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第4話 浄化
イメージ通りの一閃の風刃が三匹の狼の首に命中した。
紫黒の陽炎が掻き消えていき、黒い毛が顕わになる。
どうやら、水魔法と風魔法で無事に倒せたようだ。
安堵して空を見上げると暖色系のグラデーションが視界一杯に広がっていて、遠くの山を見ると太陽が沈み欠けていた。
「暗くなると亡霊たちは活発になるのかな」
今日はもう森から出られないだろうが、せめて見かけた死者を鎮めておかないと悪夢となって出てくるだろう。
目覚めを良くする為にも危険分子はこの際、排除しておきたい。
「翠、もう少し頑張れる? 空を飛ぶよ」
身体を撫でながら一声掛けると、ニャアと返事が返ってくる。
目を瞑り草木を揺らす風を感じて、私と翠の身体に纏わせるようにイメージしながら、上に吹き上げる風の流れを作る。
この魔法はさっき使ったから大丈夫、きっと上手くいく。
「浮け」
目を開くと魔法操作は上手くいったようだ。風が渦を巻いて翠の足元に竜巻のような激しい突風が起こり、翠ごと身体が浮かんだ。
髪や毛が激しくなびきながらある程度の高さまで来ると竜巻は川となり、向いてる方へと流れ出した。
道のように伸びる風の流れは翠の瞳にも見えているのか、前足を一歩前に出して感触を確かめるとゆっくり歩き出す。次第にスピードが上がり空を駆けていた。
「おぉ、面白い!!」
魔法に慣れて来ると自由に天空移動が出来るようになって、回りを見渡す余裕も出来た。
地上は芝生のように緑の木の葉が広がっていて、横を見ると山と空の境目がくっきりと波打ちながら伸びている。
「この魔法はこれからも沢山使ってみよう」
飛行魔法が禁止じゃなければ、移動手段には十分使えるし便利な魔法になるだろう。
翠の背中に乗って空を走る楽しさに目的を忘れていると、紫色の靄が上がっているのを見つけて我に返る。
遊んでる暇はないんだった……。
「翠、下に何があるか上空から確認してみよう!」
風の道を靄の上に螺旋状に伸ばすと、翠は臆することなく駆けて行く。
私も流石に亡霊は空を浮かばないだろうと高を括って、足元から地上を覗きながら発生させている元を探す。
原因元なる所は直ぐに見つかった。
靄の中央が一番濃く、黒い物体が点々と辺りに散らばっているのが分かる。
物体の正体は大方予想もついていて、その確信も十分あった。
一度上昇して深呼吸を三度すると、「よしッ」と決心を固めて風の道を地上へと落として行く。
濃い靄の中へとゆっくり降りて行くのと比例して、甘い匂いが気管支を刺激して噎せ返りそうになった。
口元を片手で抑えるがどうにもならず、気持ち悪さに蹲る。
辺りの靄は煙りようだ。目の前が見えないくらいに充満して漂っている。
「何この臭い。何か花の匂いに似てるけど、思い出せないや。視界も最悪過ぎるし……」
前に進むには足踏みしてまう。
先に煙霧を吹き飛ばした方が良いと思って、魔法を形造るイメージを思いうかべる。
煙を広範囲に払う方法……。
扇や団扇があれば想像しやすいが、生憎道具は神様から貰った笛と本しかない。
何か身体を使って風を散らす方法を考えると、ふと良いことを思い出して両手を胸の位置まで上げる。そして、手を鳴らすように手の平を合わせてパンッと音を立てた。
風が振動の衝撃を受けて霧散する。
けれど、靄が晴れたのはたったの数メートルで。直ぐに煙霧が漂い始めて覆っていく。
「えぇー!」
不満の声を上げると、気味の悪い低い音が耳に聞こえて背筋が凍りつく。思わず姿勢を正して硬直した。
くぐもった音が呻き声だと認識するのに、余り時間はかからなかった。
若い男性の来るしそうな声に、今度は女性の悲鳴にも思える叫び声が重なる。
「待って、待って! これは、無理ムリむり!!」
一度死者を見てる分。リアリティがあって恐怖に目を潤ませた。
怖さを紛らわせたくて大声で弱音を吐きまくる私に、翠も何かを感じ取ったのか耳を小刻みに震わせて前身を屈ませる。
男性と女性の声は絶え間なく響いていて、耳が慣れて来ると五人の別の声が識別出来るようになっていた。
若い男性が二人。図太い声の男性が一人。女性は二人。
音程が違うもののずっと聴いてると気が可笑しくなりそうで、頭が重くなり呼吸も乱れて苦しくなって来た。
翠も威嚇してるものの、暴走間際といった感じで呼吸も動悸も狂っているように思える。
頭の中で危険信号の赤色が点滅する。けれど何をどうすれば回避出来るのか分からなくて、本日二度目のパニック状態に陥っていた。
視界を曇らせる紫色の靄から人影が揺れて、段々とハッキリしてくると、黒い泥で出来た人形の亡霊が両手を前にして近付いて来た。
それも、私と翠を囲うように五体が広がって現れる。
「ぁ……」
これはまずいかもしれない。
そう思った頃には怖いと思う感情からぎゅっと目を瞑って周囲に魔力を放っていた。
咄嗟に取った行動だったのだが、吉となり、声が掻き消えたことに目を開いた。すると、ドーム型に黒い半透明の膜が造られていた。
自分と翠の息遣いが響く空間に何が起こっているのか分からず膜を観察する。
外の亡霊は一歩ずつ近寄り、伸びた指先が黒い膜に触れるとバチッと電気が弾けるような音がして火花が散った。
それは後ろの亡霊も同じで、触れる度にバチバチッと火花が起きる。
亡霊を防ぐ膜に何度も触れられていると、身体に異常が生じてくる。
「暑っ!」
体温が徐々に上昇してるようで、軽い運動を終わらせたような暑さに額や背中から汗が吹き出た。
「何これ……。魔力が反応してるの?」
黒い膜を見ると外側の表面は触れられる度に火花を散らして弾ける中、内側は波紋のように衝撃が広がっているのが見える。
「ちゃんと遮断されてる」
無意識に創られた魔法に感心しながら様子を伺っていると、心が落ち着いて来て平常心を取り戻せた。翠も落ち着いたようだ。
──さて、ここからだ。この亡霊たちからどう逃れるか、地上は酷い匂いで可笑しくなる。
……防御壁の範囲を広げて、上に一度逃げようかな。
魔法を発動させた時のように魔力を放つと亡霊が弾き飛ばされた。予想外のことだったが、幸いと思って魔法を解く。
半透明の黒い膜はシャボン玉みたいに弾け散ると直ぐにまた亡霊たちの呻き声が聞こえた。
弾き飛ばされた霊も起き上がりこっちに集まってくる。
私は捕まる前に風魔法で空を舞って逃げ延びた。
匂いは変わらず強烈だったが、変わらないならしょうがない。これ以上離れると、浄霊が上手くいくか分からないから、亡霊が手を伸ばしても届かないこの高さからやってみよう。
ふぅと、溜め息をつく。神様がお遣いを頼むように言っていたことを思い出す。
『なぁに簡単なことだ。死霊に会ったら笛の音を聴かせてあげれば済む話』
「その言葉、信じるからね……」
口角を上げてニッと笑い、腰に挿していた笛を取り出して唇に当てた。
とっくに麻痺していた鼻から甘い香りが鼻腔を通り抜けた、口の中に充満したようで苦味を覚える。
その味に不快感を覚えつつも深呼吸をして、私は息を吐き出した。高い音が森に響く。
試しにいくつかの穴を指先で塞いで吹いてみると、綺麗な精錬された音が遠くまで広がって行くようだった。
違う音を適当にだしていると紫色の靄が震えたような気がする。
「…………」
なんだろう……。
私はこの音を昔、聞いたことがある。
「────」
もう一度、音を確かめるように適当に吹いた。曲にもなってない、デタラメな笛の音だ。
なのに、靄は少しずつ晴れていく。そして、私は変な感覚に襲われていた。
昔のことを思い出そうとしていたのがまずかったのだろうか。
意識が遠退くのと同時に、誰かに支えられているような気配があった。
──指先が勝手に動く。
聞いたことのない曲。
なのに、懐かしさに泣きそうになった。
瞳が潤んで、支えてくれる人に聞いてみた。
〈あなたは誰ですか?〉
〈どうしてここにいいるの?〉
──答えはない。
添えられている指が、私の指先を動かしている。
優しい温もりに、前世の《日本》の記憶が掘り起こされた。
近所のおばぁちゃん家で一緒に歌った映像が頭の中に流れて行く。
縁側に座って幼い翠の身体を撫でて歌うと、おばぁちゃんはいつも笑顔を向けてくれた。
──あれ、どんな顔をしてたっけ?
笑顔は忘れてしまったが、おばちゃんの声は残っているようで、どこからか懐かしい声が聞こえてくるようだった。
思い出にふけっているといつの間にか一曲を吹き終えたみたいだ。靄は薄れて、亡霊たちも掻き消える。
やがて痩せ細った遺体が散らばっている森の中へと姿を変えていた。
どうやら、降り立ったのは木が無くなって広がっている場所のようで。辺りの木が数本倒れていた。
その下に転がっている遺体もある。
そして五人とは別に山になってる黒い物体もあり、白いものが所々から見えていた。
「…………」
その物を見て寒気を感じで私は身震いする。
騒ぎ立てたい所だが、神経が冴えていて冷静だった。
悲しく思うよりも、不快感を覚えるよりも先に、理解しているようにも思える。
景色を受け入れている自分が不思議でしょうがなかった。
幽霊やお化けには耐性がないはずなのに、何処かで何度も見てきたかのようだ。
地上に降りて一人の遺体に近寄る。やっぱり、しわしわになった姿を見ても少しの哀しみしか感じない。
「…………」
ぼんやり靄が完全に晴れるのを見ていると、太陽は既に沈んでしまったようで、静寂と暗闇が包み込んでいった。
ふと仄白い光が灯る。翠の身体だった。その白い灯火は穏やかな気持ちにさせてくれた。
「どうしようかな……」
五人の遺体だけでも、土に埋めてあげた方が良いだろう。
アレ(身体が部分的に溶けている物体)の対処には困るが、先に出来ることをしてしまおう。
そう思って埋める場所を考えていると、突然地面が緑色に光出した。
「──え?」
地面と云うよりは、遺体と大きな山の物体の周辺から光の粒子が現れたようで。
ふわりと浮かんで、それぞれの場所で一つに集まって行く。
緑の光は生前の姿を形作り、五人の人間と大きな蜘蛛へと変わっていた。
まるで夢の中にいるような光景に言葉を失う──。
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