4.シビト

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 ふと、耳が何かの気配を捉えた。  障子の方を振り返る。  庭からだった。砂利を踏む音。足は一対ではない。四つ足なのか、否、もっと多くの足音が重なっている。それらは一歩、一歩と砂利を踏み締め、ゆっくりとこの部屋の前を往復していた。  後頭部の毛が逆立つような感覚がした。振り返る。そこには廊下へと続く襖があるのみだが、その向こうはまた庭になっている。そちらでも同様に、重々しい足音が聞こえたような気がしたのだ。 「……朔?」  では、ない。  朔はこんな歩き方はしない。それに、明らかに足の数が合わない。  障子に影が過った。 「朔!」 「なにかな?」  ビクリとして顔を上げると、朔が部屋の中に立っていた。非常事態に勘付いて、壁をすり抜けてきてくれたのだろう。瑞月は安堵している自分に気付き、複雑な気持ちになった。 「外に何かいるの。あれは何?」 「ふむ」  朔が首を回し、鼻を動かす素振りをする。次に彼が浮かべた表情は、瑞月が今までに見たことのないものだった。 「……見つかったようだね」  鼻梁に刻まれた皺。そこに浮かぶのは憎悪であった。 「因縁の相手だよ、瑞月。『アレ』が君の父の死の原因を作ったのだから」  ハッと息を呑む。  障子の向こうを往復する影が濃くなっていた。 「まさか」 「瑞月、通用口にはしっかりと鍵を掛けたかい? この家の塀は同時に強固な結界になっている。一ヵ所でも綻びがあると、その結界も簡単に破られてしまうよ」 「鍵……あっ」  忘れていたかもしれない。田辺が休務の日は瑞月が自分で戸締りをしなければならないのだが、度々それを忘れてしまう。しかし、それをマズいと感じると同時に、瑞月にはあることが引っ掛かっていた。 「追い散らそうか?」 「……勝てるの?」 「そこにいるのは本体ではないからね。所謂眷属というか、下僕というか操り人形というか。残骸みたいなものだ。それでも、人間には十分危険な存在だがね」  朔が右手を水平に上げる。途端に彼の全身から黒い靄のようなものが染み出し、障子を抜けて出て行った。湧き上がる絶叫。障子に映る影には、逃げ惑う小さな人型と、飛び掛かり貪り喰う無数の狼たちの姿が浮き出ていた。 「これでよし。結構な数がいるから、しばらくはうるさいだろうけど。少しの間、我慢しておくれ」  彼の言う通り、しばし阿鼻叫喚が続いた。瑞月はその声に精神を蝕まれるのを感じながら、薄闇の中で朔を見上げ続けていた。 「……ああ、やっぱり」  ぽつりと零れた言葉。  瑞月は大きく目を見開いていた。 「朔、あなたが父を殺したのね」  注がれる視線は無感動で。二人は黙って琥珀色の視線を結び付けた。 「……それが狐狗狸に言われたことか。くだらないことを吹き込まれて」 「ええ。でも、真実でしょう」 「俺よりもあんな下級霊を信じるのか?」 「だって、確証を得てしまったんだもの」  瑞月は言った。  朔と初めて出会った、あの日のことを思い出しながら。
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