然に過ぎない、今日の話題のひとつ。
自分で自分に言い聞かせるようにすることで、本当にそうなる気がした。
それからしばらく飲み食いし、話題も仕事の愚痴に趣味の話と尽きることはなかった。
昼に行こうとした店のランチより、きっと美味しい。私のアレルギーに配慮してくれたお店選び。あの男のように一方的ではない会話のキャッチボール。明日のことを気にしなくていい週末の美味しいお酒。
そして気付くと、既にラストオーダーの時間。すっかり夜も遅くなってしまった。
店を出て、少しひんやりとする夜の空気は、ほろ酔いの身には心地好い。
男の件を心配してくれた友莉は、私の最寄り駅までわざわざ送ってくれた。
「友莉、送ってくれてありがとう。遅くなっちゃったし、気を付けて帰ってね」
「うん、彩歌も、ストーカー出てきたらすぐに通報するんだよ!」
「あはは、わかった。それじゃあ、またね」
「うん、また連絡するね!」
やっぱり『また』は再会の言葉だ。今朝のあの男の「また会えましたね」は適切じゃない。
やがて友莉の乗った電車を見送って、私は駅の改札を出る。駅から家までは徒歩十分程だ。ぼんやりと歩きながら、楽しかった記憶を反芻した。
夜遅くの住宅街は、他に通行人も居ない。私は鼻歌まじりに平坦な道をふらふらと歩く。
そしてアパートが見えてきた頃、不意に向かいから歩いてくる人影に気付いて慌てて鼻歌を止めると、それと同時に向こうから、今日何度目かの声がした。
「こんばんは、また会えましたね」
「……え」
暗闇に浮かぶ、黒いスーツ。
朝の通勤時とも、昼休みとも違う。ルーティンに囚われない行動で、日付も変わりそうな遅い時間に、こんな場所で日に三度目の再会。
私は思わず、挨拶に応えることなく背を向けて駆け出した。これはどう考えても、偶然の域を越えている。
「あ……、待……っ!」
後方から男の声が聞こえたけれど、幸いにして走って追ってくる足音はない。けれど、このまま男の居た家の方面にも帰れなかった。
私は走った。物凄く走った。
立ち止まることも振り返ることもなく大通りまで駆けて、ようやく車と人通りのある場所に出る。
男とは大分距離も取った、彼がストーカーだったとして、人目のある場所ならひとまずは大丈夫なはずだ。
「どうしよ……とりあえず、友莉に連絡……」
驚きと恐怖から酔いはすっかりさめたはずなのに、動揺からか、安心からか、走りすぎた疲れからか、スマホを鞄から出しきる前に、震えた足が縺れる。
「あ……!」
ぐらりと揺らいだ世界、手から滑り落ちたスマホ、地面に擦れて掌と膝に走る痛み。
「いっ、たぁ……」
掌を確認しようとして、不意に目に留まった腕時計。秒針のかちかちという音が、何かのカウントダウンのようにやけに大きく聞こえる。
あと数秒で日付が変わる。ああ、何だか散々な一日だった。
そう思った瞬間、深夜に響くブレーキ音に、そのまま全てかき消された。
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