4.シビト

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4.シビト

 父は、朔によって殺された。  嘘だと信じたかった。その思いが、瑞月に真偽をと問い質すことを遅らせた。 「いい? この蚊帳の中には入って来ないでよ?」  寝巻に着替えた瑞月は、布団を整えながら背後の朔を睨んだ。  基本的に、自宅での朔は常に姿を現している。彼がその気になれば風呂でもトイレでも覗けてしまうため、瑞月が目視できることを求めたのだ。そのことについて、朔は「小娘の貧相な体に興味などない」と唸ったが、その年頃にしては豊満な瑞月は警戒を怠らなかった。 「入らない」 「お父さんの遺言なの。あなたのことは信じるなって」 「その遺言は本当にそういう意味だったのか?」  朔は呆れた表情で言い、蚊帳に貼られた退魔札を指で弾いた。 「それでこんなものを用意しているのか。少々下手くそだけど、一応結界にはなっているね」 「そうよ。痛い目に遭いたくなかったら、夜這いなんてしようと思わないように」 「思わんよ」  布団の中から身を起こし、瑞月が照明の紐に手を掛ける。朔は廊下へ繋がる襖の前に立っていた。 「ねえ、朔?」 「なんだい?」 「こっくりさんに聞いたのよ。本当にあなたが……」  決心は揺らぐ。瑞月は「なんでもない」と呟き、照明の紐を引いた。  狐狗狸に父の死の真相を明かされてから、狗神憑きとしての瑞月の覚悟は行き場を見失っていた。 「逃げるな」と言った父。その父自身が怪異から逃げ、朔に契約不履行で殺されてしまったという。これまでは、立派に怪異に立ち向かって果てた父の背を追う心積もりで、覚悟を決めていたのだ。その父が逃げていたなんて。逃げて、命乞いをして、叶えられずに無惨に殺されてしまった。であれば、これから瑞月は何を目指して運命に立ち向かえばいいのか?  この数日、眠れない日々が続いている。目を閉じると父の死顔が瞼の裏に浮かぶから。遺体に掛けられた布の下には、胴体がなかった。  ――きっと、朔が喰ったのだ。  瑞月はバッと上体を起こした。必死に込み上げた胃の内容物を飲み下す。苦い味を喉の奥に感じながら、潤んだ瞳で畳の目を凝視する。
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