ローディー 〜量産型女子がこの世界を変える⁉︎〜

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 小鳥が成田と睨み合っていると、グリーンビルから降りて来た女性が「何してるのよ!」と、たしなめるようにして割って入って来たのだった。  4人いる社員のうちの1人である、香椎伊織(かしいいおり)だ。  彼女は29歳と小鳥より年上であるのはもちろんだったが、業界では数少ない女性ということもあって、会社の中ではお姉さん的な存在だった。  この日は、長い黒髪をポニーテールにしていて、ティーシャツにジーパンといったラフな格好だ。  小鳥はいつも彼女の艶やかな髪の毛と、シミやニキビのない肌が羨ましいな、と思っているのだった。  コンビニで買ってきた透明なビニール傘をさした伊織は、静まり返った住宅街を見渡した後、成田と小鳥に顔を向けた。 「何時だと思ってんの。ご近所迷惑でしょ! 苦情が来たらどうするのよ!」  小鳥は半ベソをかきながら駆け寄る。まるで母親の元に泣きつく少女のような感じだった。 「伊織さぁーん。聞いてくださいよぉ」  体にしがみつくと、とてもいい香りがした。しかもとても柔らかい。これだけで小鳥は癒やされるのだった。 「チーフが、これから明日の現場の積み込みをやれって言うんですぅ」  ここぞとばかりに猫撫で声を出す。この会社で唯一、味方になってくれるのがこの伊織だけなのだ。 「大成くんさぁ……」  伊織は呆れたような口調だった。 「積み込みは時間がかかるんだから、明日でもいいじゃない。今日はもう帰りましょうよ」  ところが成田は頑なに譲らない。 「駄目だ。何時だろうが関係ねぇ。積み込みは新人の仕事だ」  伊織は「もうっ!」と頬を膨らませる。 「そうやっていつも厳しくするから、新人の子はみんなすぐに辞めちゃうんじゃない」 「仲良くやってて仕事が覚えられるか!」 「優しくしてやってって言ってるの」 「現場によっちゃあ、お客さんから怒鳴られることだってあるんだ! この程度で辞めるんなら、そいつはもともと向いてねぇんだよ!」  険悪な雰囲気だったが、それは能天気な声がぶち壊してくれた。 「あれれれ?」  車を駐車場に停めて戻って来た亜門だ。茶化すような感じで、成田と伊織の顔を見比べる。 「のお2人さんさぁ。夫婦喧嘩なら家に帰ってからやりなよ」 「馬鹿か!」 「わたしたちは夫婦じゃないの!」  2人にツッコミを入れられて、亜門はおどけた調子で肩をすくめた。 「おお怖っ! こりゃあさっさと帰るに限るな」  そう言って「お疲れ(オッツゥ)」とそそくさと帰ってしまうのだった。  しばらく亜門の後ろ姿を見送っていた成田だったが、再び伊織と向き直る。いくぶん落ち着いた口調で言った。それでも不機嫌な色は決して褪せてはいない。 「まずは基本を覚えさせないと、いつまで経っても使い物になんねぇだろうが」  成田はポケットから出したタバコに火をつけた。湿気っているのか、火がつくまでにかなり苦労していた。 「ローディーの基本はまず積み込みだ」  何度目かのトライでようやく火がつくと、成田は煙を吸い込んだ。 「伊織だってわかってるだろ。基本を覚えるまでは、繰り返しやらせるしかねぇんだよ、この仕事は」 「それはそうだけど……」  成田はタバコをくわえたまま、小鳥に向けて顎をしゃくる。噛み締めているせいで、タバコのフィルターが潰れてしまっていた。 「この新人は未だにギターの弦もまともに張り替えられねぇんだぞ。こんなんじゃ、どこの現場でも使い物になんねぇだろうがよ」  ここまで黙って聞いていた小鳥だったが、さすがに腹が立ってきた。 「ちょっといいですか」 「なんだよ」 「言っときますが、ギターの弦の張り替えくらいできます」  成田は口からタバコを外すと、携帯用灰皿に押しつけた。まるでひねりつぶすように、執拗に火種を消している。 「おかしいな。俺の記憶じゃあ、前に一度やらせたが、全然ダメだったはずだが」 「あれはチーフが横からあれこれうるさく言うからです。何より、あれは私のやり方じゃないんです」 「寝ぼけたことを言うな。基本のやり方も知らねえヒヨッ子が、いきなり手を抜いた弦の張り方をやってどうすんだよ!」 「これだからオジさんは」  いつも「これだから音大出は」とやられてるから、そのお返しのつもりだった。 「若者を見れば全部同じだと思ってるんですよね。でも残念ながら、私はそこらの子たちとは違いますから」  小鳥は腰に両手を当てる。 「効率的にできる方法があるんなら、そっちを選んで何が悪いんですか? ざわざわ手間のかかるやり方をやってる方が馬鹿ですよ」 「馬鹿はお前だ、新人。基本を知らずに応用ができるか!」  小鳥はわざと「チッ」と舌を鳴らしてやった。これも成田がよくやる仕草だ。 「結局、チーフは私を都合のいいにしたいだけなんでしょ?」 「はあ?」 「オジさんの考えることなんてお見通しなんですよ」  小鳥は洋画に出て来る外国人のように、手を肩の高さまで持ってくると、頭を左右に振った。まるで「オーマイガー」とでも言いたげな仕草だった。 「なんでもかんでも『はいはい』って言うことを聞く雑用係が欲しいだけなんですよね? でも、残念ですが、私はの歯車になるつもりはありませんので」  成田はジーパンのポケットからまたクシャクシャのタバコを取り出す。今度はすんなりと火がついた。  うまそうに吸い込むと、ゆっくりと煙をくゆらせたのだった。 「ご大層に講釈いただいて恐縮だがな、新人よぉ。お前は歯車ってモンを知ってんかよ」 「馬鹿にしないでください! 歯車って腕時計の中に入ってるですよね」  できるだけこまっしゃくれて見えるように、鼻をツンと持ち上げたのだった。ずいぶん子供じみてはいるなと自分でも思ったが、この時は少しでも成田を不快にさせたかったのだ。 「つまり、いつもいつも言われたことを同じようにしかできない人のことです」  今度はが「チッ」と舌打ちをした。 「話にならねえな」  成田は肩をすくめて頭を振った。これも小鳥の真似のようだ。 「歯車ってのはな。会社の中でその人がいなけりゃ仕事が回らなくなるってくらいに大切な社員のことなんだよ」  続いてタバコを持ったまま腰に手を当てる。 「お前、もしかして自分が会社の歯車になれてるとでも思ってんのか?」  伊織が「大成くん」と、止めに入ろうとしたが、成田はそれを手で制した。 「生意気言うのは、まずは俺に『辞めないでください』って泣きつかれるような、立派な歯車になってからにしろ」  最後の言葉は、これまでに小鳥に向けて吐いてきた成田の言葉の中で、もっとも辛辣なものだった。 「言っておくが、今のお前がいなくなったとしても、この会社が困ることはないからな」  ぐうの音も出ないというのは、たぶんこのことなのだろう。
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