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ショッピングモールのフードコートで喧騒に包まれた松野江奏流は、Sサイズのメロンソーダを前に席に着いていた。向かいにはセーラー服の美少女が。いや、美少女というとあまり印象にそぐわないだろうか。狛江瑞月は確かに端麗な容姿をしていたが、それは可愛いというよりも、冷たく人を近付けない美しさだった。
クラスが同じなので名前と顔くらいは知っているが、彼女と直接話すのはこれが初めてだ。というより、瑞月が授業以外で誰かと会話しているのを見た覚えがない。彼女は入学早々に忌引きを取っており、そのために仲良しグループの輪に入るのが遅れてしまったらしい。噂では父親を亡くしたそうなので、一種の腫れ者扱いを受けているのかもしれない。
そんな風に奏流が彼女を観察していたように、瑞月もまた彼のことを観察していたようだった。日本人にしては明るいアンバーの瞳が不躾に奏流の全身を眺め回している。うっかり二人の目が合うと、奏流は目を逸らしたが、彼女は動じることなく彼を見据えたままだった。
「いつから?」
「え?」
唐突な問いに奏流は若干間誤付いてしまう。先程までの恐怖と居心地の悪さから、メロンソーダはもうほとんど飲み切っている。
「あの怪異よ。いつから付き纏われているの?」
「か、怪異……?」
「お化けでも妖怪でも、なんでもいいけど。君が付き纏われている『アレ』は幻覚じゃないわ。悪意を持って君に纏わり付いている。そういう得体の知れないものを、私は『怪異』と呼んでいるの」
怪異。
確かにあの追い掛けてくる声は、「怪異」という言葉が相応しい気がした。
「たぶん、先週くらいから」
「割と最近なのね。原因や発端に心当たりはある?」
奏流は少し考え、自信なさげに頷いた。
「ゴールデンウィークに御柘山(みつげさん)に登ったんだ。山頂の近くに見晴らしのいい場所があって、そこで休憩している時に、妹と大声を出して遊んでた」
「それってやまびこ?」
「そうそう。ヤッホーって叫ぶとヤッホーって返ってくる、アレ。妹はまだ小学生だから、本当に声が返ってくるんだって喜んでた。その時に、向こうから『おーい』って声が聞こえたんだ。てっきり他の山のどこかから誰かが同じように叫んでるんだと思って、ふざけて僕も『おーい』って返した」
「……それだけ?」
「う、うん」
瑞月が釈然としない顔をしていたので、奏流は慌てて付け加えた。
「でも、確かにそれが原因だと思うんだ。その次の日から『おーい』って誰かを呼ぶ声が聞こえるようになったんだけど、それが山で聞こえた声とまったく同じだったから」
瑞月は顎に手を当てて考え込んでいる。彼女はハンバーガー屋の安いコーヒーを頼んでいたが、さっきから一度も口を付けてはいなかった。
然程長い間を空けることなく、彼女は顔を上げた。かと思えば、「失礼」と言って立ち上がる。彼女は奏流の後ろの席に向かうと、そこに座る男性に話し掛けた。
「ですって。聞いてたでしょ?」
「ああ」
押し殺したような静かな声が答える。瑞月は腕を組んで苛々と首を傾けた。
「私が聞いてもわからないんだけど。面倒だから、あなたも同席しなさい」
彼女のあまりに横柄な態度に奏流は驚いたが、正面に回り込んできた男性を見るともっと驚いた。歳の頃は二十代半ばだろうか。黒一色の服を纏ったその男は、思わず目を見張るほどの美男子だったのである。
髪は鉛を思わせる金属の色。肌は透き通るように蒼白かったが、逞しい首筋やシャツを盛り上げる胸元を見れば、それなりの体格をしていることが見て取れた。瞳は瑞月と同じアンバーで、くっきりと浮かび上がった瞳孔が愉悦を湛えてこちらを見ている。
喩えるなら、その男は夜だった。それも、満月が輝く白銀の夜。
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