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「若い女の子だって?」
「酔っぱらいの歩きスマホらしいわよ、危ないわね……」
「うわ、血の量やば……」
深夜にも関わらず集まる野次馬の囁き声をBGMに、事故現場には警察や救急車が到着したようだった。
人混みの向こうに一瞬見えた、道路の端に投げ出された見覚えのある赤い鞄を、警察が拾う。
あれは彩歌さんのだ。そして、野次馬の話を聞く限り、きっともう助からない。
僕は眼鏡を押し上げて、溜め息を吐きながら、元来た人通りの少ない暗い道へと踵返す。
「日付、もう変わる頃だと思ったんだけどな……。やっぱり、今回もダメだったか……」
僕は月に一度、不思議な夢を見る。『その日亡くなる人の夢』だ。
今回の夢の登場人物は、隣町に住む逢川彩歌さん。彼女とは、今日が初対面だった。
けれどその夢は詳細で、死に至るまでの一日のスケジュールだけではなく、職場や住所、家族構成やら友人関係まで、まるで夢の中で、その人になったようにさえ感じるのだ。
だから目が覚めると、その人を見ず知らずの他人とは思えずに、どうにか死の運命から救いたくなってしまう。
「彩歌さん……」
彼女は今朝、電車を待っている最中足元に落ちているハンカチに気付き、拾おうと屈んだ瞬間人とぶつかってホームに転落。そのまま運悪くやって来た電車に轢かれる。
それを阻止するために、僕は隣に並び挨拶をして、その数秒間意識を下に向けさせないようにした。
それを回避したとして、昼になればランチで訪れた店でメニューに書かれた隠し味の表記に気付かずに、アレルギーの蟹を口にしてしまう。そして呼吸困難を引き起こし死に至る。
それを阻止するために、別メニューを然り気無くすすめようとしたけれど、彼女は店に行くことすらやめたようだった。
そしてそれを回避したとしても、夜、友人との食事を終えての帰宅時に、アパートの前で本物のストーカーと鉢合わせて刺し殺される。
それを阻止するために、帰り道で立ち塞がり日付が変わるまでの数分間だけ何とか足止めしようとしたけれど、あろうことか逃げられてしまった。
そして、この結果だ。たった数分だと油断して、このパターンは予期できなかった。
死の機会は、日付が変わるまで何度でも訪れる。回避後のパターンも夢の中で予習出来たけれど、それは目覚めるまでの短い時間限定だ。
あまり積極的に行動しては夢が大幅変わってしまって対処しきれないし、かと言って直接伝えることはしない。
アドバイスをしても変な人に思われるのは明白で、胡散臭いと感じる相手の言葉なんて聞くはずもないのは、今までのパターンで学習済みだ。
直接の接触としては、精々挨拶するなり一言かけるのが限度だった。
こんな能力があっても、目の前の死がわかっていても、僕は予習内容を変えない程度に先回りして、見守るくらいしか出来ない。
それがとても悔しかったし、夢を見る度、そして終わりまでのタイムリミットが明確な状態で再会する度、自分の一部が死んでいくような感覚だった。
「はあ……」
無力感に苛まれながら自宅に帰り着くと、ちょうどポケットに入れていたスマホが震えた。
職場からの着信に、聞かずとも内容が予想出来て、僕は思わず眉を寄せる。
「もしもし。ああ、はい。わかりました……では」
予想通りの電話を切り、僕は黒いスーツを脱ぎ捨てる。シャワーで涙と汗を流したら、代わりに同じ色味の喪服に着替え、すぐに指定された場所へと向かった。
「……逢川様、この度は御愁傷様です。ご連絡いただきました葬儀社の者です」
そして僕は再び、今度は冷たくなった彼女に、何度目かの挨拶をするのだ。
「……、……また会えましたね、彩歌さん」
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