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数年後──
「おい! 新人! 明日の現場に待って行く機材とか楽器、その他もろもろ全部トラックに積み込んどけよ!」
成田の鋭い視線を一身に受けた女の子は、怯えたように体を震わせる。その様はまるで、ライオンににらまれた、か弱いウサギのようだった。
ショートにした黒髪は、しっかりとセットしてきたはずなのに、時間が経ってしまったせいで、毛先がクルクルと巻いてしまっている。
無意識のうちに、女の子は癖毛の前髪を手で押さえてしまう。この癖が出るのは、焦った時だ。
「い、今からですか⁉︎ も、もしかしてわたし一人でやるんですか⁉︎」
学生ではないかと見違えるほどの童顔の女の子は、右手で前髪を押さえつつ、左手でずり落ちた丸眼鏡を押し上げるのだった。見ているだけで、実に忙しそうだ。
「そうだよ! 何か不満でもあんのか!」
女の子はスマートフォンと成田を交互に見やるのだった。
「あ、あの……」
「なんだ!」
「今はもう……夜の10時になってるみたいなんですけど……」
「だから?」
成田は射抜くような視線を女の子に向けたまま、クシャクシャのタバコを口の端にくわえる。
「積み込みはローディーの基本だ! これができなきゃ話になんねぇだろうがよ! 何度も言わせんな!」
「は、はい……だけど……」
「だけど──なんだ⁉︎」
二回り近くも年上のオジさんからこのように高圧的な態度を取られてしまうと、二十歳そこらの女の子は萎縮してしまい、何も言えなくなるのが普通だろう。
モジモジしてい女の子はやがて消え入りそうな声で、「なんでもありません……」と言うしかなかったのだった。
この態度がまた成田の癪に触ったらしい。イラついたように吐き捨てる。
「だったらつべこべ言ってねぇで、さっさとやれ! でなきゃ朝になっちまうぞ!」
「はい……」
女の子は渋々といった感じで積み込みに取り掛かるが、つい愚痴が口をついて出てしまうのだった。
「ここは桐生龍之介の専属ローディーだって聞いから就職したのに……」
全身から魂が抜けてしまうのではないかというくらいに、女の子は深いため息をつく。
「全然リュウさまに会えないじゃん……。しかも雑用ばっかりやらされるし……これじゃあ、わたしは単なる会社の歯車と変わらないじゃない」
「ちょいとお嬢さん」
不意に、女の子は肩を叩かれる。
ハッと振り返ると、短めのボブをピンク色に染め、露出度の高いガーリーな服装をした女性がいた。
(えっと、名前は確かコトリ、さんだっけ?)
女性は小声になると、女の子に対してウインクして見せる。
「大丈夫! 私も手伝うから。ねっ、がんばろう!」
「あ、ありがとうございます……」
半ベソをかいた女の子は、女性に泣きつこうとしたのだが──
「おい!」
少し離れた場所で、成田が眉毛を吊り上げていたのだった。
女性は小首を傾げる。
「はい?」
「はい? じゃねえよ! 積み込みは新人にやらせねぇと意味がないだろうが!」
「でもですね、チーフ」
「いちいち口答えすんな! 言っとくが四つあるウチの班の中で、大迫班が一番仕事が遅いんだからな!」
金髪の女性は、自衛官さながらにビシッと背筋を伸ばす。
「申し訳ありません、鬼軍曹! それもすべてアッシの責任でありんす」
「誰が鬼軍曹だ! それに奇妙なしゃべり方をすんな!
成田は口のタバコを取る。
「大体なぁ、小鳥がそうやって甘やかすから、いつまで経っても新人が使えねぇままなんだよ!」
一切手を貸すんじゃねぇぞ! と吐き捨てて成田は行ってしまうのだった。
すると女性はホッと一息つく。
「ふぅ。まったくウチの上司は口うるさいんだなら」
ふと見ると、女の子はすっかり怯えてしまっていた。女性はそんな女の子を見て苦笑するのだった。
「大丈夫だって」
優しく肩を抱いてやる。
「あの人は、言葉使いは最悪だけど、意外と悪い人じゃないからね」
「そうは思えないんですけど……」
「泣かないでいいよ。あっ、それからね──」
優しく女の子の涙を拭いてやると、正対して真剣な表情になる。
女の子はハッとするのだった。これは心して聞かなきゃいけないと感じたのだろう。生唾を飲み込む。
「この世界を変えたい?」
「は?」
「この世界を変えられるのはね。世界中であなただけなんだよ」
「はあ……」
「そのためにはまず、会社の歯車になってからだからね。そうでなきゃ、何言っても聞いてもらえないよ」
意味がわからなかったからだろう。女の子はただキョトンするばかりだった。
何より、熱く語っている女性自信もまた、自分の言葉を理解しながらしゃべっているのかは、かなり怪しいものだった。
「ええっと、あれ? 歯車になってから世界征服しよう、だったかな?」
と、ブツブツつぶやきてるのだ。だが、やがて乱暴に頭をかきむしる。どうやら、諦めたようだ。
「もうっ! やっぱりメモしてくるんだったよ!」
「あ、あの……大丈夫ですか……」
おずおずと様子をうかがうと、女性は力強く親指を立てる。
「私もなんだかよくわかんないけどさ。とにかくどデカい歯車になれるように、一緒にがんばろうぜ!」
そう言って自らの髪の毛がクシャクシャになっているとも知らずに、女性はドヤ顔を決めるのだった。
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