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「マズいことになったね。生餌くんは家にいなかったよ。その代わり、あの怪異の臭いがした」
瑞月の顔にも恐怖が浮かぶ。
「どういうこと?」
「連れて行かれた。彼は今度こそ答えてしまったのさ」
「朔!」
瑞月は鋭く一声叫んだ。命令はそれで充分だった。朔は一瞬不快そうに口を歪めたが、すぐさま全身を黒い靄に包まれる。次の瞬間に、靄の中からヌッと足を踏み出したのは、巨大な鉄黒色の狼であった。
狼が前足を屈めると、瑞月は慎重にその背によじ登った。
「しっかり掴まっておくように、ご主人様」
朔は地面を蹴った。
景色は飛ぶように後方へと流れて行った。実際に飛んでいるのは二人の方だ。夜色の獣は疾風の如く空を駆ける。靡く体毛は夜の草原を駆ける風を彷彿とさせた。
太腿の下に感じる逞しい肩甲骨の動き。瑞月は振り落とされないように必死で毛並みにしがみ付いたが、その一方で、彼女が絶対に落下しないよう朔がバランスを取ってくれているのも感じていた。
電車で二時間半の距離も、狼の脚に掛かれば僅か五分程度のことだった。砂利を飛ばす音を聞いて瑞月は顔を上げる。景色は鬱蒼とした森へと変わっていた。
「着いたの?」
「ああ。この辺りが一番臭いが濃い」
瑞月は促されるまま狼の背から滑り降りた。彼女が制服のスカートを整える間、朔は狼の姿のままで空気の匂いを嗅ぐ。三角耳が外へ向いた直後、彼は姿勢を低くする構えを取った。
「――見つけた」
「いいわ。行って」
狼が走り出す。乱された草むらの跡を辿って瑞月も急いで追い掛けた。
朔は木々の開けた場所にいた。その視線の先にいるのは、青いパジャマ姿の男子高校生。
「松野江……くん?」
だが、奇妙なことに。
松野江奏流は二人いた。
鏡合わせのように瓜二つの松野江奏流が並んで佇んでいるのである。不気味に体を揺らしながら。
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