2 不思議な人

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 夜。  今夜もひとりだ。  広いお屋敷にひとりは寂しい。  布団に入ったものの目がさえて眠れる気がしなかった。  どうしても思い出す、利一さんに襲われた時のこと。  ひとりで寝ていて、気が付いたら利一さんがいて布団を引きはがされて……  寝間着を脱がされそうになって逃げ出したけど、どうやって逃げたんだろう。  そういえば利一さん、おかしなこと言っていたような。 『……突然飛び上がったかと思うとそのまま外に駆けだして……』  とか言っていたけど、飛び上がったってどういうことだろう?  私、そんなことできるわけないのに。  なんで利一さんはあんなこと言ったのかな。  ……ってだめだだめだ。  忘れたいのに、夜になるとどうしても利一さんの事を思い出してしまう。  どうしたら忘れられるんだろう。  やっぱり殺しておけばよかったかな。そうしたら私、こんなに苦しまなくて済むのに。  そう思った時、廊下で物音がして私は跳ね起きた。  気のせい……じゃない。  確かに足音が聞こえる。  戸締まりはちゃんとしたし……そうなると昴さんが帰ってきた……?  まだ夜明けじゃない。なのに帰ってきた……のかな?  確かめようと私はベッドから起き上がり、おそるおそる部屋の扉を開けた。  ランプの淡い光が廊下を照らしていて、こちらに近づく人影が見える。 「あれ、寝てなかったの」  ランプを手に持った昴さんが、廊下の途中で立ち止まり言った。  服は昼と同じスーツ姿だ。  着替えた様子はない。 「あ……あの……眠れ、なくて……」  俯きどうしようかと思っていると、足音が近づき頭に手が触れた。  その手が暖かくて、気持ちが少し和らぐ気がした。  今日の朝もこうしてくれたけど……何の意味があるんだろう。 「ねえ、憎しみは人を鬼にするって話、知ってる?」 「え……?」  驚いて顔をあげると、思った以上に近くに昴さんの顔があった。  一重の、吸いこまれそうなほど黒い瞳。  何を考えているのかわからない、無表情が多い整った顔がそこにある。  彼はランプを足元に置き、片手を私の頭に置いてじっとこちらを見つめている。  そんなに見つめられると恥ずかしいんだけど……  そう思い私は下を俯いた。なんだか顔が熱い気がする。 「昔話で聞いたことない? 鬼になる人間の話」  それは……聞いたことあるかもしれない。  でもそれは昔話だ。  本当にあった話じゃ…… 「……あれ?」  でも昨日、私は転がる石を見た。  そしてその石は昔話にある石だと昴さんは言っていた。  昔話なんて、みんな作り話だと思っていた。  鬼退治だって龍宮城だって、そんなものあるわけがない。  でも…… 「昔話って、作りものじゃないんですか……?」  おそるおそる顔を上げて尋ねると、昴さんは真顔で続ける。 「作り話もあるけど、本当にあった話もあるよ。そして、強い恨みが人を鬼にすることもあるんだ。君は誰を恨んでるの」 「え……」  恨んでる……だろうか。  頭の中に真っ先に浮かんだのは、利一さんの顔だった。  私を手籠めにしようとした人。  逃げ出した私を連れ戻そうとした人。  思い出すと、恐怖と悲しみが心のなかに溢れ出す。 「その人のこと、憎いの? 殺したいほどに」 「え、あ、あの……殺したいなんて思ってないです」  私はとっさに嘘をつく。  さっき布団の中で、殺したい、って思っていたのは確かだけど今はその思いはない。  昴さんに触られただけで、私の中にあったはずの憎しみの感情はしぼんでしまっている。  昴さんって不思議な人だ。  あの神社で見た転がる石を封印した力もそうだけど、この人に触られただけで心が落ち着くんだもの。 「じゃあ忘れることだよ。そんな相手の為に鬼になって命を捨てる必要はないんだから」 「い、命を捨てるってどういう……」 「もし君が鬼になったら、僕は君を殺さなくちゃいけないからね」  真顔で言われ、背筋が凍るような思いがした。  そうか……昴さんはあやかしとか幽霊とかを祓う祓い師だ。  昨日の石みたいに封印することもあれば、相手を殺すこともあるって事か……  昔話に登場する鬼はいい鬼もいるけど……桃太郎の鬼は人を襲ったりしていたっけ。  山姥は人を食べるって話だし……  人を殺せば殺される。  その事実に気が付き、私は唾を飲み込んだ。 「鬼は人を襲い人を喰うんだ。だから僕は鬼を見つけたら殺す。それが元人間でも関係なくね」   「わ、私は鬼にはならないです……でも、あの……利一さんに襲われたのは月曜日のことだったから……そんなすぐには忘れられないです」  そう震えた声で言うと、気まずい沈黙が流れる。  どうしたんだろう。  昴さんは困ったような顔をして、私から視線をそらした。 「えーと……ごめん。君に何があったのかなんて考えてなかったから……何を言ったらいいのかちょっとわかんなくて」  そう言われると余計気まずい。  私もなんて言ったらいいかわからないんだけど……  どうしよう……何か話題、変えた方がいいかな?   「あ、あの……遊郭に行ったんじゃなかったんですか?」  必死に考えて出てきた言葉はそれだった。  他に何か言うことがあると思うけど……何にも出てこない。 「それは……京佳が客をとっていてあきそうになくって。僕としては寝られれば誰がそばにいてもよかったんだけど、今日は混んでいたから仕方なく帰って来たんだ」 「……ひとりでは寝れないって、本当なんですか?」 「え? うん。まあ事実だけど……」 「あ、あの、私がそばにいるんじゃだめですか?」 「……」  私の提案に、昴さんは大きく目を見開き私を見つめる。  わ、私へんなこと言っちゃったかな……?  ひとりじゃ眠れない。それは今の私もそうだ。だから一緒の部屋で寝れば大丈夫かなって思ったんだけど……  迷惑だっただろうか……?  気まずい空気が流れる中、昴さんは顔を紅くして俯いてしまった。  「す、すみません……あ、あの……私も……ひとりじゃ眠れる気がしないからその……誰かそばにいたほうが眠れるかなって」  そう思っただけだけど、迷惑……なのかな。 「……あぁ、そういう意味か。ごめん、深く考えちゃった。でも、君は……」 「お願いします。そばで寝かせてください」  がしり、と腕を掴んで私は昴さんの顔を見る。  ひとりだとごちゃごちゃといろいろ考えてしまう。  だから一緒に寝られるならその方がいい。  すると昴さんは私から視線を外し、   「困ったな……」  と、本当に困った顔をして呟く。 「あ……す、すいません。迷惑、ですよね……」  知り合ってまだ数日の、ろくに知りもしない相手と同じ部屋で寝るなんて嫌か…… 「えーと、そういう事じゃないんだけど……えーと……ごめん……と、とりあえず布団、もってくるよ」  そう昴さんは早口で言い、私から離れてランプを置いたまま廊下の向こうに行き、階段を駆け上がっていく。  布団、もってくるって事はここで寝るって事かな?  まあこの部屋広いし……床に布団を敷く場所はじゅうぶんある。  どうしようかと思っていると、昴さんが掛布団を抱えて戻ってきた。   「あ……すみません、お手伝いしなくて」 「これくらい自分でできるよ。あと、敷布団を持ってくる」  私が昴さんから掛布団を受け取ると、彼はまた廊下を戻っていく。  私は受け取った掛布団を持ち部屋の中に戻り、とりあえずベッドの上にそれを置いて、昴さんが戻ってくるのを待った。  すぐに戻ってきた昴さんは、敷布団を床に敷くと掛布団を手にする。  戻ってきた昴さんは、スーツ姿じゃなくて浴衣姿だった。  胸元が少しはだけていて艶めかしい。 「僕は床で寝るから」  と言い、さっさと私に背を向けて布団の中に入り込んだ。  ……なんだか様子が変だけど、何なんだろう……?  そう思いつつ、背中に、 「おやすみなさい」  と声をかけ、私もベッドの中に入った。  ランプが消えて、闇が室内を包む。  窓の外は細い月が浮かんでいるのが見える。  一緒に寝ようって、迷惑だっただろうか……? 『誰かと一緒なら怖くないよ!』  という、めいこちゃんの声が頭の中に響く。  確かに、誰かがいるっていう安心感があって眠れる気がする。  私は布団をぎゅっと握りしめて、目を閉じた。
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