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奴の本体は海にいる、と朔は言った。
「アレは海から来たモノだ。宗助は『シビト』と呼ばれる怪異の噂を聞いて、松木(まつぎ)へと向かった」
松木とは、市内で唯一海に面した集落である。小さな漁港がひとつあるだけで、どこか寂れた印象を受ける場所だった。
「松木の沖に島があることは知っているかい?」
「ええ。行ったことはないけれど。沿岸を車で走っている時に見かけたわ」
「怪異はあの小島を根城にしている。まずはあそこに行かないとね」
早速翌朝、二人は松木集落に出掛けて行った。
港でバスを降りてすぐ、目的の小島が視界に入った。目視するぶんには然程遠く感じないものの、泳いで行ける距離ではない。どうやってそこに渡るかという問題には、予想外のところから救いの手が伸べられた。
「あれ? 瑞月ちゃん?」
声を掛けてきたのは榎本千咲。彼女はコンビニに行った帰りだそうで、ビニール袋を提げていた。
「千咲ちゃん……おうち、この辺だったのね」
「うん。瑞月ちゃんはどうしてここに?」
と言いつつ、千咲の視線は朔に釘付けになっている。今日は着物姿ではないものの、シャツとズボンというラフな格好でも十分に彼の美貌は健在だった。瑞月はチラリと目配せを交わし、ぎこちなく微笑んだ。
「えーっと、兄さんと市内散策をしてみようって話になって。松木にはあまり来たことがなかったから」
「えっ、瑞月ちゃんのお兄さん?」
千咲が目を丸くすると、朔はにこやかに微笑んだ。
「いつも妹がお世話になってます」
「あっ、いえ! こちらこそ!」
瑞月は朔を肘で押し退け、話を続けた。
「それでね。あの島に渡ってみたいんだけど、どうすれば行けるのか知らないかしら」
「あー、沖島(おきのしま)?」
千咲は桟橋の方を振り返った。
「だったら、お父さんに船出してもらおうか?」
「お父さん?」
聞けば、千咲の父は漁師なのだという。ちょうど船で漁具の手入れをしていたので、千咲が頼むと快く引き受けてくれた。もっとも、彼が承諾した理由のひとつには、瑞月が特別器量よしだったことも関係しているかもしれないが。
「お父さんはね、黒髪ロングに弱いんだよ……」
千咲はこっそり瑞月に耳打ちし、何人か芸能人の名を挙げた。
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