ローディー 〜量産型女子がこの世界を変える⁉︎〜

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 男性は「じゃあ、僕はそろそろ帰らせてもらおうかな」と、カーゴパンツのポケットから財布と取り出した。 「弦の張り替えの代金って、いくらかな?」 「ああ、お金は大丈夫です。褒めてもらったので、そのお礼ということで──」  それにお世辞にも手際が良かったとは言えない。小鳥としては、いい経験をさせてもらった代わりのつもりだった。  ところご男性はになっていた。何か言いたくてウズウズしている、といった感じである。  小鳥は探るように尋ねてみる。 「今度は、一体何がダメだったんでしょう?」  お茶やお花をを習いに来た生徒のようだな、と自分でも思っていた。  だが男性はいかにも何か言いたそうなので、放っておけなかったのだった。 「うーん」  唸り声を上げて言うべきか悩んでいたようだが、やはり我慢できなかったようで、諭すような口調で言ったのだった。 「君はプロなんでしょ? だったらきちんとお金を取らなきゃダメだよ」 「は、はあ……」 「きっとこれから君は、友達や恋人や親兄弟たちから、『タダで弦の張り替えをやってよ』なんて言われることがあると思うんだ」  果たしてそんなことがあるかな、と思いつつ、小鳥は黙って聞くことにした。 「仮に無料でやったとしよう。じゃあ君にお金を払って依頼したお客さんたちは、一体どう思うだろう? 少なくとも、いい気はしないよね?」 「確かに、そうですね」  もしも小鳥がお金を払って弦を張り替えをした側だったら? と考えてみた。2度とそのローディーには頼まないだろう。 「プロなら、ちゃんとやった仕事に対しての報酬をもらわなくちゃ」  小鳥は神妙な面持ちでうなずいた。今度の話はよく理解できた。 「わかりました」  言われた通り、男性から料金をもらった。ただし、弦の代金にほんの少しだけ、作業代金を上乗せしただけの金額を、だ。  お金を受け取った小鳥は、胸中に過ぎったことを聞いてみた。 「もしかして……誰かからの依頼を無料でやった経験とかあるんですか?」  特に根拠があったわけではなかったが、なんとなく男性の言葉には悲壮感というか、実感がこもっているような気がしたのだった。  男性は「ん?」と言ったが、それは小鳥の質問の意図を測りかねたからではなく、少し間を空けたかったからなのかもしれない。  軽く息を吐き出すと、「実はそうなんだ」と打ち明けてくれたのだった。 「広告デザイナーとして駆け出しのころにね。ある人から『タダでやってよ』と頼まれたんだ」  ギターケースに手を触れながら、しみじみとした口調になる。もちろんいい思い出を語る、といった風情ではない。  男性にとって、痛みを伴うような出来事だったようだ。 「こっちとしては知り合いの人だし、経験も積めるからいいかな、くらいに思ってたんだけどね。それ以降、無償でやるのが当たり前のようになっちゃってさ」  男性は寂しそうな表情を浮かべたまま笑った。 「結局、その人とは絶交することになっちゃったんだよ」 「でも、それって向こうが悪いんですよね?」 「いや、僕がプロとしてきちんと接していなかったのがダメだったんだよ。だから向こうも僕のことをプロとして認めてなかったんだ」  小鳥としては納得できなかった。  良かれと思ってやったのだから、それは男性の善意だったはずだ。にも関わらず、相手は付け込み、利用して、都合のいいように扱ったのだ。  明らかに相手の方に非があるはずなのに、男性は晴れやかだった。 「てなわけでさ。僕の苦い経験から、若い人に同じ思いをしてほしくなくてさ。説教をしてしまったってわけ」  男性は大事そうにギターが入ったケースを抱えた。 「君たちのような人がいるからこそ、華やかなライブができるんだよね」  男性の言葉は、小鳥に言ったというより独り言に近かったのかもしれない。もちろん目の前にいる小鳥に聞かせるためだったのは違いないだろうが。 「やっぱりローディーって、すごい仕事だよ」  男性は「あっ!」と言った。 「ごめん。また熱くなっちゃったね……」  気恥ずかしそうに人差し指でこめかみをかく男性に向けて、小鳥はかぶりを振った。 「いいお話を聞かせてもらえました」  言い終わってからすぐに、「あっ、コレは嫌味じゃないですよ」と付け加える。  男性は「よかった」と笑う。 「社交辞令たったとしても、そう言ってくれると救われるよ」  この時小鳥は、不思議な感覚を覚えていた。 (こんなに歳が離れてるのに、この人とならなんだか自然に話せるのはなんでなんだろう?) おい! 新人!」  午後6時。  現場から戻って来るなり、成田の怒鳴り声が事務所内に響いた。  居眠りしかけていた小鳥は、ソファに横たえていた体を慌てて起こすのだった。 「ちょ、ちょっとだけ休憩してただけです!」  必死に乱れた髪の毛を手ぐしで直し、取り繕う。が、成田が抱えているギターケースを見て、眉根を寄せたのだった。 (あのギターケースって確か……) 「お前、勝手にコジさんからの仕事を請け負ったらしいな!」 「コジさん?」  首を捻っていると、後ろからやって来た亜門が「ほら、でっかい熊みたいな人」と注釈を入れてくれた。  そのことで「ああ」と合点がいった。  昼間、下の倉庫を覗いていた、あの大柄の男性のことだ。 「名前は小鹿(こじか)って言うんだよ」  そう言ってケラケラと笑い、亜門は漫才師のツッコミ担当よろしく、手を振った。 「どこがだよ! どう見ても大熊じゃねえかっつって──あれ?」  成田ににらまれていることに気がついたらしく、「お呼びじゃないようだね」と、そそくさとその場から退散したのだった。  亜門を追いかけていた成田の視線は、小鳥の方へと戻される。 「半人前が、余計なことをしやがって!」  これにはさすがに小鳥はムッとする。 「余計なことってなんですか! チーフがいなかったんで、良かれと思って私が引き受けたんじゃないですか!」 「それが余計だって言ってんだよ!」  慎重にギターケースを肩から下ろすと、ケースを開いた。 「コジさんから新人に弦の張り替えをやってもらったとメールをもらってな。嫌な予感がしたんで、帰りに寄って来たんだ」  やはり成田が抱えていたのは、小鳥が昼間に弦を張り替えたギターだったようだ。 「これを見ろ!」  取り出したのは、ギター本体ではなく、ブリッジだった。 「それがなんだって言うんですか」 「あれだけニッパーを使うなって教えたのに、外しただろ!」  成田はブリッジを小鳥の顔の前に向けて突き出す。 「見ろ! 傷だらけじゃねえか!」 「しょうがないじゃないですか! 固くて外せなかったんですから!」  小鳥は唇を尖らせる。 「じゃあ、どうしたら良かったって言うんですか! ブリッジが外せないと、弦の張り替えができないじゃないですか!」 「だったら素直に『できません』『すみません』でいいだろ!」  小鳥は呆れたように頭を振った。 「そんなカッコ悪いことできませんよ。私だってプロとしてのプライドがあるんですから」 「じゃあ聞くが、お前のプライドのために、お客さんの楽器を傷つけていいって言うのか?」 「そういう意味じゃ……」 「これがもしも、数千万円するような高価なギターだったら、今回と同じようにニッパーを使ったか?」 「わ、私はたた、良かれと思ってやっただけで……」 「そう思うなら、まずは相手のことを考えろ。その楽器を使う人間の身になれ。お前の『良かれ』は、あくまでもお前の物差しで測った基準だ。それを他人に押し付けるな!」  成田はそう言って行ってしまう。呆然と立ち尽くしていると、ちょんちょんと肩を突かれた。  振り返ると亜門だった。いつになく深刻な表情を浮かべていた。 「あのギターはね。亡くなった奥さんからもらったものなんだって」  亜門はため息をついた。それはギターの持ち主の無念さを、代弁しているような感じがした。 「持ち主の人は、傷だらけにされてすっごいショックを受けてたよ。あの様子じゃ、もう立ち直れないかもね」  小鳥は取り返しのつかないことをやってしまったと青ざめる。 (そ、そんな……どうしよう……)
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