ローディー 〜量産型女子がこの世界を変える⁉︎〜

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 昨日の雨が嘘のように、この日は雲一つなく晴れ渡っていた。  見上げると、太陽が燦々と光り輝いている。  まさに晴天という表現がぴったりだった。  そんな久しぶりの夏らしい蒸し暑い街中を、小鳥は猛ダッシュで会社に向かっていたのだった。  すれ違う人たちは、何事かと振り返り、一様に怪訝な表情を浮かべている。  そんな人の波を器用にすり抜けて、小鳥はひたすら走るのだった。 「ヤバいヤバいヤバいヤバい!」  いわゆるひとつの遅刻、というやつだ。  集合時間は午前7時だが、時計はすでに午前7時28分を指している。 (こっちは午前0時までやってたんだっつうの!)  こんなところで言い訳をしたところで時間は戻るはずもなく、できるのは少しでも傷口が浅くてすむように、今はとにかく会社に向かって走るしかなかった。 (私のバカバカ! せっかく颯太が起こしてくれたのに)  小鳥よりも早く家を出た颯太は、気を利かせてくれて、家を出る前に声をかけてくれたのだ。そして小鳥が家を出る時間を確認すると、目覚ましまでセットしていってくれた。 「目覚まし時計。止めるならちゃんと起きてからにしなよ」  そう言われた記憶は確かにある。  ただし、せっかく颯太が簡単に止められないようにと、タンスの上に置いた目覚まし時計に枕を投げつけ、電池が外れたことで意味をなくし、さらに自分でセットしておいたスマートフォンの目覚まし機能も自らの手で止めたのだった。  見事にすべて、記憶にある。  そして「あと5分だけ……」と目を閉じて、はたと目を開けた時には午前7時を回っていた。  つまり小鳥の自業自得というわげだ。 (昨日の今日だって言うのに、やっちまったヨォ……)  泣きたい気分だったが、ようやくグリーンビルが見えて来た。そのころにはもう、小鳥はすでに気持ちを切り替えていた。  頭の中ではどうやって言い訳しようか考えていたのだ。 (おばあさんの道案内してた? それとも迷子の子供を交番に──)  だが、そんなふざけた考えは吹っ飛んだ。  どういうわけか成田と亜門と伊織の3人が、倉庫の前に出したトラックの荷台に、機材を積み込んでいたのだった。  それは確か小鳥が昨日、徹夜で積み込んだはずだった。  ちょうどスピーカーを荷台にのせようとしていた亜門が、小鳥の存在に気がついたようだった。 「おおっ、小鳥ちゃん。社長出勤ですな」  そんな嫌味は無視して、小鳥は尋ねた。 「みなさん……何をやってるんですか?」 「あのね……小鳥ちゃん」  伊織を押しのけるようにして、「見りゃわかるだろ!」と、火のついていないタバコをくわえた成田がやって来る。 「お前が昨日、何も考えずに積み込んだ機材の積み直しをしてんだよ!」  適当な仕事をしやがって! と吐き捨てる。 「いつも言ってるだろ! トラックに積み込む時は、降ろす順番を考えろって! でないと現場で搬入口を塞いじまうことになって、他の業者さんにも迷惑がかかんだよ!」 「私は……ちゃんとやったつもりです!」  成田の眉間に深い皺が刻まれた。 「『つもり』ってなんだ! つもりって言うのはな、『やった』とは違うんだ!」 「でも……」  成田はさっさと背を向けてしまうと、まさに捨て台詞を投げつけたのだった。 「今日はお前を現場には連れて行かない! 会社に残って、1日倉庫の掃除でもしてろ!」  トラックの運転席に乗り込む。伊織と亜門もそれに続いた。  いつもなら茶化してこの場を和ごましてくれる亜門も、味方になってくれる優しい伊織も、言葉をかけるどころか、目すら合わせてくれなかった。 (文句があるんなら、自分でやればいいじゃん!)  コンビニに行って来た帰り道、小鳥はサンドイッチとカフェラテが入った袋を振り回した。  以前の小鳥なら、道行く人が何事かと見ているのに気がついた時点で、すぐにうつむいて耳まで真っ赤にしていたところだった。  ところが社会人になって3ヶ月。  図太くなったのか、それとも羞恥心がなくなったのか、とにかく人目もはばからず憤り続けた。 (私は新人なんだよ⁉︎ ルーキーだっつうの! そんなの最初から完璧にできるわけないじゃん!)  メジャーリーガーよろしく、コンビニの袋をフルスイングをする。 (文句があるなら、リストを作って、積み込む順番を書いとけってのっ! ルーキーのエラーをカバーすんのも、上司の役目だろうが!」  もう1度スイングしようとしたが、動きを止める。  ようやくみっともないと気づいたのなら、まだ可愛げがあるというものだ。だが、残念ながら小鳥が動きを止めた理由は、倉庫の前に人がいたからだった。 (お客さん?)  体格の良い男性が、倉庫の横にある窓から中を覗き込んでいる。  誰かを探しているのか、何度か頭の角度を変え、どうにかして中の様子を伺おうとしていた。  ふと小鳥は、子どものころ両親に連れられて行った動物園の熊を思い出した。  餌がもらえるのではないかと、2本足で立ち、ちょうど大柄な男性と同じような動きをしていたのだった。  なんともかわいくて、ユーモラスだったのを覚えている。 (まさか、あの人も餌をもらえると思ってるわけじゃないよね……)  くだらないことを考えて思わず笑ってしまったが、すぐにハッとする。脳裏に嫌な予感が駆け巡ったのだった。 (ま、まさか……⁉︎)  音楽関係の道具は、モノによっては中古でも高く売れる。「B-DASH」はプロのミュージシャンが使う楽器を所有しているいるため、高いものだと数百万円はするのだ。  そのような高額な楽器を転売するために、ローディーの倉庫を荒らす輩がいると聞いたことごある。 (も、もしかして泥棒⁉︎)  小鳥は青ざめ、慌てて腰のあたりを手で探る。 (け、警察を呼ばないと!)  スマートフォンを探したが、どこにも見当たらない。 (しまった……)  それもそのはずで、財布を片手に会社を出た時に、倉庫の中の作業台の上に置いたまま忘れて来てしまったのだった。  途中でスマートフォンがないことに気がついたものの、引き返すのが面倒だったため、そのままコンビニへ行ってしまったというわけだ。 (もうっ! 私のバカ! こんな肝心な時に──よし。こうなったら、誰かにお願いして警察を呼んでもらわないと……)  熊に出くわした登山客のように、小鳥はジリジリと後ずさる。 (確か、背中を向けて走っちゃダメってテレビで言ってたはず……)  ところが小鳥が持っている食べ物の匂いに気がついた──わけではないのだろうが、大柄な男性は不意に振り返ったのだった。  じっと見つめたあと、男性の口が「あっ!」と、動いた。 「君は確かのところの」  小鳥は両手で頭を覆う。 「ご、ご、ご、ごめんなさいっ! 私は美味しくないので食べないで──って、あれ? あなたは確か……」  顔を上げると男性は、困ったな、と言いたげな表情を浮かべていた。  年齢はおそらく40代、といったところだろうか。  短く刈り込んだ頭に、顎から耳の下にかけて髭を生やしている。垂れ下がった目は柔和な印象を受け、まん丸とした輪郭と相まって、いかにも人が良さそうな感じがした。  小鳥はこの大柄な男性が誰であるのか、ようやく思い当たった。 「3階の方──ですよね」  大柄な男性は「そうそう」と笑顔でうなずく。 「良かった。もう出ちゃったのかと思ってた」  たまにエレベーターで見かけるだけで、名前は知らない。だが、大柄の体型はもちろんだが、たいてはこの日と同じ、黒のTシャツにカーゴパンツという格好なのですぐにわかったのだった。  ここだけの話だが、小鳥は初めて彼を見た時は、てっきり自衛隊の人かと思ったものだった。  いつもと違うのは、肩に黒色のギターケースを抱えているという点だ。 「ナリくんに、ちょっと頼みたいことがあって」  ナリくん、とはおそらくチーフの成田のことなのだろう。 「すみません。今日、現場に出ていまして」 「ありゃあ! そうなんだ……」  太い眉毛をハの字にしながら、大柄の男性は自分のおでこを叩いた。しばらく間、どうしようかとグリーンビルを見上げて思案している様子だった。  やがて「もしかして」と、小鳥にの方へと向き直る。 「君はナリくんのところの子ってことは、ギターの弦の張り替えって、できたりするのかな?」  そう言って男性は、肩にかけていたギターケースを体の前に持ち上げたのだった。 「もちろん忙しいようなら、出直してくるんだけど」  ギターケースをまた肩にかけ直そうとしているのを「待ってください」と、手のひらで制する。 「ギターの弦の張り替え、できます!」  一瞬どうしようかな迷ったものの、これは今朝の失点を取り返すことができ、同時にギターの弦の張り替えができると証明するチャンスだった。  男性は表情を明るくさせた。オジさんとは思えないほど、無邪気さがあった。 「本当に? 助かるよ!」 「とりあえず中へどうぞ」  倉庫のシャッターの横にはアルミのドアがある。小鳥は鍵を開けて中に入る。  続いて男性の大きな体が倉庫内に入り切ったのを見届けると、小鳥はノブに手をかけたのだった。  すると男性が「あっ!」とドアを手で押さえた。 「開けたままにしておこう」 「え?」 「ほら、、僕は男の子だからさ。室内で2人っきりになっちゃうのはまずいから」  あまりには予想外のことだったため、小鳥は「はあ……」と、ほうけた声を出してしまった。  こんな配慮をしてくれる異性とは、今までに出会ったことがなかったからだ。 「ん? どうかしたの?」  男性に声をかけれて我を取り戻す。  そして小鳥は確信するのだった。 (ウチの会社のオジさん2人は──特には、絶対にこんなことはしないな。っうか、女の子と2人っきりになったら、これ幸いに襲いかかってきそうだ)
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