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その後、昼過ぎに昴さんは帰って来たけど、すぐに出かけてしまった。
無理言って家に置いてもらったけど……私、昴さんについてよく知らないよな……
よく考えたら全然知らない人に、家に置いてくれって頼んだの、けっこう危なかったかも知れない。
家族がいなくて、使用人である敬次郎さんととし子さんの家族と暮らしてるけどほとんど家にいなくて。
華族で軍人で、祓い師で。
それ以外は謎な人。
昴さんてどんな人なんだろう。
私は少し近所を覚えようと、とし子さんのお嬢さんである美津子さんに案内してもらうことになった。
彼女は普段、親戚の商店で手伝いをしているそうだけど今日はお休みらしい。
私よりひとつ下の十七歳で、切れ長の瞳の、髪を肩口で切りそろえたかっこいい雰囲気のお嬢さんだった。
「昴様が、また女の子を連れて帰って来たって聞いたからどんな子かな、と思ってたけどまさか私より年上だとは思わなかった」
通りを歩きながら、彼女はころころと笑って言った。
「す、すみません……」
言いながら私は俯いてしまう。
「謝る事じゃないわよー。こっちが勝手に小さい子供だと思っただけだから。ほら、ぼたんとめいこっていう前例があるし」
そういえばふたりとも孤児だと言っていたっけ。
「あの……ぼたんちゃんとめいこちゃんは、昴さんが……?」
「そうそう。どこかから拾ってきて、私の母に面倒見てくれって頼んだの。詳しいことは知らないけど」
まるで犬とか猫みたいだけど……何があって孤児を引き取ったんだろう。
「それで、かなめさんはどこで昴様と知り合ったの?」
好奇心強そうな瞳で私を見つめ、美津子さんが弾んだ声で言う。
「え、あ……えーと……い、行くあてがなくてそれで……連れて行ってほしいってお願いしたんです」
「行くあてがないって……家がなくなっちゃったって事?」
目を丸くして美津子さんが言った。
家がなくなった……といっても間違いじゃない。
「あの、おっかあがいたけど死んじゃって……奉公先にも戻れなくなってそれで……」
利一さんとのことを話すのは嫌でそれを隠しつつ話そうとすると、どうしてもしどろもどろになってしまう。
でも、美津子さんは深くは聞いてこなかった。
「なんだか色々あったんだね。それで昴様、貴方を連れて帰って来たんだ」
「そうなんです。だから私、昴さんが何者なのか全然知らなくて……」
「え、そうなの? 知らない人に着いて行くの怖くなかった?」
今思えば怖いけど、その時は必死だったからそんなの全然考えなかった。
だから私は首を横に振って答える。
「だって……私、本当にどこにも行く場所なくて困ってたから」
「そうなんだ。なんだか分かんないけど苦労してるんだね」
苦労か……確かに苦労ばかりかも。
八歳で奉公に出されてこの間まで働きづめだったんだから。
奉公先での日々を考えたら今は天国みたいだ。
やることは少ないし、それがかえって申し訳なく感じてしまう。
数日前まで私は奉公先で怒られてばかりだったし、苦しいことも多かった。
そして利一さんのあの仕打ち……
劇場の前で利一さんに声をかけられた時、やっぱり殺しておけばよかった……
「……かなめさん?」
心配そうな声が響いて、私ははっとして隣を見る。
「大丈夫? すっごく怖い顔していたけど……」
心配、と言うよりも少し怯えた顔をして美津子さんに言われ、私は首を何度も横に振った。
「だ、だ、大丈夫です! ちょっと色々思い出しちゃって……」
「そう……ならいいけど。私でよかったら話聞くから」
「あ、ありがとう」
人に優しくされるとどうしたらいいかわからなくなる。
奉公先の店しか私、知らなかったからな……私を心配してくれる人たちがいるっていうのが信じられなかった。
「じゃあ気を取り直してお店、案内するね。お屋敷は商店街の一画にあるからそうそう道に迷わないと思うけど。あとどうせだから喫茶店に寄っていきましょう」
喫茶店が何だかわからなくて、私はきょとん、として美津子さんを見る。
「喫茶店……って知らない? お茶とか飲むお店」
そんなお店あるんだ。
「初めて知りました」
「じゃあ色々見たら行きましょう」
美津子さんに、近所にある店を案内してもらったけど、私は字があまり読めなくて覚えるのに苦労しそうだなと感じた。
買い物頼まれたら私……ひとりで行けない気がする。
買い物じたいはできる。だけど、屋敷まで帰れる気がしない。
お店は整然と並んでる。
外見は違うから間違うことはないだろうけど……人通りの多さにめまいがしてくる。
八百屋に酒屋さん、お魚屋さんとか色々とお店を教えてもらったあと、喫茶店に連れて行かれた。
喫茶店の中は若い女性が多くて、こういうところに慣れていない私は気がひけてしまう。
何を頼んだらいいかわからない私の代わりに、美津子さんが飲み物と甘味を頼んでくれた。
辺りを見回すと、皆楽しそうにおしゃべりをしている。
こんな生活ってあるんだな……
奉公先から逃げ出してほんの数日しか経っていないのに、なんだか違う世界に来たみたいだ。
昴さんに出会って、色んなことが変わってきている。
「あ、あの……」
私は、僅かに顔を上げて美津子さんを見て言った。
「美津子さんは、ずっとあのお屋敷に住んでるんですよね……?」
「えぇ。っていうか、うち、代々笠置家に仕えているから。あのお屋敷の離れにずっと暮らしてるわよ」
「じゃ、じゃぁ……昴さんのご家族が亡くなった理由も……?」
すると、美津子さんは気まずそうな顔になる。
「あー……」
「け、今朝その話をしたら、すごく怖い顔をされて……」
しかも、その話をしたとき空気が張りつめたような気がした。
触れちゃいけない話なんだろうけど、でもちょっと気になった。
知ったからどうするってわけじゃないけど。
「私も詳しくは知らないけど……九年前、夜中に血まみれで昴様がうちに来たの。両親は慌てて……その後警察とか軍の人とか来て大変だったかな。私は兄と、血まみれの昴さんと一緒にいたんだけど……何があったのか教えてはもらえなかった」
と言い、美津子さんは顔を伏せる。
血まみれって……何があったんだろう?
「その時……ご家族全員……?」
「そう。ご両親と、ふたりの妹と」
「い、妹さんも……?」
十二歳だった昴さんの妹っていうとかなり小さいよね。
孤児だっていうぼたんちゃんたちと同じくらいだろうか。
子供が死んだ話はなんだか心が痛くなる。
「何で亡くなったのか、結局教えてもらえなかったの。ただ、昴様は夜になると混乱するようなことが多かったみたいで、泣き叫んだりとかしてたなぁ……しばらくしたらそんなことはなくなったけど。よほど怖いものを見たんじゃないかな」
いったい何があったんだろう……
四人も死ぬって、ただ事じゃないよね。
あやかし? 殺人鬼?
どちらにしても恐ろしい……
背中を冷たい物が流れていく。
「よっぽどですね、それ……」
「さすがに何を見たのか聞けないし。両親は知ってるかもだけど聞くわけにもいかないしね。妹さんたちは私と年齢変わんないから、すごく悲しかったんだけど……結局ご遺体にも会わせてもらえなかったの」
それはよほどのことでは……?
子供には見せられないような状態だったのかな……?
「そ、それだともしかしたらその……犯人がいるとしたら今でもどこかで……」
私の唇から漏れ出た声は、僅かに震えていた。
美津子さんは顔をひきつらせて答える。
「そう、よねぇ……どこかで生きてるかもしれないのよね……犯人が捕まったって話は聞かないし」
そして、美津子さんと私の間に、重い沈黙がながれる。
そこにお茶と甘味が運ばれてきた。
紅茶と、パンケーキっていうものらしい。
パンケーキは丸くて分厚く、上になにかかかっていて甘い匂いが鼻をくすぐる。
「とりあえず食べましょう。そんなこと、私たちが気にすることじゃないし」
「そ、そ、そうですね」
私たちは貼り付けたような笑いを浮かべてフォークを握りしめた。
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