ローディー 〜量産型女子がこの世界を変える⁉︎〜

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「佐伯さん!」  桐生の叫び声だった。  無事にステージを終えることができ、小鳥はもちろん、関係者たちからは「やれやれ」といった安堵の雰囲気が広がっていた。  そんな状況の中での桐生の不機嫌そうな声がきこえたため、この場を支配していた平和な「やれやれ」は、すぐに怠惰な「まったくもう……」や「勘弁してくれよ」に切り替わったのだった。  今にも駆け出しそうな勢いで、桐生はやって来る。  どうも様子がおかしい。  そこにいる誰もが、当初はワガママなアイドルがくだらないことでまたヘソを曲げているのだろう──その程度にしか考えていなかった。  ところが、だ。  桐生の悲壮感漂う表情を見て、これはただ事ではないのはすぐにわかったのだった。  さすがにこの様子を見て何かあったと感じたらしく、これまで冷静だった佐伯も焦りを隠せない。 「ど、どうしたんだよ、リュウ。最高のステージだったじゃないか!」  落ち着かせようと、佐伯が桐生の体に触れようとする。が、すぐにその手は振り払われてしまう。 「何が最高だよ!」  にらみつけるような視線は、やがて少し離れたところで見守っていた小鳥たちの方へと向けれた。 「コイツらにことを話したのかよ! アレはオレと佐伯さんの二人だけの秘密だって言っただろ!」 「アノことって──そんなわけないだろ。誰にも話してない。本当だ!」 「だったらなんで──」 「あのう。ちょっとよろしいでしょうか?」  割って入ったの成田だった。 「もしかして、桐生さんの『指』のことですか?」  すると桐生は顔を真っ赤にさせて佐伯に詰め寄る。 「ほら! コイツらが知ってるってことは、誰かが言ったんじゃないか。だとすると──」 「だから誤解だって。リュウが嫌がることをやるわけないだろ!」 「だったら──」 「我々は、佐伯さんからは何も聞いてないですよ!」  成田は二人の言い合いの声に負けまいと、ボリュームを上げたのだった。 「はあ? だったらどうしてピアノが調になってたんだよ!」 「ああ、それはがね。そうした方がいいんじゃないかって言いましね」  成田の言う「コレ」とは、もちろん小鳥のことだ。    小鳥は口の中でモゴモゴとつぶやく。 「コレってナンですか? コレって」  すると隣にいた伊織が「まあまあ」となだめる。 「小鳥ちゃん、ここは我慢して!」  亜門も加わる。 「そうだよ、コトリーナ。流れ的には黙ってるのが正解だから」  成田の肩越しに、桐生が小鳥の方を見ていた。  実は小鳥が最初に桐生龍之介の指に異変を感じたのは、ここに来る少し前のことだ。  花房蕎麦屋で、小鹿がスマートフォンで桐生のライブ映像を見ていた。その時に、そこから流れる音を聞いていて、ある違和感を覚えたのだった。  その時、桐生はサックスを演奏していたようで、人並み以上のレベルではあったが、薬指を使う時だけ、わずかだが音が遅れるケースがあった。  ただこの時は、単に筋力が足りないのか、もしくは手首の使い方が不慣れなだけだと思う思っていたのだった。  だがこの日、実際に桐生が弾いているピアノを聴いてみて、花房の蕎麦屋での違和感の正体がわかったのだった。  この人はきっと、過去に小指を痛めた経験があるのだろう、と。  もしかしたら生まれつきなのかもしれない。とにかく他の指が鍵盤に触れた時に比べ、薬指の時には鍵盤を押す力が若干弱い。それが音になって現れるのだった。  おそらくその違いは微々たるものだろう。ひょっとするとプロが聞いても、薬指を痛めていることを知らなければ、見過ごしてしまうかもしれない。  ところが小鳥は耳がいい。  桐生の「秘密」に気がついた小鳥は、薬指の力が弱くても問題がないように調律した方がいいのでは? と成田に進言したというわけだった。  話を聞いた桐生は、信じ難いといった感じで顔を歪めた。それでも整った顔立ちなのだが。 「お前が気がついたってのか? オレが一回弾いたのを聴いただけで?」  桐生が小鳥の前までやって来ると、鋭い視線を向ける。  これほど間近で桐生龍之介に見られたのなら、理由はどうあれ、年頃の女子ならドギマギしてしまうところだろう。  小鳥は微塵も動じない。  それどころか、持ち前の負けん気を出してにらみ返すのだった。  アイドルとローディーの新人が、互いに険しい表情を浮かべたまま向き合っている──非常にシュールな絵が出来上がっているのだった。  やがて桐生は「ブッ」と吹き出して笑う。  今までにそんな奇妙な現象に出くわしたことがないからだろう。  ひとしきり笑った後、「はあ」と、ため息をついた。  その吐息は、どこか吹っ切れたような感じがした。 「佐伯さん。今度からローディーは、コイツらにやってもらってくれる?」  成田は驚いたように佐伯の方を見る。 「いいんですか?」 「まあ、リュウがこう言ってますから」  伊織は小さくガッツポーズをして「やった!」と言い、亜門は「コレで無職にならずにすむ!」と、また怪しげな踊りをしている。  そんな中で、小鳥だけは憮然としていた。 「それが人にモノを頼む態度なの?」    和やかな空気が一変し、ピンと張り詰めたのだった。気温が一気に10度くらい下がったような感じだ。 「コ、コトリーナ? 何を言ってるのかな?」  小鳥は寄って来た亜門を手荒くあしらう。亜門は「キャンッ!」と鳴いて押しのけられてしまうのだった。 「スターかなんだか知らないけどさ」  小鳥は両手を腰に当てて仁王立ちした。 「お願いしますくらい言ったらいいじゃん。ライブって、1人じゃできないんだよ。他のスタッフさんがいてこそじゃん」  桐生が怒りを滲ませている。 「このガキ。生意気言いやがって」 「はあ? 私の方がお姉さんですけど。そっちは10月生まれでしょ? こっちは4月生まれですけど」 「ほどんど変わらねぇじゃねえか!」 「変わります。6ヶ月、私の方がお姉さんなんです。アイドルさんは、計算もできないんですかねぇ?」  しばらくの間、小鳥と桐生の子供の喧嘩のような言い合いが続く。  周りのスタッフたちはしばらく見守っていたものの、次第にあまりのバカバカしさに呆れてしまったようだ。  それぞれに視線を交わすと、さっさと帰り支度を始めるのだった。
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