6.真夜中の訪問者

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6.真夜中の訪問者

「あのぉ、女将さんにお客様がいらしてるんですが……」  夜も更けた頃、裏門の見張り番から声を掛けられた使用人は、普段はあまり立ち寄らない本館の最上階を下から覗き、戸惑ったまま階段上にいる護衛の女達に声を掛けた。 「誰なの?」 「ローザと名乗っており、取り敢えずあの言葉を知っていたので使用人塔で待ってもらっています」  護衛の女達は顔を見合わせてからクイッと使用人に合図を送った。 「連れておいで」  しばらくして上がってきたのは目深にフードを被った女だった。階段を通り過ぎようとした所で、護衛の女が手を出して行く手を塞いだ。 「顔を見せな」  躊躇いなく外されたフードの中から現れたのは、護衛の女達と同じ年頃の女だった。 「これでいいですか?」  特別美人ではないがひと目を引く凛とした佇まいの美しい女性だった。目の前を通り過ぎていく時、微かに薬草の匂いがした気がした。 「あれって女将さんの……」  部屋に入りマントを脱いだ女に、アデリータは小さく息を吐いた。 「ローザ久しぶりだね。あまり変わっていないようで安心したよ」  アデリータよりも少し赤みの掠れた長い髪を一つに結んだ女は、アデリータとよく似たはっきりとした目でまっすぐに顔を上げた。 「姉さんは少し大きくなったみたい。……約束を破った事は謝るわ」 「こんな風に再会はしたくなかったよ」  久しぶりの姉妹の再会にしてはよそよそしさが漂っている。ローザは床に付くのではと思う程に勢いよく頭を下げた。 「リナ様が危険な状態なの。このままではもうすぐ……お亡くなりになってしまうかもしれない」 「ッ?! 皇帝陛下は何をしているんだい!」 「体調を崩されたとご報告してすぐに侍医を呼んでは下さったけれど、侍医でも助けられないと分かると、もうどんな医者も手配してはくれなくなったわ。自分達で帝都から医者や薬師を連れて来ようとしても陛下の許可が下りなくて後宮に入れないのよ。ひと目を盗んだ所で、厳しい検査を受けてからでないと門を通れないから薬も持ち込めないわ」 「原因はなんだい」  ローザは拳を握り締めた。 「少し前に第六皇子をご出産されたのは知っているわよね? ご体調を崩されたのはそれからよ」  アデリータは何も言わずに深く息を吐いた。 「自分の口から言っておくれ」 「姉さん……」 「お言いよ! 何を望んでここに来たんだ! リナ様のご意思じゃないね!」  ローザの瞳に涙が溜まっていく。そしてポロリと幾つもの水滴が落ちていった。 「ウィノラ様のお力をお貸し頂きたいの! このままではもう……死を待つばかりよ」 「リナ様がどんな想いでウィノラをここに預けたと思っているんだ。お前が一番そばでリナ様を見てきただろうに!」 「お願いよ、一度でいいからリナ様を助けて。お願いしますッ」  アデリータは上を向きながら声を詰まらせた。 「方法は?」 「姉さん……」 「勘違いしないでおくれ。行くかどうかは本人に決めさせる」 「方法ならあるわ。二日後、皇宮で大規模な舞踏会が開かれるの。ギルベルト帝国の第二皇女でエミル王国の王妃であらせられるセリア様が休暇にいらっしゃるのよ。その期間はどうしても後宮の方は手薄になるはずだろうからウィノラ様が紛れる事も可能なはずよ」 「それならうちにも招待状が届いていたね。イリーゼとデルマも気合を入れてドレスを仕立てていたし、他に数名着いて行かせようと思っていたからそこに同行させよう。うち以外にも有名所には招待状が届いているみたいだから、滅多な事がなければ目立つ事はないだろうよ」 「こちらから接触するから皇宮に来るだけで構わないわ」 「危険はないんだろうね?」 「最善を尽くすとしか言えないわ」  アデリータはもう一度深い溜息を吐くと、ローザに言った。 「返事はどうすればいいんだい」 「出来るだけ接触は避けた方がいいだろうから、当日来なければ諦めるわ」  声を詰まらせて震えを押さえたローザは呼吸を整えると、唇を噛み締めた。 「ウィノラ様はどのようなお子に育ったのかしら」 「元気だよ。こっちは赤子の時から振り回されてばかりさ。……もしウィノラが行くとしたらフェッチが目印になるだろう」 「ウィノラ様のフェッチはどういう姿なの?」 「見れば分かるよ。それにまだ行くと決まった訳じゃあないからね」 「えぇ。……ウィノラ様が現れる事を願っています」 「アディ? 話ってなに?」    朝早くに訪れたアデリータの部屋に入った瞬間、ウィノラは思い切り抱き締められた。 「どうしたの? 何かあったの?」 「お前に一つ仕事を頼みたいんだ」 「別にいいわよ」 「この子ったら、話も聞かない前に承諾するんじゃないよ」 「だってアディが危ない事を私に頼む訳ないじゃない」  その瞬間、そっと身体が引き離された。 「もしかして危険な事なの?」 「凄くね。だから判断はお前に任せようと思うんだ。明日の夜、イリーゼ達と共に皇宮に向かって欲しい。そこで、とある高貴はお方の治療をして欲しいんだよ」 「皇宮?! 冗談でしょう? なんの為にこうして身を隠してきたと思っているのよ?!」 「だから今回限りだよ。それに全てご存知のお方さ」  ウィノラは追いつかない頭で一生懸命考えようとした。 「治療して欲しいお方って誰なのよ」 「皇帝陛下の第二側妃であらせられるリナ様だよ」 「第二側妃が全てご存じってどういう事?」 「第二側妃様は我々と同じ血を引く魔女の子孫さ」  アデリータが言ったと同時にウィノラは掴んでいたアデリータの腕から手を離した。 「どうして魔女が皇帝陛下に嫁いでいるのよ! もし見つかったらどうするつもりなの? よりにもよって皇帝陛下の側妃だなんて、魔女としての矜持はないの?!」  堰を切ったように溢れ出す思いにも、アデリータは黙って聞いているだけだった。 「理由はあるがお前の言っている事は最もだ。だから怒るのも無理はないよ。それでどうする? 行くかい?」 「側妃なら他にいくらでも優秀な医者達に診てもらえるじゃない!」 「それでも治らないそうだよ」 「私だって全てを治せる訳じゃないのよ。それに、もし誰かに怪しまれたらどうするつもりなの?」 「それは第二側妃側と我々で、なんとしてもお前だけは守るからなんの心配もいらないよ」 「そうじゃなくて! もし見つかったら他の皆だって危ないのよ!」  アデリータは腕から離れたウィノラを再び引き寄せた。 「行けるのは明日の夜一度きり。居られるのは夜が明ける前まで。その時間を使って治療出来なければ諦める事になっている。何度もお前は送りはしない」 「でも治療するなら何度か行わないと……」 「そんな危険は冒させない。行くのはたった一度だけだよ。どうする?」  帝国民は魔女を憎んでいる。  そう言われ続けて育ってきた。遥か昔、この国がまだ幼い小国だった頃。となる魔女がフェッチを使い、王を籠絡した。そして魔女は王国を滅亡寸前まで追い込んだのだ。王は理性を取り戻し、魔女は何百人と処刑された。それ以降、ギルベアト帝国は僅かに残った魔女一族を迫害してきた歴史がある。そして魔女達には国を滅ぼそうとした罪の意識が刷り込まれていた。悪い事などしていないのに、いつの間にか宿っている罪悪感、怯え、萎縮などの負の感情は細胞に残っている先祖の意識なのかもしれない。大帝国で身を寄せ合いながらいつ暴かれるともしれない恐怖を内に隠しながら、魔女達は生きながらいできた。   アデリータに幼い頃、聞いた事がある。なぜ帝国を出ていかないのかと。その時の答えはなんだったか。幼かったウィノラには理解できないものだった。それでも帝都の外に出られれば魔女の末裔が生き残っている。その者達は小さな町や村で薬師や医者をしたり、全く関係のない職業に就いている者もいた。代々そうして移り住んだ者達の中には、自らが魔女の末裔だとは露ほどにも思わず暮らしている者達さえいる。そうやって他の地域では共存出来ても帝都だけは別。ここではもし魔女だと知られれば即刻捕らえられてしまうだろうし、それだけではなく魔女に関わった者達も同罪だった。そんな魔女の敵に嫁ぐなど信じられなかった。 「という事は、第二側妃のお産みになった皇子達は魔女との混血って事?」 「そういう事になるが男児は魔女の血を引かないからね。何も知らず皇子としての一生を終えるだろうよ」 「そういう事なのね! 魔女を皇室に送って、いずれその皇子に帝位を継がせようと嫁いだんでしょう? もしかして今までもそうしてきたの? 他にも皇族に嫁いだ魔女達がいたんじゃないの?!」  するとアデリータは小さく首を振った。 「皇室に嫁いだのはリナ様が初めてで、これから先もきっと現れないだろうね。我々はそういう意味であの言葉を受け継いできた訳じゃないんだよ」 「それじゃあどういう意味なの」 「それは真の統治者が戻られた時に分かるさ」 「何それ、結局アディにも分からないんじゃない」 「どうする? 断るならそれでもいいよ」 「どうして欲しいの?」  するとアデリータは驚いたように目を見開いた。 「危険が伴うんだからウィノラが決めていいんだよ」 「だって私は会った事もない人だから特に助けたいとも思わないし、少しでも危険なら行かない方がいいとも思っているもの」 「それなら断るかい?」  ウィノラはしばらく考えながら首を振った。 「いいえ、行くわ」  予想外とでも言うようにアデリータは言葉を失っていた。 「だって、アディったら今にも泣きそうな顔をしているわよ。その人の事を知っているんでしょう? だから行ってあげる」 「全くお前って子は。どうしてそう優しいんだい」  大きな腕に抱き締められながら、ウィノラも鼻を啜った。  皇宮の地下は広く巨大で、すでに封鎖された通路も含めると中は迷路のような作りになっていた。  封鎖されたのは遥か昔、魔女と呼ばれた者達を捕らえていた独房が並ぶ区画。この地下牢で地上に出る事なく命を落とした魔女達は記録上の数は三百人を超えていた。しかしそれはあくまで地下牢の中での話。地上での魔女の迫害の数はおそらく数千人を超えるだろう。それを正式な数として残さなかったのは、おそらく魔女の末裔による報復を恐れてに違いなかった。いつしか封鎖された地下牢には殺された魔女の魂が溜まり、行けば呪い殺されると噂され、巡回の兵士達も足を踏み入れる事はなかった。  その封鎖された地下の壁が重たい音を立ててゆっくりと開いていく。現れたのはがさつな足音と、松明の灯り。真っ暗な地下の中を照らすには不十分だったが、目の前に広がる空間へと進むには十分な明かりだった。浅黒い肌の男達は三人がかりで布の掛かった大きな箱を運び入れると、何も言わずに出ていく。その後からマントを被った二人が入ってきた。手にはランプを持ち、顔は完全に隠されていたが隙間から覗くドレスは高貴な身分である事を示すように、金糸で施された繊細な刺繍が微弱な松明の光の中でも輝きを放っていた。 「先程の者達は信用出来るのでしょうね? どこで見つけてきたんだか、亡霊達じゃないか」  声は女のもの。この箱を運び入れた肌の浅黒い者達が消えた出口をちらりと視線で追いかけていた。 「ご心配には及びませんよ、母上。ああいった者達の方が生きる為にはなんでもするのです」  後ろにいた女は運び込まれた箱を指した。 「それでこれが例の者か?」 「我が国に潜伏している所を発見し捕らえておりました。この女はフェッチを発現出来るようなのです。フェッチと使えば他の魔女の事を聞き出せるでしょう」 「本当に皇宮に魔女がいるのだろうね? そうだとしたら絶対に第一側妃に違いないよ。お前が手紙でそう告げて来たから手始めに第三皇女を始末したのだよ。母親の方は流石に警戒が厳しいが必ず葬ってやるさ、忌々しい魔女めが」  「この者がもう少し従順になればフェッチからこの国の魔女について聞く事が出来るでしょう。刺激するのは危険なので本人を少しずつ弱らせるしかないのがもどかしい所ですが」 「フェッチとはそれ程までに危険なものなのか?」   「この魔女を捕らえるのに、先程の奴隷達が五人命を落としました」    そう言って箱に掛けてあった布を剥ぎ取った。中にいたのは薄汚れた老女。口には布を噛ませられ、手も足も拘束されている。 「近寄るのは構いませんがお気をつけ下さいませ。指を噛み千切られますよ」  その瞬間、檻の内側でガチリとまるで硬い物が噛み合うような音だけが聞こえた。 「姿が視えないとはもどかしいわね」 「視えたらきっとこんなに側にはいられないかもしれませんよ」 「よく大人しくしているね」 「我が国の魔女を一掃すると言ったのです。あの国は帝国への手前、表立って魔女を養護はしていませんが、むしろ魔女達を長い間黙認してきたのです」 「悪しき魔女など生かしておく必要もないのに、全く王室というのは考えが古臭くて嫌になるわね。さて、次は第一側妃、その次は第五皇女にも消えてもらいましょうね」 「でもスタン王国の姫が生んだ皇女が帝国で死ねば、スタン王国が乗り込んでくるかもしれませんよ? あの国は鉱石がよく取れ武器の生成に長けています。ギルベアト帝国としても敵に回したくないのではありませんか?」 「陛下ならきっとそうお考えになられるかもしれないわね。でも皇宮に魔女が紛れ込んでいる事の方が大問題なのよ。陛下もきっと分かって下さるわ」  女は暗い広場が見えるように檻に掛かっていた布を全て剥ぎ取った。  広場からは数本の道が続いている。もちろんその奥は真っ暗闇で見通せない。それでも得体の知れない恐怖がその奥に広がっているようだった。広場の円に沿うようにして石を削った古い階段が上へと四十段ほど続いている。その上にはもう一つ扉がある。それは今通って来た扉よりも頑丈で豪華な作りになっている。しかし暗闇の中ではむしろ、うっすらと浮き立つその彫刻が不気味に見えた。 「ここはね、ずっと昔に魔女を集めていた場所よ。牢からここに連れ出して何をしていたと思う?」  老女は初めてちらりと視線を動かした。 「まさにその場所で、罪深きお前の同胞達は処刑されたのよ」  老女は立ち上がり逃げようとしてドンと檻に背を着いた。 「この場所は我々が憎き魔女達から帝国を守った証となる誇らしい場所よ。それなのに代々の皇帝陛下はこの場所を禁忌の場所としてこのように鍵を掛け忘れ去ってしまった。帝国の華々しい歴史として公開してもいい場所だと思わない? 皇族は魔女達から世界を救ったというのに、今はもう歴史として忘れられつつある。それはあってはならない事なのよ」  老女はフーフーと息をしながら、女を睨みつけていた。 「この国にもお前の同胞達が隠れているわね? 逃げて街に紛れるのだけは上手い鼠は美味い餌で釣らなくてはね。さあ、魔女達は一体どれくらい釣れるかしら」 「もうよい! 分かっているね? 私が信頼しているのはお前だけなのよ。なんとしてもガリオンを失脚させて弟に帝位を継がせておやり!」 「……えぇもちろんですとも」  マントですっぽりと覆い隠されている後ろ姿が闇夜に消えると、まるで柱から分かれるように息を潜めていた男が現れた。 「あれくらいしておけば疑われる事もありません。素直で真っ直ぐなお人ですから」 「お義母様があれほど饒舌に話をするお方だとは思いもしなかったよ。婚礼の時に会った際は陛下の後ろで寡黙でいらしたからね」 「久し振りに訪れましたがやはりこの国は記憶のまま、何も変わっていませんでした。一刻も早い救済が必要なようですね」  男は徐ろに胸元から小石程度の鈍く光る物を取り出した。それを、差し出された白い手の上にぽとりと落とした。 「僕は一足先に戻らせてもらうよ。無事に、というのは無粋かな」  女は満足げに男の頬を撫でると老女を見下ろした。 「もういいわよ」  老女は自ら手足の拘束を解いた。 「しばらくの間は身を隠せる場所を用意したからそこにいなさい。くれぐれも騒ぎを起こさぬように。それと、もし同胞達に会うような事があればこれを」  老女は手のひらにそれを受け取ると、強く握り締めた。 「それがあればお前達は誰にも負けないわ。虐げられてきたギルベアト帝国の魔女達もようやく開放されるのよ」 「本当に信じていいのですね?」 「私を疑うの? 心外ね」  老女は身体を小さくして首を振った。 「“真の統治者”などいなくとも魔女は開放する事が出来る。この国が滅びればきっとね。幸いにもお母様は内から破壊してくれるようだから、私達は外から手を加えていきましょう」  老女はそれ以上何も口にせず、静かに自らの足で扉から出て行った。
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