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「……狛江さん」
その声音に込められた緊張に、瑞月ははたと動きを止める。奏流は深々と頭を下げていた。
「助けてくれたんだよね。ありがとう」
「あ、その、まあ……ええ」
「僕も見てたよ、大きな狼があの化け物を喰い殺すところ。あれは朔さん、だったんだよね?」
朔がチラリと瑞月を見る。彼女は答えない。奏流は一瞬逡巡したのち、朔に向かっても頭を下げた。
「ありがとう、朔さん。アレを退治してくれて」
「おやまあ。俺はただ獲物を――」
「朔」
瑞月が鋭く制する。奏流はもう一度二人を見比べ、眉を下げた。
「訊いちゃいけないことなのかな。ねえ朔さんは……二人は何者なの?」
今さらのように沈黙が流れた。風が駆け抜け木の葉を揺らす。
瑞月は長く躊躇っていた。開きかけた口は不安そうに二度、三度と無意味に動き、またきつく閉じてしまう。彼女の様子から胸中を察したのか、奏流は両手の平を見せた。
「あっ、ごめんね。やっぱり言えないことだよね――」
「――狗神憑きよ」
「えっ?」
「私、狛江瑞月は狗神憑き。狛江家は代々『狗神筋』と呼ばれ、狗神という妖を使役しているの」
奏流がぽかんと口を開く。対する瑞月は苦々しい顔をしていた。
「ってことは、朔さんが狗神……?」
「ええ。彼は私と契約した妖。そして私たちは、人に危害を加える怪異を退治しているの」
瑞月は黙って目を伏せる。
奏流が寄越した沈黙は、彼女に自らの境遇を思い知らせた。
狗神筋。
それは犬霊に憑かれた家系のことを言う。似たものとして、管狐、イヅナといったものが知られている。それらの憑きものは代々血筋によって継承され、一族に富や財をもたらすという。しかし、その富の多くは盗んだものであると言われ、また憑きものを他者に憑けて呪わせたりすることもできるという。
事例によっていくらかの違いがあるとしても、共通することは、忌み嫌われる存在であるということ。彼ら憑きもの筋は存在自体が呪術的なものであり、また周囲に不幸を撒き散らすものと考えられていた。
狛江家に至っても同様だ。狛江家が狗神筋であると忘れさられて久しいが、その遥か昔には、妖を使役する術者として恐れられていた。
その悪評が現代にも蘇ったら。
瑞月はキュッと唇を噛み締めた。
「……いや」
拒絶。
瑞月が何よりも恐れるもの。
けれど、受け入れなければならないもの。
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