3.こっくりさん

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 鳥居の前で立ち止まる。上がった呼吸を整えながら、形式ばかりに頭を下げた。  一歩、踏み出す。途端に懐かしさが込み上げ、記憶のどこかで祭囃子が聞こえた気がした。そうだ、かつて瑞月もこの神社に来たことがある。父に連れられ、幼い兄に手を引かれながら。  記憶にあるとおり、そこは稲荷神社だった。意外にも境内は広く、祭りの際には出店が列を作って本殿を囲むのだ。石畳で舗装された参道の左右にはお狐様が並び、無機質な目で参拝者を見下ろしている、はずだった。 「みずき」 「みずき?」  重なった二つの声。鈴の音のように可愛らしいその声は、台座に座る子どもたちから発せられたものだった。白い狩衣を纏い、台座に腰掛けて足をブラつかせている。二人とも外見から性別を察することはできなかったが、つんと吊り上がった瞳の、麗しい容姿をしていた。 「これがみずき。ふぅん」  ふたりは揃って身を乗り出し、狼狽える瑞月をとくと眺めた。筋のような双眸から赤い光が零れる。その妖しさにゾクリと身を縮めた時、瑞月は彼らが定命の者ではないことに気が付いた。 「右近、左近。やめたげて」  今度は青年らしい声が掛かる。二人の狐はぴょこりと三角耳を立てると、狐顔になって本殿の方を振り返った。  本殿の前、縁台のところに何者かが寝そべっている。その手招きに引き寄せられるように、瑞月は賽銭箱の前まで歩を進めた。 「わぁ、臭い。犬臭くて敵わんわぁ」  その青年はふざけた調子でそう言うと、音もなく跳び上がって賽銭箱の上にしゃがみ込んだ。  眼前に迫る精巧な狐面。鼻から下が剥き出しになっているために、素顔は人型だとわかるけれど、お面の上からでは瞳すら拝むことはできなかった。薄い唇には紅が引かれ、Vの字に口角を上げている。彼は子狐たちと同じく狩衣のようなものを着て、六つに分かれた尻尾を扇のように背負っていた。 「でも、お顔は可愛いね。瑞月ちゃん」  瑞月はムッと彼を睨み付けた。 「不敬よ。そこから降りなさい」 「僕のものだよ? だからよくない?」 「私に対して無礼だって言ってるの」  狐面の青年は大きく口を開けて笑うと、狩衣の袖で口元を覆った。 「瑞月ちゃん。可哀想な瑞月ちゃん」 「あなたに憐れまれる筋合いはないわ。そんなことより、ここに東佐和子がいるんでしょう? 彼女を返してちょうだい」 「えぇえ? どうしよっかなあ?」  瑞月は黙って右手を振り上げた。 「うわっ。暴力反対! これだから犬派は嫌なんだ」 「風評被害よ」  ちなみに瑞月は猫派である。  青年は膝に肘をついて両手を合わせ、その上に顎を載せた。 「僕が狐狗狸さんだと知っての狼藉?」 「ええ、そう。私、狐なんて怖くないもの」  背後から可愛らしい声が上がる。 「わぁ、かっこいい」 「かっこいい」 「右近、左近、うるさいよ」  狐狗狸はむっつりと唇を尖らせた。 「狗神憑きね。そんなに奴を過信しちゃっていいのかな? お父さんからの遺言を忘れたの?」  瑞月はハッと息を呑んだ。 『危険なことはすべて狗神にやらせればいい。彼は喜んでそれを引き受けるだろうから。  だが、決して彼を信じてはならない。約束してほしい。狗神に気を許すな』  父の遺言。  忘れかけていた文面が脳裏に蘇る。 「あなた……何を知ってるの?」  囁いた声は掠れていた。狐の面は表情などないはずなのに、狐狗狸の目がニンマリと満足げに笑ったように思える。
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