4.止められない熱情

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4.止められない熱情

 翌日、開館前の正門に現れた者に護衛達はどうしたものかと頭を悩ませていた。  レナードは明るい茶色の髪を後ろに撫で付け、白いジャケットに薄紫のシャツ、そして白いスラックスという出で立ちで現れた。そして手には大きな花束を持ち、下がり気味の灰色の瞳はなぜか赤く潤んでいた。 「まるで結婚の申し込みにでも来たみたいだな」  後ろの方にいた護衛の一人が声を潜めて皮肉ったように笑うと、レナードはそちらの方向を見て微笑んだ。 「こちらに在籍しているコーティザンにお会いしたい」 「ですから我が館のコーティザンにはなんと言われようと取り次げません。お引取り下さい」 「娼館の仕組みは理解しているつもりだよ。でも僕は客として来たのではなく昨日の礼がしたいと思って来ただけなんだ。話してくれればきっと向こうも承諾してくれるはずだよ」 「なんと言われても出来ないものは出来ないんです!」  本来なら追い払って相手にもしない所だが、いくらなんでも貴族子息を無下にする訳にはいかず、護衛達はただ押し問答を続けるしかなかった。 「ハーン子爵令息でいらっしゃいますね。昨日の出来事はうちの者達から聞いています」  護衛から呼ばれたマイノが到着すると、残っていた者達は安堵したように僅かに緊張を解いた。 「護衛長のマイノと申します」 「話が通っているなら早いね。それでコーティザンにはいつ会えるかな?」 「確認ですが、昨日の事で何かうちの者が粗相をしましたでしょうか?」 「まさか! 先程から何度も言っているように礼がしたいだけなんだ」  するとマイノはわざとらしく首を捻った。 「それはおかしいですね。謝罪を要求される事はあってもお礼を受けるような内容ではなかったと思いますが、いかがでしょうか。もしお礼をと仰るのなら当館の女将が対応致します」  貴族子息でも怯む事なく堂々と立つマイノに対し、レナードは無礼だと怒り出したりもせず、人の良さそうな困った笑みを浮かべた。 「参ったな。僕は相当警戒されているらしいね。昨日の事は本当に感謝しているんだ。そちらから見たら取るに足らない事だったかもしれないが、礼がしたいという気持ちは変わらないよ。だからぜひ本人に会わせて欲しい」 「失礼ですが、どこにも貴方様がお礼をされるような出来事はなかったように思いますがいかがですか」 「……詳細はここでは話せないがあの方に会えたら話そう。でもこれだけは信じて欲しい! 僕は決してやましい気持ちではなく、純粋にあの方に会って直接礼が言いたいだけなんだ」 「こちらも何度も言いますがうちは高貴な方々も沢山顧客にいますので、貴族の方だからといって特別扱いはしていないんですよ」 「分かっているが、君から話だけでもしに行ってくれないだろうか?」 「無理なものは無理ですね。うちのコーティザンには熱心な上顧客が付いているんで、そう簡単に他の男性には会わせられないんですよ。どうしてもいうのならその御礼とやらの内容を俺が聞き、必ずお伝えします。それがこちらの最大の譲歩です」  するとレナードは笑みを消し、困ったように俯いた。 「困ったな。客として来たのではなくただの気持ちだったのだけれど……」  その時、気配を感じてマイノが振り返ると、昼食の為に下りてきた娼婦達が何を聞きつけたのか扉の隙間からキャッキャと騒ぎながら見ていた。化粧をしなければあどけなさの残る表情を緩ませながらレナードを品定めしているらしい。そのどれもが容姿を称えるものだから、レナードは気まずそうに顔を逸した。 「こら止めろ、向こうに行け! すみません、気分を悪くされたのなら謝ります。まだ見習いなもんで躾が行き届いておらず申し訳ありません」  マイノは腿に手を置き、頭を深々と下げた。 「こういった場所で若い女性達に活気があるのは良い事だよ。気にしていないからそちらも気にしないでくれ」 「ありがとうございます。ですがそれとこれとは話は別です。ここまでご足労頂いて申し訳ありませんがどうかお帰り下さい。コーティザンには会わせられません、どうかご勘弁下さい」 「頭を上げてくれ。困らせて悪かったね。それじゃあ客として来るなら問題ないか?」 「紹介者を通してお客様としてのご来館は大歓迎ですが、通われてもコーティザンには会わせられませんよ」 「今は信頼を得る方が先のようだから仕方ないね。今夜から伺わせてもらうよ、紹介者には当てがあるんだ」  そう言うとどこまでも爽やかな笑顔を残して昼間の娼館を後にしていく。マイノは気まずそうに頭をガリガリと搔きながら、門の中へと入っていった。 「と言う訳で、イリーゼがハーン子爵の息子に惚れられちまったぞ」  マイノは女将の部屋で葉巻きをふかしていた素顔のイリーゼの横顔を見ながら溜息を吐いた。  部屋にはイリーゼの他にアデリータとデリカも揃っており、皆思い思いに過ごしながらぼんやりと外を見ていた。 「だから私は言ったじゃない。行かない方がいいって」  あの時通りを出てすぐ、ウィノラが何やら面倒な事に巻き込まれたというのはすぐに分かった。それでもイリーゼとデリカが少しの間傍観していたのはこういった厄介事を回避する為でもあった。  それでなくてもイリーゼとデリカは人気があり、評判を聞いた貴族や有力者達から二人の客になりたいという申し出は後を絶たない。その中から客を絞り、上顧客を相手にしてきたからこそ今の二人の価値がある。それなのに街で偶然出会った男に気に入られ、すぐに会ったとなれば顧客達の機嫌を損ねる事になり、大口の顧客を失うだけでなく娼館全体の信用問題にもなりかねない。ヒュー娼館のコーティザンにそんなに簡単に会えたとなれば、貴族男性の優越感をこの上なく満たす事になるだろう。  イリーゼは一際大きな溜息を吐くと、面倒くさそうに長い髪を掻き上げた。 「あの時はしょうがなかったでしょ? ウィノラをあのままになんて出来なかったもの」 「でも結果的に面倒な事になったわよ。わざわざイリーゼが出なくてもあの“食堂の僕ちゃん”でも行かせて掻っ攫ってくれば良かったのよ」 「あのね、そんな事をしたって調べればすぐにうちの者だなんてバレるのよ。誠心誠意謝っておいた方がいいのよ。そうでしょう女将?」    静かに三人のやり取りを聞いていたアデリータは、諦めたように息を吐いた。 「とにかくお相手の熱が冷める事を願うしかないね。なんならうちの売れっ子をつけようじゃないか。それで駄目ならイリーゼ似の子を片っ端から当てがうしかないね」 「……ここに私似なんていたかしら」 「酒を飲まして薄暗きゃ分かんないよ。欲を満たしてやりゃそのうち飽きるだろうさ」 「うっわ、なんか女将の嫌な所が出たわね」  デリカがわざとらしく膝掛けの毛布を引き上げながら口元まで隠した。 「しばらく通うだろうから、イリーゼは特に慎重に行動してくれ。来店したら知らせに行くから外出するなら裏口を使ってくれよ」 「マイノさん、面倒かけて悪いわね」 「気にするなよ。ちゃんと守るからな」  そしてそれからレナード・ハーンは父親のハーン子爵の紹介で公言通りその日に現れ、それから二週間毎日開館と共に現れた。  来ないのかと思った日もあったが、駆け込むように閉店間際に訪れるとその日は花束を置いていくというだけの日もあった。その熱意が周囲に伝わったのか、次第に絆され始めた娼婦達がいつしかイリーゼに少しだけでも会ってあげるようにと言い出す始末だった。 「レナード様はとてもお優しいんですよ! この間もいつも食事に付き合ってもらって悪いからって、私とこの子にブローチをプレゼントしてくれたんです」  そう鼻息荒く話すのは娼婦の中でもまだ下位の見習いの娘達だった。  見習い達はまず、食事を共にして男性に慣れる所から始める。そうして打ち解けたり、会話の仕方や男性の喜ぶ事を先輩から学んでいく。その場合、どんなに気に入られても仕事部屋を与えられていない彼女らは客を取る事は出来ない。だからこそ安心して客と接する事が出来るのだった。  レナードは誰から見ても非の打ち所のないような紳士だった。この二週間、レナードは娼婦に誘われても部屋に上がった事は一度もなく、食堂で余っている娼婦達と談笑しながら食事をしているだけ。それも不公平にならないようにと自分からは指名せず、まるで良い教育係のように見習い娼婦達を食事の席へと呼んでくれた。そうして絆された二人が今、こともあろうかコーティザンであるイリーゼの前に立ちはだかっていた。 「それで、お前達の言いたい事はそれだけなの?」  今から出掛けるのだろう着飾ったイリーゼは、目の前に飛び出してきた二人を見下げていた。声色は冷たくなんの感情も乗っていない。先輩娼婦達は見習い達を引き戻す事も出来ずに、少し離れた場所から青ざめた顔で成り行きを見ていた。 「いいえまだあります! どうしてあの御方に冷たくするんです? レナード様がお可哀そうです」  まだ幼さの残る見習いは十五歳位だったろうか。この年の子から見ればレナードはさぞ理想の男に見えるだろう。一人を一途に想い地位も金も未来もある。そして容姿も良いとくれば……。 「そう、お前達は客に惚れてしまったのね」  その瞬間、二人は顔を真赤にして俯いた。 ーー無理もないわね。  イリーゼはショールを手繰り寄せると二人の間を縫うように足を出した。しかしその瞬間、一人がイリーゼの腕を掴んだ。 「待って下さい! レナード様に一度でいいのでお会いして差し上げてくださいッ!」  力を込めたその瞬間、ショールが破ける音がした。  誰もが声を失い、破ってしまった本人だけが事の重大さに気が付いていないようだった。イリーゼは思い切り腕を払うと、ショールは更に破れて、繊細なレースの施された透かしのショールはものの見事に真っ二つになってしまった。 「あの、イリーゼ様、代わりの物を……」  見かねた指導係の娼婦は涙目になりながら床に散ったショールに手を掛けた時だった。その手にイリーゼの華奢な靴が思い切り乗った。手を踏まれた娼婦は唇を噛み締めたが声は出さずに耐えると、その足に体重が乗った。 「私は今大事なお人に会いに行く所だったの。そしてこれはそのお方から頂いた大事なお品だったのよ」 「はい、申し訳ございません」 「なぜお前が謝るの?」 「この二人の様子がおかしい事には気がついていましたがなんの手も打ちませんでした。指導係として失格です」  すると手を踏んでいた足が一度上げられ、ホッと息を吐いたのも束の間、再び思い切り踏みつけられた手の甲はミシリと音がした。 「うぅッ」  ほんの小さな呻き声を上げて蹲る娼婦に駆け寄った見習い娼婦二人は、涙を貯めてイリーゼを見上げた。その目には怒りも垣間見える視線だったが、見下ろしたイリーゼの表情に二人は思わず顔を逸らした。 「時間がないからもう行くわ。良かったわねここかヒュー娼館で。他の場所なら折檻を受けた後追い出されているわよ。でもその三人は私が良いと言うまで食事はなしよ」 「イリーゼ! 今日はどのくらいで戻るんだ?」  急ぎ足で現れたマイノは床に落ちたショールと、へたり込んでいる者達を見ながら息を吐いた。 「さあね、旦那様次第よ。多分二、三日で開放されると思うわ」  その瞬間、見習い達の表情が一瞬にして強張った。イリーゼはマイノに近づき耳打ちをすると、マイノが仕方ないとばかりに頷いた。 「なんだ、今日はあの二人は休みなのかな?」  いつもの時間に到着したレナードは上着を脱ぎながらいつもの席に座り、最近はすぐに駆け寄ってくる二人の見習い娼婦の姿を探してがっかりしたようだった。 「申し訳ございません、実はあの二人はしばらくお客様の対応から外される事になりました」  他の娼婦が頭を下げながらレナードの両脇に座ると、レナードは心配そうに眉を潜めた。 「どうして? まさかどこか病気なのか? でも二人一緒というのはおかしいか」 「ここだけの話ですが、あの二人は謹慎中なのです。上のお許しが出るまでここには来られません」 「そうなのか。それなら仕方ないな」 「その、内容は気になられませんか?」  一人の娼婦がそう言うと、レナードはグラスに口を付けかけてふと離した。 「聞いてもいい事なのかい? ここにはここの決まり事があるだろう? でも本音を言えばあまり手荒な真似はして欲しくないけれどね。まだ若くて素直な可愛らしい子達だったから」 「……お優しくていらっしゃるのですね。だからあの二人も貴方様をお慕いしていたんですわ」 「それは光栄だな」  娼婦はレナードに膝頭を向けると、ちらりとカーテンの方を見てから意を決したように口を開いた。 「実はあの子らはコーティザンに意見をし、大事にしているショールを破ったのです。運が悪ければ大事なコーティザンの肌にも傷を負わせてしまう所でした」 「……コーティザンとは、あの方の事を言っているのかな?」 「左様でございます」  グラスがゆっくり置かれる。そしてレナードはふっと笑った。 「それは一大事だね。あの二人には十分な罰を受けてもらわないと。なんなら我が家の者を貸そうか? 女性での折檻は力がいるし辛いだろう? それともここまで大きな館だからちゃんと係がいるのかな」 「ご配慮下さりありがとうございます。ですがご心配には及びません、我々も慣れておりますから。ですがあの二人が戻るまでお席はどう致しましょう?」 「誰でも構わないよ。君でもいいし他の者達でも。僕はあくまであの方に会いに来ているんだから」 「ですがあの二人に良くして下さいましたから、その、お気に召しているのかと……」  するとレナードは可笑しそうに吹いた。 「誰でも一緒だよ。そんな事よりそろそろ許してくれてもいいんじゃないかな? 僕結構頑張っていると思うんだけど」  レナードがわざといたずらっぽく大きな声で言うと、周囲の客達から笑いが起こる。レナードがここに通い詰めているのはもう噂になっていたし、食堂を利用する客達も冷やかすようにレナードを激励している時があった。 「今回のお詫びにワインをお持ち致します」 「そんな事は気にしなくていいんだよ」    配膳係が料理を持ってきたと同時に娼婦の一人が席を立つと、後ろの重厚なカーテンの中に入って行った。カーテンの向こう側は従業員の通路になっている。そこにはマイノに連れられて、見習い娼婦二人と指導係の娼婦の三人が息を潜めて立っていた。手を踏まれた娼婦の手は包帯が巻かれている。それでも痛みがあるのか指先は小刻みに震えていた。 「今の話を聞いていたわね?」  レナードと話をしていた娼婦は、目を真っ赤にしポロポロと涙を零している二人を憐れそうに見つめた。 「あんた達がお相手をどれだけ好こうと、ここはそういう場所なのよ。別にレナード様が悪い訳じゃないわ。レナード様はコーティザンに会いに来ているの。別にここへ食事をしに来ている訳でも、ましてや見習い娼婦の教育に来ている訳でもないのよ」 「でもそれじゃあ、どうしてあんなにお優しくして下さったの……」 「時間潰しよ。下手に慣れた娼婦に付かれて万が一にも流されないように、あんた達とただ食事をして遊んで、自分は無害だと存在に知らしめていたんでしょう。そして現にあんた達は行動を起こした。でもそれも別にレナード様が悪い訳じゃないのよ。私達はここで夢を売り、男達は夢を買うの。だから何があっても女が夢に飲まれては駄目よ。自分だけが特別だと思っていいのはお客だけ。私達は常に誰かの特別で在り続けなきゃならないの」  二人は嗚咽を堪えながら廊下の奥へと消えていった。 「それじゃあお前はもうウィノラに治してもらえ」 「……でもそれじゃあ罰になりません」 「この時間まで耐えたんだからもういいさ。そうイリーゼさんから言われているしな」  手を押さえていた娼婦は鼻を啜ると小さく頷いた。  イリーゼが帰ってきたのは二日とかからず当日の真夜中だった。  ウィノラの部屋は使用人塔にあったが、そのおかげで館の部屋に明かりが灯ればすぐに分かる。裏庭を通り本館の裏口にあたる厨房から中に入ると、ウェスが忙しそうに皿洗いをしている所だった。  この時間帯は洗い物が山のようにあり、それでいて酒や軽食の注文も入るから大忙しなのだ。ウェスはこっそりと入ってきたウィノラを見つけるなり、小声で話し掛けてきた。 「ウィノラ! ちょっとこっちに来てくれよ」 「私忙しいの。あんたはよそ見しないで手を動かしなさいよ」 「いいからこっちに来いって!」  ウィノラは文句を言いながら慌ただしい厨房の中を縫って歩くと、流し台へと近付いた。 「本当に忙しいんだからね! 何か用なの?」 「ちょっと背中掻いてくれよ」 「は?! そんなの自分で搔きなさいよ!」  しかし恨めしそうにウェスは泡だらけの手を見せつけてきた。 「ほんっとうにもう! どこ? ここ?」  ウィノラが適当に手を動かすとオーティスが身悶えする。その瞬間、大きな拳がウェスの頭に降ってきた。 「何遊んでんだこの馬鹿!」  ウェスは泡だらけの手の事などすっかり忘れているのか、濡れた手で頭を覆うとその場で身悶えた。 「ウィノラちゃんこいつの事は放おって置いていいからな! すぐにサボろうとしやがって」  アデリータと同じ年頃の調理長は、この娼館の父親の存在のようだった。ウェスが何やら言い訳をしているが、ウィノラは調理長に頭を下げながら厨房を抜けて薄暗い廊下へと出た。  食堂からは明かりが漏れ、男女の賑やかな声が響いている。そちら側ではなく上へと続く階段から住居になっている三階へと駆け上がった。階段の一番上には護衛が立っている。護衛と言っても階段で談笑をしている女達に、ウィノラは手を上げて挨拶をした。 「イリーゼさん戻っているわよね?」 「ああさっき戻られたよ。用かい?」 「うんちょっとね」  道を開けてくれた護衛の者達に手を振りながら廊下の奥へと進んで行く。ここに住んでいる者は皆家族も同然で知らない者はいない。護衛に立っているのも元娼婦で現役を退いた者達だった。現役を退いても他に仕事が与えられるのも、この娼館が他とは違う特徴の一つだった。  扉を叩いてすぐ、下着姿のイリーゼが出て来る。しかしウィノラの顔を見るなりうんざりしたように部屋の中に戻って行ってしまった。 「なあに? 疲れているんだけれど」 「あの子、骨にヒビが入っていたのよ」 「だからなあに? わざわざそんな事を言う為に乗り込んできたの?」 「あそこまでするなんて酷いわ。私が過ちを犯しても同じ事をするの?」  するとイリーゼは驚いたように振り返ってきた。 「本当にどうしたのよ」 「答えてちょうだい! もしイリーゼさんの勘に触ったら私にも同じような事をするの?」 「さては何かやらかしたのね?」 「違うわよ! そうじゃなくて、皆家族なんじゃないの? それなのにあんな怪我をさせるなんて……」  するイリーゼはガウンを羽織ってから立ち尽くすウィノラの前に来た。 「皆家族だからああしたのよ。この場所を脅かす事がないように、小さな綻びもあってはならないから」 「あの子達はその綻びだっていうの?」 「こういう仕事は信用を無くしたら一気に崩壊してしまうものなのよ。だからあんな風にお客に流されては駄目なの。もし私が安易にハーン子爵令息に会ったと噂が流れば、私の抱えているお客達は黙っていないでしょうね。それくらい大きな事にあの子達は口を出したのよ。会いたいと客が押し寄せるのは結構。価値は欲しがらせて競わせてこそ上がるものだからね」 「……イリーゼさん、私やっぱりコーティザンにはなれないわ。多分向いていないと思うから」  叱られると思ったが、イリーゼはただ見つめてくるだけで何も言ってはこない。そしておもむろに顎を掬ってきた。 「あれから化粧はしているの? 買ってあげたドレスはどうしたの?」 「クローゼットに入っているわ。化粧はしていないけれど。あの日以来、特に外出もしていないから」 「そう。それならもう少し外出は控えた方がいいかもしれないわね」 「どうして?」 「……念の為よ。ウィノラには素質があるって言ったでしょ、誰にでもする訳じゃないのよ。今日はもう疲れたから寝るわ」 「おやすみなさい、イリーゼさん」  ウィノラが出て行った部屋の中で、イリーゼはまだ扉を見つめていた。
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