4.シビト

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 島を形作る岩肌に、黒くぽっかりと開いた穴。人二人が並んで入れる大きさだが、交差するように板が渡してあって、来訪者の立ち入りを禁止している。おそるおそる瑞月が端から覗き込むと、脂の腐ったような甘い異臭が立ち昇ってきた。 「ここに入らなければならないのね……」  瑞月は縋るような気持ちで朔を振り返った。 「朔!」  驚いて声を上げる。  朔が嘔吐していた。吐き出されたのは血のような赤い液体。しかし、そこには二十センチほどの人間の腕らしきものが無数に混じっており、水揚げされた魚のようにビチビチと跳ね回っていた。 「いやぁ……っ、なんなのよこれ……!」  朔は激しく咳き込みながら、跳ねる腕たちを踏み潰した。 「あの蛆虫めが……っ!」 「ねえ、朔、あなた本当に大丈夫なの? 一度出直した方がいいんじゃ――」  考えてみれば、朔はかつてこの怪異に負けているのだ。それがどれほど強力なものかはわからないけれど、もっと十分に対策を練ってから来るべきだった。瑞月は後悔を顔に表し、気遣わしげに朔の背を擦り続けた。 「出直しても同じことだ。いいか、あんな奴に負ける俺様ではない。前回とて、宗助が足を引っ張らなければ問題なく喰えていた」 「ちょっと。父さんのことを悪く言わないで」 「いいや、言わせてもらう。でなければ、瑞月――お前も同じ轍を踏むかもしれないからだ」  瑞月は問うように彼の目を覗き込んだ。 「……どういうこと?」 「行けばわかる」  朔は口元に付いた血を拭いながら、洞窟を指差した。 「俺様はここには入れない。瑞月、お前が行って、奴を巣穴から誘き出してこい」 「えっ? わ、私が?」 「そうだ。それくらいは役に立ってもらわなければ」  瑞月は恐怖に蒼褪めた。覚悟を決めてきたとはいえ、それは朔が守ってくれるという信頼あってのこと。たった独りで洞窟に足を踏み入れるというのは、また別の恐怖と戦わなければならなかった。  それでも。勇気を振り絞り。 「……わかったわ」 「案ずるな。その札を手放さない限り、奴は君に手出しはできまい」  瑞月は板の隙間を潜り抜け、洞窟へと身を投じた。
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