ローディー 〜量産型女子がこの世界を変える⁉︎〜

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「クソクソクソクソクソッ!」  小鳥はトラックのタイヤを何度も蹴った。  ここはグリーンビルの1階の倉庫の中。  シャッターを上げた状態で、トラックをバックに入れているのだった。  ふと視線を外に向けると、相変わらず雨は降り続き、あちこちでは傘をさし、うずくまるように体を丸めた人たちが足早に歩き去って行くのが見えた。  結局、小鳥は1人、会社に残って明日の現場に必要な機材を積み込みをすることになったのだった。  口喧嘩では負けないと絶対の自信を持っていた小鳥だったが、今回ばかりは完全に成田にやられてしまう格好となった。  ボクシングならさしずめグロッキー状態といっていいだろう。  気がつくとリングの中央で仰向けに倒れているボクサーのように、ビルの前でぽつんと1人になっていたのだった。  遠くの方で伊織の「手伝おうか?」という申し出が聞こえたような気もするが、彼女の姿が見えないということは、おそらく成田が強く止めたのだろう。  放心状態から覚めた時には、1人取り残されていて、もうやるしかない状況だった。そんなこんなでようやくすべてを終えたころには、午前0時を過ぎていたのだった。  現場からここに帰って来られたのが午後9時になろうかといった時刻だった。つまり積み込みに3時間以上かかったというわけだ。 「クッソーッ!」  小鳥はなおもトラックのタイヤを蹴り続けるのだった。  なんの罪もない哀れなタイヤは、無言で小鳥の怒りを受け止めてくれる。それでも腹の虫はおさまるどころか、徐々にヒートアップしていくのだった。 「あのバカチーフめ! 転んで頭でも打ちやがれ!」  誰かに聞かれると問題になるのではないかというくらいの過激なことを口にしながら、タイヤに怒りをぶつける。  ひとしきり蹴りを入れたら、今度は汗を拭くために用意していた白いを顔に当てるのだった。  大きく息を吸い込むと、腹の底から湧き出る怒りを力の限り叫ぶ。 「チーフのバカヤロー!」  タオルのおかげで声はくぐもり、倉庫の外まで届くことはなかった。おまけに依然として雨が降り続いているおかげで、通行人がその過激な叫び声を耳にすることはなかったはずだ。  本当なら何もしないで叫びたいところだったが、この時間に若い女性が叫び声を上げたら、近所迷惑どころか、下手をしたら警察沙汰になりかねない。  これでも一応、配慮していたというわけだ。 「どうして私ばっかりイジメんだよ! そんなに私のことが嫌いなのか!」  何度も繰り返し叫んでいると、酸欠状態になってきた。タオルから顔を話した瞬間に、ふらついてしまった。4トントラックの荷台の空いたスペースに、へたり込む。  息が弾み、心臓が激しく胸を叩く。 (ああっ! 腹立つ!)  もう一度成田に対して悪態をついてやろうかとも思ったが、その前に腹の虫「もうやめとけよ」と、言ったわけではないだろうが「ギュルルルルッ」と豪快に鳴ったのだった。  ここで初めて、自分が空腹であることを認識した。お腹が空いているとわかった途端、全身から力が抜けてしまった。 (ダメだ……完全にガス欠だ……死にそう……)  しばらく歩いたところに商店街があり、そこにはいくつか飲食店が並んでいる。  小鳥は「B-DASH」に勤めて日が浅いため、まだ行ったことはなかった。だが、会社の人たちが馴染みにしている店はたくさんあったはずだ。  ただ、何度か商店街の中を歩いてそれとなくチェックしてみたことがあるのだが、残念ながら小鳥が入れそうな店は多くなかった。しかも夜遅いこの時間となると、さらにその選択肢は狭くなる。 (オジさんたちに囲まれて一人焼肉とか、ぼっち飲みとか絶対に無理だし……)  このあたりはやはり22歳の女の子なのだ。 (となるとコンビニで弁当を買って──)  2階の事務所を見上げた。が、すぐに頭を振った。 (ダメダメダメダメッ!)  小鳥は必死に自分を奮い立たせる。 (私は絶対に人間でありたいし、女子であることは捨てないって、心に決めてるんだ!)  ここに来たばかりのころに立てた小鳥の誓いだった。  ローディーはライブやイベントなどが終わった後に撤収作業を行う関係上、どうしても帰るのが深夜になることが少なくない。  そのため、この日の小鳥ように帰るのが面倒に感じる日が多々あるというわけだ。  そんな時のために、事務所にはシャンプーとリンス、それからボディーソープなどが完備されている。  ただしシャワー室がないため、どうしても髪の毛を洗らいたいのであれば、キッチンのシンクを使うことになるわけだ。 (嫌だ! それだけは絶対にやるもんか!)  入社したばかりのころ、亜門がシンクにまたがり、股を洗っているのを目撃したことがある。それ以来、小鳥は「私は絶対に、このようにはなるまい」と、先の誓いを立てというわけだった。  空を見上げると、いつの間に雨は止んでいた。 (もしかすると、これは自宅に帰りなさいという神のお告げなのかもしれないな)  なんの宗教も侵攻していない小鳥は、とりあえず自分の都合のいいように会社すると、「よっこらせっ!」と、リュックを背負う。  気のせいか、朝よりも荷物が重い。 (しかたない……帰るか……)  泥のように疲れた体を引きずるようにして、自宅に向かって歩き出すのだった。 「おかえり──って、どうした⁉︎」  同棲している恋人の佐宗颯太(さそうそうた)は、ドアを開けて恋人を見るなり、目を丸くさせた。  それもそのはずで、一見するとどこの濡れ鼠がやって来たのかといった風情だった。  一旦止んだと思った雨だったが、よりにもよって小鳥が自宅に向かって歩き出したタイミングになり、再び激しく降り出した。  傘は持っていたが、風が強くて使うと飛ばされてしまいそうだった。万が一飛ばされて通行人に当たっては大変だからと、使うのを諦めたのだ。そのため駅から自宅のアパートまでの間を、容赦なく叩きつけるように降る雨に打たれながら、必死に走って来たというわけだった。  強めのシャワーを浴びたのと同じ状態だったため、メイクはすっかり落ち、髪の毛は顔面に張り付いていた。加えて激しい空腹と疲労と眠気のせいで、立っているのがやっとの状態だ。 「颯太ぁ!」  小鳥は細身で長身の恋人にしがみついた。 「お腹空いたよぉ。眠いよぉ。疲れたよぉ」  颯太は「よしよし。今日もがんばったんだね」と、濡れているにも関わらず抱きしめ返す。  本来なら慌てて逃げそうなものだったが、嫌な顔をせずに優しい笑顔をうかべている。小鳥もそれがわかっているから、遠慮なく甘えるのだった。 「とりあえず着替えな。その間に何か作るから」 「うん、そうする……」  言われるままに部屋に入ると、シャワーを浴びて、スウェットに着替えて浴室から出て来る。頭を拭きながら居間にやって来ると、いい匂いが鼻をくすぐった。 「こんなものしかないけど」  颯太が出してくれたのは、キノコをバターと醤油で炒めて和えた和風パスタだった。 「ワォッ!」  小鳥は早速テーブルに着くと、「いっただきまーす!」と貪りつくようにして食べるのだった。するとパスタは、ものの5分もしないうちに腹の中に収まってしまったのだった。  空腹が満たされると、ようやく落ち着くことができた。  両手を広げて、あたかも雨乞いをするような格好になる、 「おおっ! さすがは私の王子さま! 颯太がいてくれなかったら、私は餓死してたところだよ」 「そんな大袈裟な……」  苦笑しながら、お皿を下げてくれる。まさに至れり尽くせりといった感じだ。小鳥はそんな颯太に、遠慮なく甘えるのだった。  キッチンで洗い物をしながら、颯太は首だけ小鳥の方へと向ける。 「それにしても、今日はいつにも増して遅かったんだね。もしかして、何かあった?」  小鳥はコップの水を飲み干すと「そうなのよ。聞いてよ」と唇を尖らせる。 「ウチのチーフが、ほんっとにほんっと──に意地悪でさ」 「ずいぶん力が入ってるね」 「機材の積み込みを、私1人に押しつけるんだよ。これってもうパワハラじゃない?」 「そりゃひどいね」 「でしょ? それに『生意気言うなら、まずは会社の歯車になってから言え!』だって。意味不明だっつうの!」  かなり会話をはしょってしまっているせいで、まるで要領を得ないはずだった。それでも颯太は「それはムカつくね」と、同調してくれるのだった。  その後も小鳥の愚痴は続くが、颯太は嫌な顔を見せずに聞いてくれる。すでに午前1時を回っていて、颯太も明日は仕事があるにも関わらず、だ。 「もうっ! あんな会社、すぐにでも辞めたいよぉ!」  小鳥はテーブルに突っ伏すと、手足をジタバタさせる。まるで網にかかったシカか何かのようだった。 「あのさあ、小鳥」  話が途切れたタイミングで、颯太は改まった感じで切り出した。 「ちょっと大事な話があるんだけど──」  そこまで言って言葉を止めた。どうも小鳥の様子がおかしいことに気がついたからだ。  颯太はテーブルに覆いかぶさるようにしている恋人の顔を覗き込む。  思わず「フッ」と笑ってしまった。  小鳥は寝息を立てて眠ってしまっていたからだ。  目が半開きになって、白目をむいている。初めて見た人なら、百年の恋も冷めてしまうだろう。だが、颯太はすでにこの顔を何度も見ているので驚くほどことはなかった。  しょうがないなあ、といった感じでため息をつくと、小鳥を抱き上げる。  そのまま寝室に連れて行くと、あらかじめ強いてあった布団に寝させてやるのだった。  そして颯太は平和そのものといった表情で眠る小鳥の寝顔を見ながら、またため息をついた。  今度のそれは、どこか思い詰めているようで、とても重苦しいものだった。
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