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残された瑞月は怪訝な顔をやめられない。眉間に皺を寄せて立ち尽くす瑞月を、朔がこっそり肘で突いた。
「だ、そうだよ?」
「だから何よ」
「明日から弁当作ろうか?」
「はっ?」
瑞月は驚いて振り返った。
「朔、あなた料理できるの?」
「一通りはね。過去にはそういうことを要求したご主人様もいたのさ」
なおも訝しげな表情に朔はムッと唇を尖らせる。
「はっきり言って、君よりは俺の方が料理上手いと思うよ? なんてったって生きている年数が違うからね」
「あら、言うじゃない。帰ったらお手並み拝見といこうかしら」
じゃなくて、と瑞月は首を振って歩き始める。
「弁当なんていらないわ。松野江くんと一緒に食べる気もないし」
「おやまあ。つれないじゃないか」
朔がゆっくりした足取りで追って来る。瑞月は速足のつもりだが、朔とは歩幅が違うために簡単に歩調を合わされてしまうことが、彼女にはあまり面白くなかった。
「だって、なんで私と一緒にいたがるのかわからないんだもの。言い方は悪いけど、私、憑りつかれてるのよ? 気味が悪いじゃない」
「本当にひどい言い草だな。彼が気にしないというのだから、瑞月だって気にすることはないじゃないか」
「気にしてるんじゃない。わからないって言ってるの」
「単純に好意だと受け止めればいいと思うがねぇ」
瑞月はサッと赤面して朔を睨み付けた。
「朔も朔よ。どうして私に松野江くんと仲良くさせたがるの?」
「そりゃあ、その方が俺にもメリットがあるからさ」
彼は肩を竦めた。
「メリット?」
「瑞月の交友関係が広まれば広まるほど、怪異の情報が入ってきやすくなる」
「なるほど?」
瑞月は不機嫌そうに腕を組んだ。
駅前に来たので人通りが増え、二人を振り返る視線が多くなった。傍から見れば美男美女。人目を引くのはいつものことだった。
「前から気になっていたのだけど、怪異ってそんなに頻繁に遭遇するものかしら。滅多に出会えないものなんじゃなくて?」
四月の初めに朔と知り合って一ヵ月半、遭遇した怪異はヤマビコを含めてほんの数件だ。それも大したものではなく、ちょっとした地縛霊の類ばかり。
「こんなものは腹の足しにもならない」と朔も文句を言っていた。
「その点は心配しなくていい」
「……どういうこと?」
朔の言葉にきな臭いものを感じ、瑞月が足を止める。横目で振り返る朔はどこか面白がっていた。
「狗神憑きは怪異を呼び寄せる。瑞月が普通に暮らしていてくれれば、それだけで十分なのさ」
「なっ……!」
咄嗟に朔の袖を掴む。
「なによそれ? 私が怪異を呼び寄せるっていうの? そんな、それじゃあ――」
「――瑞月の交友関係が広がれば広がるほど、怪異を呼び寄せやすくなる」
「冗談じゃない!」
周囲の人が振り返っていた。だが、瑞月にそれを気にする余裕はない。
狗神憑きは怪異を呼び寄せる。つまり、松野江奏流が彼女に関わろうとすればするほど、彼が怪異に遭う危険性は高まるということなのだ。恩義を感じて仲良くしようとしてくれている人を、むしろ危険に貶めてしまうなんて。
「――そんなの、疫病神じゃない」
ふと、思い出す。
田辺が朔を見て言った言葉。あれはそういう意味だったのか。
「当然だろう?」
ところが、朔の反応は冷たいものだった。見下ろす眼差しには呆れさえ混じっている。
「忘れるな、瑞月。俺様は怪異だ。所詮は人間に仇なす存在なのさ」
「黙りなさい」
拳を握り――あの日から、瑞月にはすっかりこれが癖になっていた――歩き出す。
だったら。
改札を通り抜けながら、瑞月は決意を固めた。
だったら、関わらなければいいのだ。友人なんて必要ない。
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