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悪役令嬢のやりなおし
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令和5年の春先、あたし肝臓癌で死んだらしい。
だけど、運良くとでも言うべきか、生まれ変わったらしい。
生まれ変わった当日、ベッドから起き上がった瞬間から「悪役令嬢」であるらしい。
まるで中世ヨーロッパみたいなロケーションの地にお世話になることになったらしい。
よくあるライトノベルのような設定だけれど、それは事実として存在することもあるらしい。
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あたしの目の前にはとんでもない美女がいる。某侯爵家の令嬢だ。女として文句のつけようがまるでない。だったら密かに求婚を申し込んでいるきらいがある皇太子殿下の嫁にとっととおさまってしまえばいい。二人とも死ねよ、アホ、バカ、マジ死ねよ。誰もがあんたらのことをうとましく思ってるんだよ、絶対に――っ。だからむしろさっさとなるようになってしまえ。ホント、クズどもが。死ね、死んでしまえ。あたしはおまえらのことが超絶に大大、大嫌いだ。死ねよリアルに、なんだったら首くらい、あたしが気持ち良く刎ねてやるからさ、でかい鉈を使ってさ。
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とうとういよいよ、あたしは皇太子殿下から婚約破棄の旨を告げられてしまった。それはいいのだ、それはいい。くだんの侯爵家の家柄だけは確かな女に負けてしまったように思えてしまうこともつらくない、悔しくもない。日常的な対応とか、夜の応対とか、ぜひともがんばってもらいたい。それができてこその嫁だ。いいよ、もう。せいぜい元気な子を生めよな。あたしは関知せん。関知する立場でもない。もう知らん。知る必要もない。お二人さん、せいぜい幸せになってくれ。あたしは最大限の皮肉を込めてくつくつ笑ってやる、くつくつくつ。
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あたしは公爵家の男を掴まえた。ざまぁみろ。あたしもやろうと思えばやれるんだ。ただ抱かれるのは嫌で、それは相手がでぶだからだろう、だから嫌で嫌で、それでも抱かれないといけないわけで、だから抱かれた。妊娠の旨がまもなく伝えられた。あたしは泣いた。しくしく泣いた。だからほんとうに酷い話だけれど、偶然「流れて」しまったことを喜んでしまった。あたしは自身が最低だという思いを新たにした。もうどうだっていい。あたしは嫌な奴でいい。
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子種は失ってしまったものの、結婚生活はうまく運んだ。そうとしか言い様がない。すべては器用に回ったのだ。だったらそれでいいではないか。客観的に見ればあたしはなんだか不幸を被ったらしいけど、とにかく事はスムーズに進み、誰もが幸せになる路線が敷かれた。だからそれで良いのだと思う。
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あたしは馬車に撥ねられ大きなけがを負った。まるで死を体験するような感覚があって、それは二度目のことだ。死ねばまた違った自分に生まれ変わることができるのではないのか。そんな淡い期待はもろくも崩れ去ったようで、目を開けたときには、あたしはきちんとあたしだった。助かったのはなかば奇跡なのだと聞かされた。死んでも良かったのになぁ。生きるほうがつらいのになぁ。だからといって手首や首筋を自分で傷つけるような勇気も根性もないしなぁ。だったら――。
まだやってやるよ、悪役令嬢を。
あたしはまだまだ悪役令嬢をやってやる。
もはやそれくらいしか楽しみがないのかと考えると、なんとなく悔しさと情けなさを覚えたけれど。
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皇太子殿下主催のパーティーだ。
なにせ皇太子殿下の持ち物である空間だから会場は広い。
皇太子殿下の嫁が声をかけてきた。
おずおずとした口調だ。
「お怪我をされたと伺いました。ですけどお元気なのですね。なによりでございます」
この女は馬鹿なのかと思った。
そも、元気だからこの場にいるのだ。
そのへん無言でわかってくれないと憎しみだけが募る。
「ええ、そうですよ、妃殿下。あたしはすこぶる元気に生きています」
「い、生きている?」
「ええ。あなたの前には生きているあたしがいるでしょう?」
あえてきついことを言い方をしたのだ。
だからといって大したことは言っていない。
目に涙まで溜めるか、フツウ。
なんてったって、あたしは悪役だ。
だから必然、イライラしてきた。
「死ねばいいと思います」
「し、死ねばいい?」
「ええ。あなたみたいな中途半端な存在は死ねばいいと思います」
そんな……。
呟き、妃殿下ははまたもや目にじわりと涙を浮かべた。
だからいよいよ頭にきたわけだ。
ふざけんなよ、妃殿下。
世の中そんなに甘くないんだよ。
「どうして……どうしてあなたはそんな酷いことをおっしゃるの……?」
「決まっているじゃありませんか。あなたのことが気に食わないからですよ。大嫌いだからですよ」
「だからって――」
「あなたなんて死ねばいいのに」
「えっ?」
「ですから、あなたなんて死ねばいいのに。もしよろしければこの場で死んでいただけませんか?」
「またそんなふうにおっしゃるの?」
わぁぁっ。
そんなふうに声を上げて、妃殿下は泣き出した。
皇太子はどうしたらいいものかと慌てている。馬鹿だ、阿呆だ、彼のものになろうとした女はあたしも含めて極めて馬鹿だ。ほんとうにつまらないこと、つまらない話。愚かな二人に断罪を。右手に刃物さえあれば、あたし自身が彼らを殺すかもしれない。
なんにせよ、あたしは皇太子も妃殿下も軽蔑する。
弱すぎるんだよ、おまえらは、やっぱり死んでしまえ。
暴漢にでも襲われて、いっそ速やかにさっぱりと死んでしまえ。
悪役令嬢、ここに極まれりだな。
あたしはあんたらのことを心の底から軽蔑してやる。
死ねばいいのに、死ねばいいのに、とっとと死ねばいいのに。
――と、後方から声がした。
ミカ!! とあたしを呼ぶ大きな声が聞こえた。
途端、あたしの身体はびくんと跳ねた。
ミカ。
あたしの名を呼ぶニンゲン――男はずいぶんと少なくなった。
その中にあって、まだあたしの――ミカの名を叫ぶニンゲンがいる。
間違いない。
タール准将だ。
タール准将は「おまえがつまらないパーティーに出るという話だったから、私はここに馳せ参じたんだぞ!!」などと絵に描いたような綺麗事を吐いた。
あたしは取り乱さない。
「タール准将! あなたはなにをおっしゃるのか!!」
「決まっているぞ、ミカ! 私はあなたを迎えるために存在している!!」
へっ?
などと一瞬戸惑い、だけどあたしは悪役令嬢だから嫌な女であるしかない。
「うるさいです、タール准将! あたしは嫌な女なんですよ!!」
「いいからミカ、私のもとに来い! 私がおまえに夢を見せてやる!!」
「夢うんぬんはさておき、呼び捨てにされるのが気に食わないのですが?!」
「そのあたりはこれから改善する!!」
「だけど、嫌だ、タール准将! 偉そうな人物、上から目線の人物、あたしはそんな奴に興味はありません!!」
「だったら改める! 態度を改める!! もはやそう言った!!」
あたしの顔はゆがみ、それから、両の瞳から涙がこぼれた。
「タール准将、ふざけるな! あたしの性格がどれだけひん曲がっているか知らないだろう!!」
「どうあれ私ならきみを許容できる! どうか私と一緒になってくれ!!」
「バカっ!!」
「バカでいいっ!!」
「バカバカバカっ!!」
「バカバカバカでいい!!」
……もはや折れるしかなかった。
*****
いまはそれなりに気持ちのいい日々を送っている。レオン・タール准将なる若手ながらも素晴らしい才能の持ち主から必要とされ、彼と仲良く暮らしているからだ。
特に事がないうちは、レオンは毎日決まった時間にきちっと帰宅する。彼が朝出ていくとき、彼が夜帰ってきたとき、あたしは彼とキスをする。そのたびレオンは気恥ずかしそうな表情を浮かべる。ごめんね、レオン。でも、あたしはできるだけ、あなたのことを感じたいんだ。
料理なんてしたことがなかったあたしなのに、いろいろと工夫を重ねるうちに、いろいろと作ることができるようになった。継続は力なり。少し意味合いは違うかな? でも、料理はほんとうにうまくなったと自負している。毎日毎日をがんばっているレオンにせめておいしい食事を提供したい。その気持ちだけは絶対の真実だ。
過去のあたしはほんとうに嫌な奴だった。誰が相手でも突っかかり、揚げ足を取れる箇所を見つけては攻撃していた。意図してのことだったとはいえ、やはり悪役令嬢だったのだろう。いまは違う――と思う。あたしはレオンを愛し――できればそうだな。レオンの子が欲しいと考えている。レオンはあたしにそっと触れることしかしない。だからセックス――をするにあたっては、こちらから仕掛けてやる必要があるのかな。そのへん含め、これからのことが楽しみだ。ほんとにほんとに楽しみだ。
どうやら嫌な奴をやっていても、相手に恵まれることはあるらしい。
あたしはレオンとの出会いに感謝したい。
彼が現れなければ、あたしは不毛な「嫌な奴」を続けていたに違いない。
ありがとう、レオン。
どうあれあたしは悪役令嬢を卒業できた。
あたしはあなたに添い遂げるつもりでいます。
おたがいにとって、いい人生を送れるといいね。
もはや暇さえあれば、あたしはレオンとキスを交わす。
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