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土曜日。
夕方近くになり、私は昴さんに連れられて街を歩いていた。
仕事、と言っていたけれど、どんな仕事なんだろうか。
「あ、あの、今日はどちらに行くんですか?」
「加賀子爵の家」
誰かはしらないけど、華族ってことはわかる。
「そこの家の娘が、家族に男を紹介してきたらしい。娘の行動から、そこに誰かいるのは確かなんだろうけど、家族も使用人も、その男を見ることができなかったと」
「……え、それってどういう……」
私が尋ねると、昴さんは肩をすくめた。
「さあ。人じゃないのは確かだろうね。心配した加賀子爵から相談されて、それでこの間話を聞きに行ったんだけど、毎週土曜日の夜に、その男は娘のところを訪れているらしい」
「あ、それで土曜日に……」
「そう。正体を突き止めてほしいと。僕としては、人の目に映らないあやかしなんて放っておけばいいと思うけど、そうもいかないらしい」
「いや……見えないって怖くないですかね……?」
見えない相手を紹介された家族は、さぞ驚いただろうな……
私の言葉に、昴さんは首を傾げた。
「見えない相手ならなにもしてこないよ。それなのに怖いの?」
「み、見えないから怖いんですよ。だって何されるかわからないし……」
「見えない相手はなにもしてこないよ。そんな力ないから」
「そ、そうなんですか?」
「そう、だから僕は放っておけばいいと言ったんだけど、そうもいかないらしいから、今日行くことにしたんだ」
普通の人はそう思うよね。
どうも昴さんは私たちと感覚がずれている。
「それで私を連れて行くのは……」
「僕は女の子の扱いなんてわからないから、向こうの娘さんと顔を合わせた時のためにね」
そういうことか……でも、私、華族のお嬢さんの扱いなんてわからないけどな……
そう思いつつ、夕暮れの通りを歩いて行く。
すれ違う人の顔も見えにくい時間。
なんだっけ、たそがれ時っていうんだっけ。
でも、おっかあは別の呼び方していたな。
確か……逢魔が時。この世ならざる者に遭遇する時間。
そう言えば、この時間に外に出ちゃ駄目だっておっかあに言われた気がする。
あやかしが現れて攫われてしまうからと。
昔はそういうあやかしの話が怖かった。でも成長するにつれてそんな話は忘れてしまって、日々の生活に追われるようになっていた。
そして今、私は子供の頃に聞いた昔話に出てくる存在と接している。
なんだか不思議な気分だ。
皆昔話だと思っていた鬼だとかあやかしが、実在するなんて。
目的の場所に着いた頃には日が暮れて、街灯が淡い光を放っていた。
静かな住宅街の一画に、その屋敷はあった。
昴さんの屋敷よりも大きい、かな。
洋風と和風を合わせたようなそのお屋敷は、塀に囲まれている。
裏門が見える場所に立ち、昴さんは懐中時計を見て言った。
「日が暮れると現れるらしいから、もうすぐ来るんじゃないかな」
「その人、ふつうの人には見えないんですよね? 私も見えないんじゃぁ……」
その問いに昴さんは何も答えず、視線を巡らせる。
「あぁ、あれだ」
と言い、昴さんは通りの向こうを見つめた。
言われて私もそちらに視線を向ける。
若い、スーツ姿の男がこちらに向かってくるのが見える。
綺麗な顔立ちの、二十歳前後と思われる男性だ。
他に人影はないから、あれが例のお嬢さんに会いに来ると言う男性だろうか?
「って……え?」
私には、はっきりとその男が見えた。
男は足取り軽くこちらに歩いてくる。
「あ、あの……」
「何」
「向こうから来る、黒いスーツの男性……」
「うん、歩いてくるね」
「あの人が、見えないっていう人なんですか?」
「そうだよ」
やっぱりそうなんだ。
でも、私に見えるの何で……?
「君にも見えるんだ」
「は、はい……何ででしょう……?」
「さあ。それはともかく、お嬢さんに会う前に止めないとだから行こうか」
と言い、昴さんは男の方へと歩き始めた。
私も慌ててその後を追いかける。
昴さんは男の前に立つと、男は驚いた顔をして立ち止まり、昴さんを指差して言った。
「え、あ……ま、まさか……」
「君が、加賀子爵のお嬢さんの元に通っている男だよね」
淡々と昴さんが告げると、男は口をパクパクさせる。
「う、あ……あ、あの……」
「別に、祓おうってわけじゃないよ。ただ話を聞きたいだけだから。見ただけで君の正体なんてわかるからね。なんで人間の娘になんか会いに来てるの?」
そう昴さんが問いかけると、男はだらだらと汗を流し始める。
正体、わかるんだ……
何ものなんだろう、この男。
「とりあえず、尻尾、見えてるよ」
その昴さんの言葉で私も気が付いた。
男の背後から、茶色で先端の黒い尻尾が見えている。
あれ……あの尻尾は……もしかして狸?
男が驚いた様子で後ろに手をやったとき、塀の向こうから声が響いた。
「ねえ、来てるの?」
若い女性の声だ。もしかして、噂の子爵のお嬢さんだろうか。
その声に驚いた男は、目を丸くして来た方へと振り返り走り出す。すると昴さんは何か唱え、男の方に手を向けると、男はその場に転んでしまった。
それを見て、私は思わず走り出す。
「だ、大丈夫ですか……?」
そう声をかけたとき、転んだ男から、ぽん、と音が聞こえ煙が包み込んだ。
そして、その煙が消えたときそこに男の姿はなくて、変わりに一匹の狸がうずくまっていた。
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