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立ちはだかる奏流の壁に直進する――と見せかけて直角に曲がった彼女は、さらに進路を鋭角に変えた。障害物を最短距離で回り込むのである。それに気付いた奏流たちも一拍遅れて方向を変える。だが、瑞月には彼らを躱せる自信があった。
「選んだ相手が悪かったわね。松野江くんはね……クラスの男子で一番足が遅いのよ!」
案の定、瑞月の素早い動きに翻弄されて足を取られた奏流がひとり。瑞月は軽々と彼の背を飛び越え、目標の前に着地した。
「でやああああ――っ!」
雄々しい叫びを上げながら。
瑞月は奏流の本体へと体当たりを仕掛けた。
強い衝撃。もんどりうって倒れ込む二人は、強かに地面に打ち付けられる。下敷きとなった奏流の口から低い呻き声が洩れた。
それと同時に飛び出したどす黒い塊。間髪入れず二人の頭上を狼の巨体が躍り、黒い塊を地面へと押さえ付けた。
「ぎゃああああぁぁぁぁぁ――……ッ!」
狼の牙が突き刺さる。鉄黒色の巨体の下で、痩せた枯れ枝のような手足がバタバタと暴れたが、狼の顎は微塵も緩むことはなかった。ぐちゃり、ずるりと汚い音を立てながら、黒い肢体は見る見るうちに肉塊と化す。木霊する悲鳴と共に奏流の分身も消えて行き、あっと言う間に朔はヤマビコを腹のうちに収めてしまった。
その光景を蒼い顔で見守っていた瑞月は、体の下で小さな声がしたことに気が付いた。
「狛江……さん……?」
見下ろせば、下敷きにされた松野江奏流が大きく目を見開いている。瑞月の胸越しに目が合って、途端に彼は真っ赤になった。
「なんで、狛江さん……」
「あっ、ごめんなさい」
瑞月は慌てて上から退き、彼が体を起こすのを手伝った。
「大丈夫、松野江くん?」
「うぅ、全身が痛い……けど、あれっ? なんで僕、パジャマが……」
視線を辿り、瑞月に赤面が伝染する。奏流のパジャマの上が大きく裂け、素肌が剥き出しになっていたのである。奏流はサッと前を隠した。
「押し倒されて、服は破れて……まさか、狛江さん――っ?」
「は、ははぁっ? ち、違うわよ! 変な誤解しないで!」
瑞月が顔を背けて立ち上がると、人型に戻った朔が二人のもとに歩み寄ってきた。彼は着ていた上着を奏流に掛けてやる。
「災難だったね、生餌くん。危なく君の貞操が危険に晒されるところだった」
「ちょっと! 朔!」
「でも、押し倒したのは事実じゃないかい?」
笑う朔と殴り掛かる瑞月。
そんな二人を目で追いながら、奏流は神妙な面持ちで居住まいを正した。
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